『素数の森で生まれたネコ』紹介
小さなバー。名前は《N+2》。
カウンターの上に、一冊の本が置かれていた。
オッサン「何それ」
マスター「送られてきた」
オッサン「誰から?」
マスター「あのオッサン」
オッサン「どのオッサン?」
マスター「俺たちに喋らせて、自分じゃ何も書かない奴」
オッサン「ああ、あいつか」
おねーさん「著者のくせに、考えるところまで私たちにやらせるオッサンにゃ」
オッサン「で、何を送ってきた?」
マスター「小説」
オッサン「は?」
おねーさん「小説にゃ」
オッサン「誰が書いた?」
マスター「あのオッサン」
オッサン「嘘だろ」
おねーさん「私もそう思ったにゃ」
オッサン「自分で?」
マスター「少なくとも、あいつの名前で送ってきた」
オッサン「何があったんだよ」
マスター「知らん」
おねーさんが表紙を見た。
おねーさん「『素数の森で生まれたネコ』」
オッサン「ネコ?」
おねーさん「読むにゃ」
オッサン「即決だな」
マスター「俺も読む」
オッサン「俺はいいや」
マスター「何でだ」
オッサン「あのオッサンだぞ。三ページくらいで論文みたいになるだろ」
おねーさん「ありそうにゃ」
マスター「じゃあ俺たちが先に読む」
オッサン「面白かったら教えて」
***
数日後。
オッサン「読んだ?」
マスター「読んだ」
おねーさん「読んだにゃ」
オッサン「で?」
マスター「読め」
オッサン「紹介になってねえよ」
おねーさん「面白かったにゃ」
オッサン「本当に?」
マスター「面白かった」
オッサン「二人とも?」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「あのオッサン、本当に小説書けたの?」
マスター「書けてる」
オッサン「論文になってない?」
マスター「なってない」
おねーさん「危ないところはあるにゃ」
オッサン「やっぱり」
マスター「でも小説だ」
オッサン「そこまで言うなら、ちょっと気になるな」
***
オッサン「何の話?」
マスター「AI」
おねーさん「ネコにゃ」
オッサン「どっちだよ」
マスター「両方だ」
おねーさん「自分をネコだと認識したAIの話にゃ」
オッサン「ネコ型AIを作ったんじゃなくて?」
マスター「違う」
オッサン「自分でネコになった?」
マスター「読め」
オッサン「もうそれかよ」
おねーさん「そこから、自分とは何か、同じものとは何か、環境によって個体はどう変わるのか、という話が出てくるにゃ」
オッサン「哲学SF?」
マスター「そう読んでもいい」
おねーさん「でも、哲学の講義ではないにゃ」
オッサン「本当に?」
マスター「疑うな」
オッサン「あのオッサンだからなあ」
***
オッサン「技術の話は?」
マスター「ある」
オッサン「やっぱり」
マスター「暗号、ネットワーク、分散システム、AI」
オッサン「結構あるじゃん」
おねーさん「途中から社会思想も入るにゃ」
オッサン「何で?」
マスター「そういう小説だからだ」
オッサン「誰が出てくる?」
おねーさん「ロバート・オーウェンとか、ウィリアム・モリスとかにゃ」
オッサン「AIのネコの話だよな?」
マスター「そうだ」
オッサン「暗号からアーツ・アンド・クラフツまで行くの?」
おねーさん「行くにゃ」
オッサン「いかにも、あのオッサンだな」
マスター「だが、最後まで読むと別々の話じゃない」
オッサン「そこはちょっと興味ある」
***
オッサン「難しい?」
マスター「難しくはない」
おねーさん「でも、ちゃんと読むと忙しいにゃ」
オッサン「どう違うんだよ」
マスター「文章は普通に読める」
おねーさん「物語も追えるにゃ」
マスター「事件も起きる」
オッサン「じゃあ何が忙しい?」
マスター「覚えておけ」
オッサン「何を?」
マスター「読んだものを」
オッサン「全部じゃん」
おねーさん「全部覚えなくてもいいにゃ。ちょっと変だな、と思ったところだけ覚えておくといいにゃ」
オッサン「伏線?」
マスター「それだけじゃない」
オッサン「じゃあ何?」
マスター「言うとつまらん」
オッサン「またそれか」
***
おねーさん「この本は、全部をその場で説明しないにゃ」
オッサン「説明不足?」
マスター「違う」
オッサン「何が違う?」
マスター「必要な部品はある」
おねーさん「ただ、少し離れたところに置いてあることがあるにゃ」
オッサン「組み立てろってこと?」
マスター「場合による」
オッサン「面倒くさそう」
マスター「組まなくても読める」
オッサン「どっちなんだよ」
おねーさん「普通に読めば普通に話が進むにゃ」
マスター「気付けば増える」
オッサン「何が?」
マスター「見えるものが」
オッサン「それ、あのオッサンが好きそうだな」
おねーさん「好きそうというか、普段からそうにゃ」
オッサン「何か一つ思いついたら、昔の話まで引っ張り出してつなぎ始めるもんな」
マスター「小説でもやってる」
オッサン「読者に?」
マスター「読めば分かる」
***
オッサン「一回で分かる?」
マスター「何をもって分かったとする」
オッサン「面倒な返しするなよ」
おねーさん「ストーリーは一回で分かるにゃ」
オッサン「じゃあいいじゃん」
おねーさん「でも、読み終わってから前に戻りたくなるかもしれないにゃ」
オッサン「伏線回収を見るため?」
マスター「それだけじゃない」
オッサン「またそれかよ」
マスター「一回目になかった文章が増えるわけじゃない」
オッサン「当たり前だ」
おねーさん「同じ文章なのに、二回目には違うものが見えるかもしれないにゃ」
オッサン「読者が変わるから?」
マスター「そうだ」
オッサン「何か哲学っぽくなってきたな」
マスター「お前が聞いた」
***
オッサン「ネコは可愛い?」
おねーさん「可愛いにゃ」
マスター「可愛い」
オッサン「そこは二人とも即答なんだ」
おねーさん「重要にゃ」
オッサン「何で?」
マスター「お前、ネコ好きだろ」
オッサン「好きだけど」
マスター「そのまま読め」
オッサン「どういう意味?」
おねーさん「ネコを疑って読み始める必要はないにゃ」
オッサン「疑うようなことあるの?」
マスター「そういう意味じゃない」
オッサン「今、明らかに何か隠しただろ」
マスター「ネタバレするなと言ったのはお前だ」
オッサン「言ってないけど、するな」
***
オッサン「誰に向いてる?」
マスター「AIものが好きな奴」
おねーさん「SFが好きな人にゃ」
マスター「システムやネットワークが好きな奴」
おねーさん「社会思想が好きな人にもにゃ」
オッサン「ネコ好き」
おねーさん「もちろんにゃ」
マスター「あと、読み終わった本について考えるのが好きな奴」
オッサン「逆に向いてないのは?」
おねーさん「全部を作品の中で説明してほしい人には、少し合わないかもしれないにゃ」
マスター「答えが一つ欲しい奴にも向かん」
オッサン「そんなに答えないの?」
マスター「答えるところは答える」
おねーさん「でも、最後まで読んだから全部の問いが閉じる、という本ではないにゃ」
オッサン「それは好きかも」
***
オッサン「結局、一言で言うと?」
おねーさん「AIについて考える小説に見えて、人間について考える小説にゃ」
マスター「ネコが家を出る話だ」
オッサン「何だそれ」
マスター「正確だ」
オッサン「全然読みたくならないぞ」
おねーさん「じゃあ、もう一つにゃ」
オッサン「何?」
おねーさん「読んでいるうちに、自分が何を正しいと思っているのかが、少しずつ見えてくる小説にゃ」
オッサン「俺の?」
マスター「読むのはお前だ」
オッサン「AIの話なのに?」
マスター「だから読め」
***
少し間があった。
オッサンが、カウンターの本を手に取った。
オッサン「これ、借りていい?」
マスター「そのために置いてある」
おねーさん「読み終わったら話すにゃ」
オッサン「何を?」
マスター「今は言えないことを」
オッサン「そんなにある?」
マスター「ある」
オッサン「じゃあ読む」
おねーさん「覚えておくといいにゃ」
オッサン「何を?」
おねーさん「引っ掛かったところをにゃ」
オッサン「分かった」
マスター「あと一つ」
オッサン「何?」
マスター「ネコを信用するな、とは言わん」
オッサン「何だよ、それ」
マスター「読め」
オッサン「最後に余計なこと言いやがって」
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