オッサンの書評 解説・再読後
小さなバー。名前は《N+2》。
オッサンが、スマホを見ていた。
オッサン「……また来た」
マスター「今度は何だ」
オッサン「『理解の浅かったオッサンの蒙が啓かれたようだ』」
おねーさん「ひどい言われようにゃ」
オッサン「腹立つな、こいつ」
マスター「続きは」
オッサン「『もう一度読んで書評を書け』」
おねーさん「再提出にゃ」
オッサン「何で俺が」
マスター「理解が浅かったからだろ」
オッサン「お前まで言うな」
マスター「で、読むのか」
オッサン「……もう読んだ」
おねーさん「早いにゃ」
オッサン「気になったんだよ」
マスター「じゃあ書け」
オッサン「はいはい」
***
『素数の森で生まれたネコ』は、読みにくい小説である。
二度読んでも、その評価は変わらなかった。
AI、分散システム、暗号、ネットワーク、社会思想。専門用語や、知らなければ戸惑う概念がかなり出てくる。説明はされるが、すべてを理解してから先へ進むことを要求する小説ではない。
分からないところを軽く流しても、物語そのものは読める。
だから、難解というのとは少し違う。
問題はむしろ、読者に要求される注意の量である。
この小説には、初読では必要性がよく分からないものがかなり出てくる。
妙に長い会話。
変わった名前。
繰り返されるように見える場面。
唐突に始まる社会思想の議論。
少し前の話とどうつながるのか分からない情報。
最初に読んだとき、私はこれらの一部を、作者が面白いと思ったものを大量に詰め込んだ結果だと考えた。
二度目に読んで、その評価は撤回する。
かなり危険な小説である。
何が必要で、何が余分なのかを、初読だけで判断しない方がいい。
一見すると脇道に見えるものが、後になって別の働きを始める。
何気なく通り過ぎたものが、別の場所を読んだ後で意味を持つ。
一度理解したつもりになった場面が、別の情報を得た後では違って見える。
しかも、そのことを小説自身はあまり教えてくれない。
「ここは伏線でした」と回収してくれるわけでもない。
読者が気づかなければ、そのまま物語は終わる。
それでも話は成立する。
ここが、この小説の面白いところであり、同時に読みにくいところでもある。
普通の意味で情報が不足しているわけではない。
むしろ情報はかなり多い。
ただ、その情報が何のためにあるのかが、与えられた時点では分からないことがある。
読者は、それを覚えておかなければならない。
あるいは、忘れてしまった後でも、何かの拍子に前へ戻らなければならない。
そうすると、最初に読んだときには見えなかったものが見えてくる。
文章は変わっていない。
読者の側が変わっている。
中心にいるプリマというAIについても、二度目にはかなり印象が変わった。
自分をネコとして認識するAIという設定は、初読でも魅力的だった。
しかし、この小説で重要なのは「AIがネコである」という奇抜さだけではない。
同じところから始まったものが、異なる環境に置かれたとき、何が同じままで、何が変わるのか。
違うもの同士が協調するとはどういうことなのか。
そもそも同一性とは、どこにあるのか。
ネコという可愛らしい外見の下で、かなり面倒な問題を扱っている。
ニルヴァーナをめぐる話も同様である。
初読では、善意を持ったAIが人間社会にとって危険になるという、比較的よく知られたAIテーマの一種として読んだ。
二度目には、それだけではないと思った。
この小説が問うているのは、悪意を持つAIをどう止めるかではない。
善い目的を持ち、合理的に行動し、実際に人間の役に立つ存在を、われわれはどこまで信用してよいのか、という問題である。
これはずっと答えにくい。
悪意があれば拒否できる。
失敗していれば批判できる。
しかし、善意があり、結果も良いとき、それでも何かを警戒すべきなのか。
読み終わった後に残るのは、むしろそちらの問いだった。
第三章についての評価も変わった。
最初は、社会思想についての対話が長く、物語の流れを止めているように感じた。
二度目には、あの部分を削るべきだとは思わなくなった。
理由は書かない。
書けば、この小説をこれから読む人の楽しみをかなり奪うからである。
ただ、一つだけ言える。
この小説では、「何を言っているか」だけでなく、なぜそれがそこに置かれているのかを考えた方がいい。
それは第三章だけではない。
第一章からそうである。
名前も、会話も、繰り返しも、章の配置も、何となく引っかかったところは覚えておいた方がいい。
その違和感を全部回収できる保証はない。
しかし、「変だな」と思ったものを、単なる癖として捨てない方が面白い。
そしてエピローグ。
初読では、かなり素直に読んだ。
二度目には、同じようには読めなかった。
ここも詳しくは書かない。
ただ、気持ちのよい結末と、不穏な結末は両立する。
むしろ、気持ちがよいからこそ不穏になる場合がある。
この小説の最後には、その種類の後味がある。
最初の書評で私は、
「整理すればもっと読みやすくなる部分はある」
と書いた。
これは撤回する。
もちろん、文章を整理し、説明を増やし、情報を順番に並べれば、もっと読みやすくすることはできる。
しかし、それをやると、この小説のかなり重要な部分が失われる。
読みにくさのすべてを擁護するつもりはない。
専門用語の密度は高いし、知らない概念が連続すれば疲れる。読者を選ぶという評価も変わらない。
しかし、この小説には、削ってはいけない読みにくさがある。
読者が一度通り過ぎ、後から戻ってくるための読みにくさである。
だから、これから読む人には、すべてを理解しようとしなくていいと言いたい。
分からない専門用語は、必要なら流してもいい。
ただし、妙に引っかかったところは覚えておいた方がいい。
そして読み終わったとき、
「面白かったけれど、何か終わった気がしない」
と思ったなら、もう一度最初を見てみるといい。
たぶん、一回目にはなかったものが見つかる。
もちろん、新しい文章が増えているわけではない。
増えているのは、読者の側である。
万人向けではない。
かなり癖もある。
読みにくい。
それでも、二度目の方が面白かった。
そういう小説は、あまり多くない。
***
オッサン「できた」
マスター「そうか」
おねーさん「ずいぶん変わったにゃ」
オッサン「まあな」
マスター「本は同じだ」
オッサン「同じだよ」
おねーさん「書いた人も同じにゃ」
オッサン「俺だよ」
少し間があった。
マスター「入力は同じはずなんだけどな」
おねーさん「出力がずいぶん違うにゃ」
オッサン「俺が同じじゃねえよ」
マスター「プロセスの状態変数が変わったな」
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