Scarborough Fair / Canticle Scarborough Fair
小さなバー。名前は《N+2》。
店には、サイモン&ガーファンクルの『スカボロー・フェア』が流れていた。
オッサン「これ、いい曲だよな」
マスター「ああ」
おねーさん「古い歌にゃ?」
オッサン「元になった歌はな。これはサイモン&ガーファンクル。…これも、もう古い類か」
床が、ぼんやりと光った。
オッサン「ん?」
光が強くなった。
マスター「何だ」
おねーさん「床が光ってるにゃ」
光の中から男が現れた。
少し離れた場所にも光が広がり、女が現れた。
二人は互いを見た。
何も言わなかった。
男はカウンターの右端に座った。
女は左端に座った。
マスター「何にする」
男「エールを」
女「私も」
マスター「ああ」
オッサン「普通に飲むんだ」
マスター「他に何をしろと」
マスターが二人の前にエールを置いた。
男がおねーさんを呼んだ。
男「すまない」
おねーさん「はいにゃ?」
男「向こうの女性に、伝言を頼みたい」
おねーさんはカウンターの反対側を見た。
おねーさん「そこにいるにゃ」
男「ああ」
おねーさん「自分で言えばいいにゃ」
男「伝えてほしい」
おねーさん「……はいにゃ」
男「カンブリックのシャツを作ってくれ、と」
おねーさん「シャツにゃ?」
男「ああ」
おねーさん「それだけにゃ?」
男「縫い目も針仕事もなしで」
おねーさん「分かったにゃ」
おねーさんはカウンターの反対側まで歩いた。
女「何?」
おねーさん「向こうの人から伝言にゃ。カンブリックのシャツを作ってほしいそうにゃ。縫い目も針仕事もなしで」
女「……まだそれを言ってるの」
おねーさん「前にも言われたにゃ?」
女「ええ」
おねーさん「返事は?」
女「無理だと伝えて」
おねーさん「はいにゃ」
おねーさんは戻った。
おねーさん「無理だそうにゃ」
男「そうだろう」
オッサンが振り返った。
マスター「放っとけ」
オッサン「いや、待て」
マスター「何だ」
オッサン「無縫製Tシャツってあるよな」
マスター「ある」
おねーさん「何にゃ?」
オッサン「縫い目なしで作る服。もう普通にある」
マスター「ただし、あれはニットだ」
オッサン「……あ。カンブリックは織物か」
マスター「ああ」
おねーさん「じゃあ駄目にゃ?」
オッサン「そのままじゃ駄目だな」
カウンターの右端で、男が少しだけ表情を緩めた。
おねーさん「でも、織物を縫わずに服の形にすることはできないにゃ?」
マスター「できる」
男が顔を上げた。
オッサン「できるの?」
マスター「二重織がある。二枚の布を同時に織って、部分的につないだり離したりすれば袋状にできる」
おねーさん「筒みたいにできるにゃ?」
マスター「ああ」
オッサン「じゃあ胴体はできる」
マスター「袖の分岐は難しいが、専用の織機を設計して経糸を制御すればいい」
おねーさん「最初からシャツの形に織るにゃ?」
マスター「そうだ」
オッサン「昔の技術だけで作れ、とは言ってないよな」
男が何か言いかけた。
おねーさんは男のところへ歩いた。
おねーさん「昔の技術だけで作れ、という条件もあるにゃ?」
男「……ない」
おねーさんは戻ってきた。
おねーさん「ないそうにゃ」
オッサン「時間制限は?」
おねーさんはまた男のところへ行った。
男「ない」
戻ってくる。
おねーさん「ないにゃ」
オッサン「じゃあ、できる」
マスター「ああ」
カウンターの左端で、女が男を見た。
男はグラスを持ったまま黙っていた。
***
男がおねーさんを呼んだ。
男「もう一つ伝えてくれ」
おねーさん「はいにゃ」
男「一エーカーの土地を見つけてくれ。海水と海岸の間に」
オッサンが顔を上げた。
おねーさん「分かったにゃ」
おねーさんは女のところへ行った。
女「まだあるの?」
おねーさん「一エーカーの土地を、海水と海岸の間に見つけてほしいそうにゃ」
女「……相変わらずね」
おねーさん「返事は?」
女「無理だと」
おねーさんは戻った。
おねーさん「無理だそうにゃ」
男「そうだろう」
オッサン「……ちょっと待て」
マスター「何だ」
オッサン「カンブリックのシャツ。縫い目も針仕事もなし」
マスター「ああ」
オッサン「今度は、一エーカーの土地を海と岸の間」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「これ、さっきの歌じゃん」
マスター「ああ」
オッサン「知ってたの?」
マスター「お前も知ってただろ」
オッサン「曲はな。歌詞をこんな真面目に聞いてない」
マスター「で?」
オッサン「海と岸の間なら、普通にあるだろ」
おねーさん「どこにゃ?」
マスター「潮間帯だ」
おねーさん「潮間帯?」
マスター「満潮では水に浸かって、干潮では露出する範囲だ」
オッサン「海水と海岸の間、そのもの」
おねーさん「一エーカーってどのくらいにゃ?」
オッサン「約四千平方メートル」
おねーさん「そんなに取れるにゃ?」
マスター「干潟なら取れる」
オッサン「測量して一エーカーを区画すればいい」
おねーさん「でも、そこで何を刈るにゃ?」
オッサン「あ」
マスター「そこだな」
おねーさん「海水に浸かるにゃ。普通の畑にはならないにゃ」
マスター「普通の畑にはな」
オッサン「塩に強い植物なら?」
マスター「ああ。塩生植物がある」
おねーさん「塩生植物?」
マスター「塩分のある土壌でも育つ植物だ。海岸や塩性湿地に自生するものもある」
オッサン「じゃあ、潮間帯に一エーカー確保して、そこで育てる」
マスター「場所は選ぶ。波が強いところは駄目だ。地形が安定していて、冠水時間と塩分が植物の耐えられる範囲に収まる場所がいい」
おねーさん「満潮で沈んでも大丈夫にゃ?」
マスター「植物による。潮間帯の上部なら冠水時間も短い」
オッサン「つまり、土地だけ見つければいいんじゃない。次に刈ることまで考えるなら、植物が育つ一エーカーを選ぶ必要がある」
マスター「ああ」
おねーさん「現代なら探せるにゃ?」
マスター「航空写真、地形データ、潮位データが使える。候補地を絞って測量すればいい」
オッサン「昔なら海岸を歩き回って探すところを、先にデータで絞れる」
マスター「ああ」
おねーさん「時間制限がなければできるけど、今ならずっと速いにゃ」
オッサン「そういうこと」
カウンターの右端で、男がグラスを置いた。
女が男を見た。
男は見返さなかった。
***
男がおねーさんを呼んだ。
男「最後だ」
おねーさん「はいにゃ」
男「その土地を革の鎌で刈って、ヒースの束にまとめてくれ」
おねーさん「革の鎌にゃ?」
男「ああ」
おねーさんは女のところへ行った。
女「最後?」
おねーさん「最後だそうにゃ。革の鎌で刈って、ヒースの束にまとめるにゃ」
女「無理ね」
おねーさん「そう伝えるにゃ?」
女「ええ」
おねーさんは戻った。
おねーさん「無理だそうにゃ」
男「そうだろう」
オッサン「やっぱりスカボロー・フェアだ」
マスター「今頃確信したのか」
オッサン「革の鎌まで来れば間違いないだろ」
おねーさん「革で切れるにゃ?」
マスター「加工すればいい」
おねーさん「革を?」
マスター「硬化処理する。積層して圧縮する方法もある。金属刃ほどの性能は必要ない」
オッサン「さっきの土地なら、刈る植物も選べる」
マスター「ああ。革の刃で切れる茎径と硬さの植物を選ぶ」
おねーさん「一エーカー全部にゃ?」
オッサン「時間制限はない」
マスター「しかも現代なら動力化できる」
おねーさん「革の鎌を?」
マスター「革製の刃を往復運動させる。摩耗したら交換する」
オッサン「革の鎌を使えとは言ってる。でも、手で振れとは言ってない」
おねーさん「ヒースの束は?」
オッサン「束の大きさは指定されてない」
マスター「小さくすればいい。ヒースを結束材として使える大きさでまとめる」
オッサン「ヒースを加工するという手もある」
おねーさん「じゃあ、できるにゃ?」
マスター「ああ」
オッサン「全部できちゃった」
曲は、もう終わっていた。
店内が静かになった。
カウンターの右端で、男が黙っていた。
左端で、女も黙っていた。
***
しばらくして、女がおねーさんを呼んだ。
女「……ねえ」
おねーさん「はいにゃ?」
女「向こうに伝えて」
おねーさん「何をにゃ?」
女は少し黙った。
女「全部、できるって」
おねーさん「はいにゃ」
おねーさんはカウンターの反対側まで歩いた。
男はグラスを見ていた。
おねーさん「全部、できるそうにゃ」
男「……」
おねーさん「シャツも作れるにゃ。土地も見つかるにゃ。革の鎌でも刈れるにゃ」
男「……そうか」
おねーさんは戻ろうとした。
男「待ってくれ」
おねーさん「はいにゃ?」
男は女を見た。
女も男を見ていた。
男「……向こうに」
おねーさん「はいにゃ」
男「……」
おねーさんは待った。
男「いや。何でもない」
おねーさん「はいにゃ」
おねーさんは女のところへ戻った。
女「何て?」
おねーさん「何でもないそうにゃ」
女「……そう」
二人は互いを見た。
どちらも何も言わなかった。
床が、ぼんやりと光り始めた。
オッサン「まただ」
光が強くなった。
男はカウンターの右端に座ったまま、女を見ていた。
女も左端から男を見ていた。
二人の姿が光の中に消えた。
床が暗くなった。
***
しばらく誰も話さなかった。
オッサン「……技術的には全部解けたんだよな」
マスター「ああ」
オッサン「シャツも、土地も、革の鎌も」
おねーさん「全部できるにゃ」
オッサン「でも、二人がどうなったかは分からない」
おねーさん「で、どういうことだったにゃ」
オッサン「二人は恋人同士だった。さっきの難題を解決できれば、恋人同士に戻れる」
マスター「難題の解決と、元の鞘に収まるかどうかは、別の問題だからな」
オッサン「そうか。不可能な条件だったから、その先を決めなくて済んでたのか」
おねーさん「どっちもにゃ?」
オッサン「どっちも。本当に恋人に戻りたいのか」
マスター「条件が可能になって、そっちが残った」
オッサン「技術で解いたら、解けない問題が出てきた」
おねーさん「それは二人が決めることにゃ」
オッサン「……結局、どうなったんだろうな」
マスター「知らん」
オッサン「全部解いたのに」
マスター「課題はな」
おねーさん「最後のは、解く問題じゃないにゃ」
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