星の王子様
小さなバー。名前は《N+2》。
オッサンがカウンターで本を読んでいる。
マスター「珍しいな」
オッサン「何が」
マスター「文学」
オッサン「俺だって読むよ」
おねーさん「何を読んでるにゃ?」
オッサン「『星の王子さま』」
マスター「ああ」
おねーさん「有名にゃ」
オッサン「昔読んだはずなんだけど、ほとんど覚えてなくてさ」
マスター「それで読み直してるのか」
オッサン「うん」
ページをめくる。
オッサン「……この王子さま、面倒くさいな」
マスター「お前が言うな」
そのときだった。
小さな声がした。
王子さま「ねえ」
三人が振り向いた。
王子さまが立っていた。
王子さま「ヒツジの絵を描いて」
オッサン「俺、絵は苦手なんだよ」
王子さま「そう」
オッサン「写真なら撮るけど」
王子さま「写真?」
オッサン「見たものを写すんだ」
王子さま「見えないものは?」
オッサン「……」
マスター「もう負けたな」
オッサン「ちょっと待て。今のは質問の設定が――」
おねーさん「始まったにゃ」
***
王子さまはカウンターに座った。
王子さま「きみはネコ?」
おねーさん「そうにゃ」
王子さま「白いね」
おねーさん「白いにゃ」
王子さま「ぼくはキツネを知ってるよ」
おねーさん「友達かにゃ?」
王子さま「そう、大切なともだちなんだ」
それで話は終わった。
***
王子さま「大人って変だよね」
オッサン「分かる」
マスター「早いな」
王子さま「家のことを話しても、きれいな花が咲いているとか、窓からハトが見えるとか言っても、どんな家か分かってくれないんだ」
オッサン「うん」
王子さま「値段を言うと、立派な家だって言うんだ」
オッサン「そうなんだよ!」
マスター「意気投合したな」
オッサン「評価するための情報がいくつもあるのに、価格っていう一つの尺度に落としてるんだよ」
王子さま「どうして?」
オッサン「比較しやすいからだろうな」
王子さま「比較しないといけないの?」
オッサン「いや」
王子さま「じゃあ、どうして比較するの?」
オッサン「……それ、俺も気になってた」
おねーさん「仲間を見つけたにゃ」
***
王子さま「大人は数字が好きなんだ」
オッサン「そうなんだよ」
王子さま「友達ができたって言っても、その子の声がどんな声かとか、どんな遊びが好きかとか聞かないんだ」
オッサン「年齢とか職業とか聞く」
王子さま「そう」
オッサン「分類できる情報を先に取るんだよな」
王子さま「どうして分類するの?」
オッサン「……」
マスター「答えろ」
オッサン「いや、分類自体は必要なんだよ。認識するためにはある程度――」
王子さま「どうして?」
オッサン「だから――」
王子さま「分類しないと、その人を知ったことにならないの?」
オッサン「そんなことはないよ」
王子さま「じゃあ、どうして?」
オッサン「お前、強いな」
おねーさん「オッサンが押されてるにゃ」
***
王子さま「ぼくの星には、バラがいるんだ」
オッサン「一輪?」
王子さま「うん」
オッサン「地球には、同じようなバラがたくさんあるぞ」
王子さま「知ってる」
オッサン「じゃあ――」
王子さま「でも、ぼくのバラとは違う」
オッサンが止まった。
マスター「どうした」
オッサン「いや」
王子さま「ぼくが水をやったから」
オッサン「うん」
王子さま「風よけを置いたから」
オッサン「うん」
王子さま「毛虫を取ってあげたから」
オッサン「うん」
王子さま「ぼくのバラだから」
オッサン「……そうだな」
おねーさんがオッサンを見た。
おねーさん「聞かないにゃ?」
オッサン「何を」
おねーさん「なぜ、そのバラでなければならないのか、とか」
オッサン「いいよ」
マスター「珍しいな」
オッサン「もう答えてるだろ」
***
王子さま「ともだちのキツネ」
オッサン「うん」
王子さま「仲良くなるには、時間がいるんだ」
オッサン「そうだな」
王子さま「毎日、少しずつ近くに座るんだ」
オッサン「うん」
王子さま「そうすると、その相手が特別になる」
オッサン「うん」
王子さま「でも、お別れすると悲しくなる」
オッサン「そうだな」
王子さま「それでも、仲良くする?」
オッサンは少し考えた。
オッサン「するな」
王子さま「どうして?」
オッサン「悲しくなるからって、最初から仲良くならない理由にはならないだろ」
王子さま「そうだね」
マスターがグラスを拭いている。
おねーさんは何も言わなかった。
***
しばらくして、王子さまが椅子から降りた。
王子さま「ぼく、行かなくちゃ」
オッサン「どこへ?」
王子さま「帰るんだ」
オッサン「バラのところ?」
王子さま「うん」
オッサン「そうか」
王子さま「うん」
オッサン「……もう少しいればいいのに」
王子さま「バラが待ってるから」
オッサン「そうだな」
マスターが手を止めた。
おねーさんがオッサンを見る。
オッサンは何も聞かなかった。
王子さま「きみは聞かないの?」
オッサン「何を?」
王子さま「どうして帰るのか」
オッサン「聞かない」
王子さま「どうして?」
オッサン「お前が帰りたいからだろ」
王子さまは笑った。
王子さま「うん」
オッサン「じゃあな」
王子さま「うん」
王子さまは歩いていった。
三人は、しばらく黙っていた。
***
オッサン「……なあ」
マスター「なんだ」
オッサン「俺、あいつともっと話したかったな」
マスター「ああ」
おねーさん「そうにゃ」
オッサン「聞きたいこと、いっぱいあったんだけどな」
マスター「ああ」
オッサン「でも、帰るって言うからさ」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「……帰っちゃったな」
マスター「ああ」
しばらく、誰も何も言わなかった。
カウンターの上には、読みかけの『星の王子さま』が置かれていた。
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