Scarborough Fair / Canticle Canticle
さっきまでカウンターの両端にいた男女は、もういない。
オッサンは、二人が消えたあたりをしばらく見ていた。
オッサン「マスター」
マスター「何だ」
オッサン「さっきの曲、もう一回かけて」
マスター「スカボロー・フェアか」
オッサン「うん」
マスターが曲をかけた。
聞き慣れた旋律が店内に流れ始めた。
おねーさん「また聴くにゃ?」
オッサン「ちゃんと聴けてなかったから」
三人は黙って聴いた。
しばらくして、おねーさんの耳が動いた。
おねーさん「……裏でも歌ってるにゃ」
オッサン「聞こえた?」
おねーさん「はいにゃ。でも、よく聞き取れないにゃ」
マスター「表の歌が強いからな」
オッサン「さっきの無理難題の部分だけ、耳に入りがちだよな」
おねーさん「シャツとか、土地とか、革の鎌にゃ?」
オッサン「そう。話として追えるし、さっき実物まで出てきた」
マスター「実物かどうかは知らん」
オッサン「まあいい」
おねーさんは、もう一度曲に耳を向けた。
おねーさん「裏は何を歌ってるにゃ?」
オッサン「Canticle」
おねーさん「カンティクル?」
オッサン「この曲、題名からして『Scarborough Fair/Canticle』なんだ。昔のバラッドに、別の歌を重ねてあるんだよ」
おねーさん「別の歌にゃ?」
オッサン「うん。元はポール・サイモンが前に書いた歌。それを作り直して重ねてる」
おねーさん「何の歌にゃ?」
オッサン「戦争」
おねーさん「戦争?」
オッサン「最初は丘の斜面の情景だ。そこに兵士がいる」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「そのうち戦争の命令が出てくる。兵士たちは戦ってる。でも、何のために戦ってるのか、その大義さえもう遠くなってる」
マスター「戦争だけが残ってるわけか」
オッサン「そういう感じだな。それから、死んだ兵士を思わせる情景も出てくる」
おねーさん「重いにゃ」
オッサン「かなりな」
三人はしばらく聴いた。
おねーさん「でも、表ではまだ恋人の話をしてるにゃ」
オッサン「そうなんだよ」
マスター「同時に進んでる」
おねーさん「変な組み合わせにゃ」
オッサン「さっき俺たち、シャツをどう作るとか、潮間帯で何を育てるとか、革の鎌でどう刈るとか、真剣に考えてたよな」
マスター「ああ」
オッサン「その後ろで、ずっと戦争してたんだな」
おねーさん「聞こえてなかったにゃ」
オッサン「聞こえてはいたんだと思う。でも、聞いてなかった」
マスター「違うな」
オッサン「うん」
曲は続いた。
オッサン「でも、これって変じゃないんだよな」
おねーさん「何がにゃ?」
オッサン「戦争してる間も、恋人同士は喧嘩するだろ」
マスター「ああ」
オッサン「別れたり、戻ろうか迷ったりもする」
おねーさん「ご飯も食べるにゃ」
マスター「仕事もする」
オッサン「子供も生まれる」
おねーさん「ネコも撫でるにゃ」
オッサン「それは重要だな」
マスター「そこに食いつくな」
少し聴いた。
オッサン「さっきの二人にとっては、恋人に戻るかどうかって、たぶん大問題だった」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「でも、Canticleの側から見たら、ものすごく小さな話に見える」
マスター「だから何だ」
オッサン「いや……小さいから、どうでもいいのかなって」
おねーさん「本人たちには大きいにゃ」
オッサン「そうなんだよな」
マスター「大きさが違うだけだ」
オッサン「戦争と恋愛を同じ尺度で測る必要もないか」
マスター「ああ」
曲が終わった。
しばらく誰も話さなかった。
***
オッサン「……でもさ」
マスター「何だ」
オッサン「さっき俺たち、不可能だって言われたことを、一個ずつ潰したよな」
マスター「ああ」
オッサン「縫い目のないシャツも作れる。海と岸の間にも土地はある。革の鎌でも刈れる」
おねーさん「全部できたにゃ」
オッサン「じゃあ、こっちは?」
おねーさん「こっち?」
オッサン「戦争をなくすこと」
少し沈黙した。
マスター「それも不可能課題だと言いたいのか」
オッサン「いや。そこなんだよ。不可能なのか?」
おねーさん「分からないにゃ」
オッサン「俺も分からない。でも『戦争はなくならない』って、普通に言うだろ」
マスター「ああ」
オッサン「さっきの女も、『無理』って言ってた」
おねーさん「全部できたにゃ」
オッサン「そうなんだよ」
マスター「だから戦争もなくせる、とはならんぞ」
オッサン「分かってる。そこまで言ってない」
おねーさん「じゃあ、何を言ってるにゃ?」
オッサン「不可能だと思うことと、不可能であることは違う」
マスター「ああ」
オッサン「それだけ」
少し沈黙した。
マスター「カントか?」
おねーさん「このままだと、入って行きそうにゃ」
オッサン「なんか、疲れた。今日もカントは出禁だ」
コメント
コメントを投稿
ご感想をどうぞ。コメントは承認後に公開されます。読者同士の議論ではなく、作品へのコメントとしてお寄せください。