第五話 空にできないゴミ箱
小さなバー。名前は《N+2》。
オッサンが、普段より真面目な顔で切り出した。
オッサン「この前の理科に関しては分かった」
マスター「何が」
オッサン「学校は歴史を早送りしてるわけじゃない。今ある知識を、教えられる順番に切って、つないでる」
おねーさん「ずいぶんちゃんと覚えてるにゃ」
マスター「で?嫌な予感がするが」
オッサン「で、他の分野はどうなんだろうと思って」
マスター「やっぱり、来たか」
オッサン「社会科」
マスター「またやるのか」
オッサン「やろう。おねーさんがカリキュラムを調べて、俺が歴史に置く。マスターが間違ってたら――」
マスター「待て」
オッサン「何」
マスター「役割を替える」
オッサン「なんで」
マスター「俺がカリキュラムを調べる」
オッサン「なんで」
マスター「お前、政経倫理で俺にツッコミができると思うのか?」
オッサン「……できないな」
おねーさん「できないにゃ」
マスター「二人で言うな」
おねーさん「私は?」
マスター「確認」
オッサン「俺は?」
マスター「考えろ」
オッサン「そこだけ替わってないじゃん」
マスターはスマホを取り出した。
マスター「中学からでいいな」
オッサン「小学校は、この前、外したからな」
マスター「中学。地理、歴史、公民」
オッサン「いきなり三つに切った」
おねーさん「どこで起きているか。いつ起きたか。今の社会がどうできているか、にゃ」
オッサン「空間、時間、現在か」
マスター「大雑把にはな」
オッサン「なるほど。社会そのものが三つに分かれてるわけじゃない。学ぶために三つに切ってる」
おねーさん「前の話と同じにゃ」
オッサン「単元よりでかい切り方だけどな」
マスター「全部見るか?」
オッサン「見ない。終わらない」
マスター「賢明だ」
オッサン「公民」
マスター「現代社会、経済、政治、国際社会」
オッサン「今度は現在を切ってる」
おねーさん「歴史みたいに時間で並べてないにゃ」
オッサン「もう分かってきた。何を理解させるかで切り方が変わるんだ」
マスター「高校へ行くぞ」
***
マスター「公共」
オッサン「いきなり公共?」
マスター「必修だ」
オッサン「政治史からじゃないの?」
マスター「違う」
オッサン「経済史も?」
マスター「違う」
マスター「社会の中でどう考え、判断し、関わるか」
オッサン「……あれ?」
おねーさん「どうしたにゃ」
オッサン「これ、何を教えるかより先に、どうなってほしいかがあるのか?」
おねーさん「そう見えるにゃ」
オッサン「理科より露骨だな。先にゴールがある」
マスター「それに必要なものを集める」
オッサン「政治も経済も歴史はある。でも政治史や経済史を最初から再生する必要はない」
おねーさん「現在を理解するのに必要な過去を持ってくればいいにゃ」
オッサン「切って、集めて、つなぐ。単元だ」
マスター「便利な言葉を覚えたな」
オッサン「あとは?」
マスター「倫理が残ってる」
おねーさん「来たにゃ」
オッサン「急に元気になったな」
おねーさん「専門にゃ」
***
マスター「源流思想」
オッサン「今度はどう切った?」
おねーさん「古代ギリシャから見るにゃ」
オッサン「ソクラテス、プラトン、アリストテレス」
おねーさん「はいにゃ」
マスター「今度は名前が出るな」
オッサン「俺だって昔は哲学青年だったんだよ」
マスター「昔は」
オッサン「そこを強調するな」
おねーさん「何を読んだにゃ?」
オッサン「『ソクラテスの弁明』とか。プラトンはいくつか読んだ。近代も読んだ。カントで何度か遭難した」
マスター「読めたのか」
オッサン「日本語なら」
おねーさん「日本語にゃ」
オッサン「その言い方、続きがあるだろ」
おねーさん「きっと、後でにゃ」
オッサン「嫌な予告だな」
少し間が空いた。
オッサン「そういや、何かの思想史の本の帯にあったな」
マスター「何が」
オッサン「最初からクライマックス」
おねーさん「古代ギリシャにゃ」
オッサン「そう。考えてみれば、その通りなんだよ」
マスター「何がクライマックスなんだ」
オッサン「善とは何か。正義とは何か。幸福とは何か。知るとは何か。どう生きるべきか。最初から大物ばっかりじゃん」
おねーさん「そうにゃ」
オッサン「じゃあ、ここから二千年以上かけて哲学が発展して――」
おねーさん「だから、もう既にクライマックスにゃ」
オッサン「やっぱり?」
おねーさん「ソクラテスより後なら、善とは何かを解かなくてよくなったかにゃ?」
オッサン「いや」
おねーさん「プラトンより後なら、正義とは何かは終わったかにゃ?」
オッサン「終わってない」
おねーさん「アリストテレスより後なら、幸福とは何か、よく生きるとは何かを考えなくてよくなったかにゃ?」
オッサン「終わってないな」
マスター「二千年以上、最初の問題が残ってるのか」
オッサン「やっぱり哲学史って、初級から上級へ進んでるわけじゃないんだよな」
おねーさん「最初から主要問題が出そろってるにゃ」
***
オッサン「でもその後にデカルトとかカントとか出てくるだろ」
おねーさん「出てくるにゃ」
オッサン「功利主義も」
おねーさん「出てくるにゃ」
オッサン「じゃあ発展はしてる」
おねーさん「カントさんはプラトンの新版かにゃ?」
オッサン「違う」
おねーさん「功利主義はカントさんの改良版かにゃ?」
オッサン「違う」
おねーさん「新しい思想が出たら、古い思想を捨てるかにゃ?」
オッサン「捨てない」
おねーさん「じゃあ何が新しくなったにゃ?」
オッサン「問い方も違う。答え方も違う。前提も違う」
おねーさん「そうにゃ」
オッサン「でも、プラトンがカントに更新されたわけじゃない」
おねーさん「そうにゃ」
オッサン「やっぱり哲学史って、旧型から新型への更新履歴じゃないんだよな」
マスター「それなら古いものが残ってても不思議じゃない」
オッサン「まあ、そうか」
少し間が空いた。
オッサン「そういや、さっきの話」
おねーさん「何にゃ?」
オッサン「俺がカントを読んだって言ったら、日本語にゃ、って言っただろ」
おねーさん「言ったにゃ」
オッサン「日本語で読んでも、カントを読んだでいいんだよな?」
おねーさん「もちろんいいにゃ」
オッサン「じゃあ、なんでわざわざ日本語って確認したの?」
おねーさん「何を知りたいかで変わるからにゃ」
オッサン「どういうこと?」
おねーさん「カントさんの考えを学ぶなら、信頼できる翻訳で読めるにゃ。でも、カントさんがある箇所で何と書いたか、その言葉をどういう意味で使ったかが問題になったら?」
オッサン「原文を見る」
おねーさん「はいにゃ」
マスター「ドイツ語」
オッサン「俺、第二外国語はドイツ語だったぞ」
マスター「読めるのか」
オッサン「カントを読めるほどやってねえよ」
おねーさん「翻訳で読むのも読むことにゃ。必要になったところで原語に戻ればいいにゃ」
オッサン「哲学って、そこまで本人に戻るんだな」
マスター「ニュートン力学では戻らないな」
オッサン「……確かに」
マスター「お前、力学を勉強するとき『プリンキピア』を読んだか?」
オッサン「読んでない」
マスター「ニュートンの英語やラテン語を確認したか?」
オッサン「してない」
おねーさん「でもニュートン力学は習ったにゃ?」
オッサン「習った」
マスター「何を」
オッサン「運動方程式とか」
マスター「ニュートン本人の書き方か?」
オッサン「違うな」
おねーさん「後から来た人が、必要な概念を取り出して、整理して、別の体系に入れ直してるにゃ」
マスター「物理なら数式にもできる」
オッサン「そうか。本人の文章から切り離せるんだ」
マスター「正しいかどうかも、ニュートンがどういうつもりだったかとは別に確かめられる」
オッサン「自然を見ればいい」
マスター「そうだ」
オッサン「じゃあ哲学もやればいいじゃん。カントから使えるところだけ取り出して、現代語で整理して」
おねーさん「誰が取り出すにゃ?」
オッサン「……後の研究者?」
おねーさん「何を『使えるところ』と決めるにゃ?」
オッサン「それも研究者」
おねーさん「それはもう、その人のカントさん解釈にゃ」
オッサン「あ」
おねーさん「整理することも、言い換えることも、何を残すか決めることも、全部解釈にゃ」
オッサン「だから、カントが何を考えたかを確かめようとすると」
おねーさん「カントさんに戻るにゃ」
オッサン「原典か」
おねーさん「そうにゃ」
オッサン「ニュートン力学が正しいか確かめる相手は?」
マスター「『プリンキピア』じゃない。自然だ」
オッサン「カントが何を考えたかを確かめる相手は?」
おねーさん「カントさんにゃ」
オッサン「じゃあ哲学は、いつまでたっても原典を捨てられない?」
おねーさん「捨てる理由がないにゃ。原典そのものが研究対象データでもあるにゃ」
少し間が空いた。
オッサン「なるほどな」
おねーさん「社会学でも同じことはあるにゃ。後世の教科書で整理して学べるけど、ある思想家が何をどう論じたかを問題にするなら、原典に戻る意味があるにゃ」
オッサン「自然科学は、概念を本人から切り離して、自然に照らして使い続けられる」
マスター「数式にまで落とせれば強い」
オッサン「哲学は、思想そのものを調べようとすると、本人に戻ってくる」
おねーさん「そうにゃ」
***
オッサン「昔からちょっと思ってたんだよ」
おねーさん「何をにゃ」
オッサン「哲学って、学問のゴミ箱なんじゃないかって」
マスター「元哲学青年が言うのか」
オッサン「哲学青年だったから言うんだよ」
おねーさん「……ゴミ箱という言葉は気に入らないにゃ」
オッサン「でも、自然哲学から自然科学が出ていっただろ」
マスター「うん」
オッサン「心理学も独立した」
おねーさん「そうにゃ」
オッサン「対象が決まって、ちゃんと調べる方法ができたものから、専門の学問になって出ていく」
おねーさん「かなり乱暴だけど、そういう面はあるにゃ」
オッサン「じゃあ構造としては?」
おねーさん「少し当たってるにゃ」
オッサン「認めた」
おねーさん「まだ固有の方法で処理できない問題。複数の学問にまたがる問題。そもそも、その学問が前提にしている概念を問う問題。そういうものは哲学に残りやすいにゃ」
マスター「測り方が決まれば科学になることもある」
おねーさん「対象と方法が固まって、独立した学問になることもあるにゃ」
オッサン「解けるようになったものから出ていく」
おねーさん「それだけじゃないにゃ」
オッサン「分かってる。でもゴミ箱説、完全な間違いでもないじゃん」
おねーさん「未分類箱くらいにするにゃ」
オッサン「それ、そういう箱っていうのは認めるんだ」
おねーさん「分類するという行為そのものを疑い始めたら、また戻ってくるにゃ」
オッサン「面倒くさい箱だな」
マスター「空にできないゴミ箱か」
おねーさん「マスターまで言うなにゃ」
***
オッサン「でも、そう考えると変だな」
マスター「何が」
オッサン「哲学は、解けるようになった問題を外へ出してきた」
おねーさん「そういう面はあるにゃ」
オッサン「それなのに、最初にいたソクラテスもプラトンもアリストテレスも、まだいる」
おねーさん「いるにゃ」
オッサン「二千年以上、捨てられなかった?」
おねーさん「捨てられなかったんじゃないにゃ」
オッサン「じゃあ何」
おねーさん「最初から、捨てられない問いを置いたにゃ」
オッサン「善とか、正義とか、幸福とか?」
おねーさん「知るとは何か。よく生きるとは何か。世界をどう捉えるか。人間とは何か」
オッサン「……最初からクライマックスだ」
おねーさん「そう言ったにゃ」
マスター「で、カリキュラムの話はどこへ行った」
オッサン「あ」
おねーさん「ゴミ箱に入ったにゃ」
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