第三話 普通と言っている奴も異常
小さなバー。名前は《N+2》。
いつものように、何の脈絡もなくオッサンが切り出した。
オッサン「なあ、この三人で、一番異常な奴は誰だ?」
マスター「お前だろ」
オッサン「即答するなよ」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「なんでお前まで同意するんだよ」
マスター「二対一だ」
オッサン「多数決で異常者を決めるな」
おねーさん「でも、何をもって異常とするかは決めないといけないにゃ」
オッサン「その前に全員ちゃんと比較しよう。俺だけ審査するな」
マスター「面倒だな」
オッサン「まずマスター。こいつはどうなんだ?」
おねーさん「普通にゃ」
マスター「普通だな」
オッサン「自分で言うな」
マスター「何か問題あるか」
オッサン「ないんだよ。それが腹立つんだよ」
おねーさん「仕事もしてるにゃ」
オッサン「店やって、植物も鳥も知ってて、機械も電気も分かる」
マスター「普通だろ」
オッサン「その『普通』が怪しくなってきたぞ」
マスター「次へ行け」
オッサン「じゃあ、おねーさん。哲学科卒のネコ。博士課程まで行って、今はここで働いてる」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「……まあ、普通か」
マスター「普通だな」
おねーさん「普通にゃ」
オッサン「じゃあ俺」
マスター「異常」
おねーさん「異常にゃ」
オッサン「だから即答するなって」
マスター「比較したぞ」
オッサン「何を比較したんだよ」
おねーさん「そこにゃ。何をもって異常とするかを決めてないにゃ」
オッサン「俺のどこが異常なんだ」
マスター「話が長い」
おねーさん「すぐ変なところに疑問を持つにゃ」
オッサン「哲学科卒に言われたくない」
おねーさん「私は普通に疑問を持ってるだけにゃ」
マスター「その点は同じだ」
オッサン「じゃあ三人とも普通じゃねえか」
マスター「結論が早い」
***
オッサン「そもそも異常って、何から外れてるんだ?」
おねーさん「平均から外れているという意味なら、統計的な異常にゃ」
マスター「だが、珍しいことと悪いことは別だ」
オッサン「身長二メートルの奴は珍しいけど、それで悪いとは言わないな」
おねーさん「逆に、ありふれていても、規範から外れていれば異常と呼ばれることはあるにゃ」
オッサン「じゃあ平均だけじゃ駄目か」
マスター「何の平均かという問題もある」
オッサン「日本人の平均とか?」
マスター「年齢でも職業でも場所でも変わる」
おねーさん「基準集団を変えれば、同じ人が正常にも異常にもなるにゃ」
オッサン「じゃあ、この三人を基準集団にしよう」
マスター「三人で統計を取るな」
オッサン「この中で一番異常な奴を決めるんだから、この三人でいいだろ」
おねーさん「平均との差なら、三人とも平均からずれるにゃ」
オッサン「平均そのものの人間はいないのか」
マスター「三人しかいないからな」
オッサン「使えねえな、平均」
マスター「使い方が悪い」
***
オッサン「じゃあ、普通って何だ?」
おねーさん「普通でないものが異常で、異常でないものが普通なら、循環するだけにゃ」
マスター「基準が要る」
オッサン「常識とか」
マスター「誰の常識だ」
オッサン「世間」
おねーさん「その世間の範囲を決めれば、また基準集団に戻るにゃ」
オッサン「戻ったな」
マスター「戻った」
オッサン「じゃあ、俺たち三人が全員、これは普通だと思ってることがあるとする」
おねーさん「この三人の中では普通にゃ」
オッサン「でも、外から来た奴が異常だと言ったら?」
マスター「そいつの基準では異常なんだろ」
オッサン「どっちが正しい?」
マスター「基準を出せ」
オッサン「出さないと?」
マスター「判定できん」
おねーさん「『異常』という言葉だけでは、対象についてほとんど何も言っていないのかもしれないにゃ」
オッサン「評価した側の基準も一緒に出さないと駄目なのか」
おねーさん「そうにゃ」
***
オッサン「でもさ。全員が普通だと思ってるのに、外から見たらものすごく変なことってあるだろ」
マスター「あるだろうな」
オッサン「外から来る奴がいなかったら、それは異常なのか?」
おねーさん「違いと、それを異常と評価することは分けた方がいいにゃ」
オッサン「違い?」
おねーさん「何かが他と違っていることと、その違いを正常からの逸脱として取り出すことは、同じではないにゃ」
マスター「違いはいくらでもあるからな」
オッサン「髪の色が違う。背が違う。利き手が違う」
マスター「全部拾ってたら全員異常だ」
オッサン「つまり、違いそのものが異常なんじゃない」
おねーさん「違いに意味を与えた評価に近いにゃ」
オッサン「誰も異常だと判断しなければ?」
おねーさん「違いは存在する。でも、『異常』という評価は存在しないにゃ」
オッサン「認識されない異常があるんじゃなくて……」
マスター「認識されていない違いがある」
オッサン「なるほど」
***
オッサン「じゃあ、俺たち三人が、ものすごく変なことを普通だと思っていても、自分たちには分からないってことだろ」
おねーさん「そうにゃ」
オッサン「俺たちにも何かあると思う?」
マスター「知らん」
おねーさん「自分で気付いてないなら、分からないにゃ」
ドアが開いた。
三人が振り向いた。
客が一人、入口に立っていた。
おねーさん「いらっしゃいにゃ」
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