第二話 バカって言う奴がバカ
小さなバー《N+2》。
いつものように、何の脈絡もなくオッサンが切り出した。
オッサン「なあ、この三人で、一番まともなのって誰だ?」
おねーさん「その問いを出した時点でオッサンは減点にゃ」
オッサン「待て。なんでだよ」
おねーさん「普通、自分を含む三人に順位をつけようとしないにゃ」
オッサン「そうやって即座に他人を評価する奴も、あんまりまともじゃないと思うぞ」
おねーさん「今、評価されたにゃ」
オッサン「先に評価したのはお前だろ」
マスター「二人ともまともじゃねえ」
オッサン「ほら」
おねーさん「自分だけ評価者の位置に逃げたにゃ。マスターも減点にゃ」
マスター「何でだ」
オッサン「三人とも減点されたな」
おねーさん「オッサンが最初に余計なことを聞いたからにゃ」
オッサン「それは俺がまともじゃないことの証拠になるのか?」
おねーさん「少なくとも加点材料ではないにゃ」
オッサン「じゃあ、まともな人間って、まともな質問をする人間なのか?」
マスター「話を広げるな」
オッサン「いや、待て。これ大事だぞ」
マスター「大事じゃない」
オッサン「まともな奴なら、まともな判断をするだろ?」
おねーさん「もう怪しいにゃ」
オッサン「なんで」
おねーさん「まともな人がいつもまともな判断をするとは限らないにゃ」
オッサン「でも、まともな判断をする確率は高いだろ」
マスター「何をもってまともとする」
オッサン「ほら。お前も入ってきた」
マスター「入ってない。定義を聞いてるだけだ」
おねーさん「定義を要求するのも、この問いへの応答にゃ」
マスター「違う」
オッサン「じゃあさ」
マスター「嫌な予感しかしない」
オッサン「正しい評価ができる人間は、まともだと言っていいんじゃないか?」
おねーさん「逆向きになったにゃ」
オッサン「何が?」
おねーさん「最初は『まともな人は正しい評価ができるか』だったにゃ。今度は『正しい評価ができる人はまともか』になったにゃ」
オッサン「両方成立したら綺麗じゃないか」
マスター「綺麗じゃねえ」
オッサン「まともさと評価能力が対応する」
おねーさん「その評価能力は、何で評価するにゃ」
オッサン「正しい評価をしたかどうか」
おねーさん「誰が正しいと評価するにゃ」
オッサン「……俺たち?」
マスター「やめろ」
***
オッサン「でも、三人いるんだから多数決でいいんじゃないか?」
マスター「自分を評価する投票が入るだろ」
オッサン「自分への投票は禁止」
おねーさん「二人が結託したら終わりにゃ」
オッサン「結託するような奴は減点」
おねーさん「その減点は誰が決めるにゃ」
オッサン「俺」
おねーさん「減点にゃ」
オッサン「なんでだよ」
おねーさん「自分で評価基準を追加したにゃ」
オッサン「でも合理的だろ」
マスター「合理的かどうかを今評価するな」
オッサン「お前、今俺の評価を評価したぞ」
マスター「……」
おねーさん「入ったにゃ」
マスター「入ってねえ」
オッサン「いや、入った」
マスター「面倒くせえな」
おねーさん「面倒くさがったにゃ。減点にゃ」
オッサン「評価者としての信頼度が下がるな」
マスター「信頼度?」
オッサン「こいつの評価は信用できる、こいつの評価は信用できないってあるだろ」
おねーさん「あるにゃ」
オッサン「だったら、三人の評価を同じ重さで扱う必要はない」
マスター「それなら評価者ごとに重みを付ければいい」
少し間があいた。
おねーさん「それにゃ」
オッサン「さすがシステム屋」
マスター「信用できる奴の評価を重く、信用できない奴の評価を軽くする」
オッサン「解決したじゃん」
おねーさん「してないにゃ」
マスター「何でだ」
おねーさん「その信頼度を誰が評価するにゃ」
マスター「……」
オッサン「俺たちだな」
マスター「待て」
オッサン「俺のまともさが上がれば、俺の評価の重みも上がる」
おねーさん「その評価で私のまともさが変われば、私の評価の重みも変わるにゃ」
オッサン「それで俺のまともさがまた変わる」
おねーさん「しかも、重みを提案したマスターの評価能力も評価できるにゃ」
マスター「するな」
オッサン「でも今の提案、かなり良かったぞ」
おねーさん「じゃあマスターは加点にゃ」
オッサン「マスターの信頼度が上がった」
マスター「上げるな」
オッサン「すると、最初の『二人ともまともじゃねえ』の重みも上がる」
マスター「止めろ」
***
オッサン「これ、計算できないか?」
マスター「するな」
おねーさん「でも数値化すれば整理できそうにゃ」
マスター「お前まで言うな」
オッサン「初期値を全員一〇〇にしよう」
おねーさん「何で一〇〇にゃ」
オッサン「俺たち、基本的にはまともだろ」
おねーさん「その前提を誰が評価したにゃ」
オッサン「俺」
おねーさん「じゃあ、その一〇〇にもオッサンの信頼度を掛ける必要があるにゃ」
オッサン「初期値を決める前に信頼度が要るのか」
マスター「だからやめろと言ってる」
オッサン「でも信頼度の初期値も要るよな」
おねーさん「その初期値の信頼度も要るにゃ」
オッサン「待て待て」
マスター「お前が始めたんだ」
オッサン「循環してるなら、解ける場合もあるだろ。連立方程式みたいに」
マスター「場合による」
おねーさん「固定点を探すにゃ?」
マスター「……まあ、そうなる」
オッサン「三人の評価が、それ以上変わらないところを探せばいい」
おねーさん「でも途中で、誰かの評価方法がおかしいと分かったら?」
オッサン「そいつの信頼度を変える」
おねーさん「そうすると固定点が変わるにゃ」
オッサン「じゃあ計算し直す」
マスター「評価方法を変えるたびに系そのものが変わるぞ」
オッサン「じゃあ、その変更が妥当かどうかも評価する」
マスター「するな」
おねーさん「でも評価しないと、変更を採用していいか分からないにゃ」
オッサン「その評価をした奴の信頼度も――」
マスター「増やすな」
オッサン「何を?」
マスター「状態変数だ」
おねーさん「もう三人のまともさだけじゃないにゃ」
オッサン「まともさ、評価能力、信頼度」
おねーさん「評価基準の妥当性もあるにゃ」
オッサン「評価基準を変更する能力も」
マスター「増やすなと言ってる」
おねーさん「その判断は妥当かにゃ?」
マスター「……」
オッサン「マスターの評価能力を再評価する必要が出たな」
マスター「ない」
おねーさん「『ない』という判断の信頼度は?」
マスター「黙れ」
***
しばらく三人とも黙った。
オッサン「……これ、発振してないか?」
マスター「違う」
オッサン「違うの?」
マスター「これは発振じゃない。発散だ」
おねーさん「どう違うにゃ」
マスター「発振なら、少なくとも何かが行ったり来たりしてる。今は評価するたびに新しい評価項目が増えてる。系そのものが膨らんでる」
オッサン「でも、さっきから俺の評価が下がったり戻ったりしてるぞ」
マスター「それは振れてる。だが、それだけじゃねえ。評価項目そのものが増えてる」
おねーさん「振れながら膨らんでるにゃ」
オッサン「じゃあ、発振しながら発散してる?」
マスター「雑にまとめるな」
おねーさん「今のまとめ方は減点にゃ」
オッサン「その評価の重みは?」
おねーさん「私の信頼度次第にゃ」
オッサン「その信頼度を決めるには、最初の評価まで戻る」
マスター「戻るな」
オッサン「この三人で、一番まともなのって誰だ?」
おねーさん「その問いを出した時点で――」
マスター「やめろ!」
ドアが開いた。
三人が振り向いた。
客が一人、入口に立っていた。
客「……」
オッサン「……」
おねーさん「……」
マスター「……」
客「……店、間違えました」
ドアが閉まった。
三人「…………」
しばらくして、マスターがグラスを拭き始めた。
オッサン「……なあ」
マスター「黙って飲め。仕事しろ」
おねーさん「はいにゃ」
+++
後日談
オッサン「なあ。この前のあれさ」
おねーさん「何にゃ」
オッサン「結局、『バカって言う奴が一番バカなんだぞー』っていう、小学生の喧嘩を大の大人が大真面目にやってただけじゃね?」
おねーさんの耳がぴくっと動いた。
マスターの眉がぴくっと動いた。
少し間があいた。
マスター「黙って飲め。仕事しろ」
おねーさん「はいにゃ」
コメント
コメントを投稿
ご感想をどうぞ。コメントは承認後に公開されます。読者同士の議論ではなく、作品へのコメントとしてお寄せください。