第十五話 何周目?

小さなバー。名前は《N+2》。

オッサンが、カウンターで雑誌をめくっている。

おねーさん「珍しいもの読んでるにゃ」

オッサン「カメラ雑誌」

マスター「見れば分かる」

オッサン「買ったの、たぶん二十年ぶりくらい」

おねーさん「そんなに読んでなかったのかにゃ」

オッサン「昔は定期的に買ってたんだよ。毎月じゃないけど、興味を惹かれた記事があると買ってた」

マスター「じゃあ、なんでやめた」

オッサン「一周したから」

マスター「何が」

オッサン「内容が」

おねーさん「一周するのかにゃ」

オッサン「するんだよ。春になると花を撮ろう。秋になると紅葉を撮ろう。冬になると雪景色。新しいカメラが出れば比較記事。あとは構図とか露出とか、レンズの使い分けとか」

マスター「写真を撮るなら普通の話だろ」

オッサン「普通なんだけど、何年か読んでると、『これ前にも読んだな』って記事が増えてくるんだよ」

おねーさん「それで買わなくなったにゃ」

オッサン「そう。で、この前、本屋に行ったらたまたま目に入ってさ。懐かしくなって買った」

マスター「二十年ぶりに」

オッサン「二十年もたったら、さすがにどうなってるんだろうと思って」

おねーさん「どうなってたにゃ」

オッサン「同じだった」

マスター「二十年待ったのにな」

オッサン「待ってたわけじゃない」

***

オッサン「この話をネコ飼ってる知り合いにしたら、ネコ雑誌も同じだって言うんだよ」

おねーさん「ネコ雑誌もにゃ?」

オッサン「ネコの気持ちを知ろうとか、健康とか、食事とか、長生きとか、変な行動の理由とか。やっぱり似たような特集が定期的に回ってくるらしい」

おねーさん「ネコは二十年でそんなに変わらないにゃ」

マスター「カメラはずいぶん変わったけどな」

オッサン「そこなんだよ。カメラなんて、この二十年でものすごく変わっただろ。フィルムからデジタルになって、一眼レフからミラーレスになって、AFも手ぶれ補正もすごくなった」

マスター「それでも構図は構図だし、露出は露出だ」

オッサン「花も紅葉もまだある」

おねーさん「ネコもいるにゃ」

オッサン「いるな」

おねーさん「で、その知り合いは今も買い続けてるのかにゃ」

オッサン「ああ。付録が欲しいんだって」

おねーさん「付録にゃ」

オッサン「ネコのカレンダーとか、ポーチとか、そういうの」

マスター「記事はどうした」

オッサン「知らん。付録が欲しいって言ってた」

おねーさん「雑誌の立場が弱いにゃ」

オッサン「カメラ雑誌も、カメラを付録につけてくれれば買うんだけどな」

マスター「雑誌より高いだろ」

オッサン「レンズでもいい」

マスター「もっと高い」

***

マスター「でも、二十年前と同じような記事で今も売れるなら、読む奴がいるんだろ」

オッサン「いるんだろうな」

マスター「じゃあ別に問題ないじゃないか」

オッサン「いや、でも同じだぞ」

おねーさん「オッサンには、にゃ」

オッサン「ん?」

おねーさん「初めてカメラを買った人なら、露出の記事を初めて読むかもしれないにゃ」

オッサン「ああ」

マスター「お前だって最初は読んだんだろ」

オッサン「読んだ」

マスター「役に立ったのか」

オッサン「たぶん」

マスター「じゃあいいだろ」

オッサン「待てよ。雑誌の中では同じ記事が回ってるけど、読んでる人間が回ってるのか」

おねーさん「同じ人が二十年間ずっと初心者ではないにゃ」

オッサン「俺みたいに入って、しばらく読んで、だいたい分かったら出ていく」

マスター「その間に別の奴がカメラを買う」

オッサン「そいつが入ってくる」

おねーさん「記事は同じところに戻ってきても、読者は同じとは限らないにゃ」

オッサン「なるほどな」

マスター「何を今さら感心してるんだ」

オッサン「いや、俺ずっと、雑誌がネタ切れになって同じ記事を繰り返してるんだと思ってた」

マスター「それもあるかもしれん」

おねーさん「両方かもしれないにゃ」

オッサン「そこは否定してくれよ」

***

オッサンが雑誌を閉じた。

少しして、また開いた。

オッサン「……自己啓発本も同じじゃないか?」

マスター「何でそこへ行く」

おねーさん「また始まったにゃ」

オッサン「だってそうだろ。目標を持て。行動しろ。失敗を恐れるな。考え方を変えろ。他人と比べるな」

マスター「まあ、よく見るな」

オッサン「何十年と、同じこと言ってるんだよ」

おねーさん「何十年、同じ人が読んでるわけじゃないにゃ」

オッサン「そう。毎年、新しく社会人になる奴がいる。初めて仕事で失敗する奴もいる。初めて部下を持つ奴もいる」

おねーさん「初めて将来が不安になる人もいるにゃ」

オッサン「初めて自分は幸せなんだろうかって考える奴もいる」

マスター「人間の方が供給され続けるわけだ」

オッサン「その言い方、ひどくない?」

マスター「お前が言いそうなことを先に言った」

オッサン「言おうと思ってた」

***

オッサン「そうすると、『思考は現実化する』なんて典型だな」

おねーさん「ナポレオン・ヒルにゃ?」

オッサン「そう。古典的自己啓発本だろ。今でも読まれてる」

マスター「古いから間違ってるとは限らん」

オッサン「そういう話じゃない。何十年も前の自己啓発本が今でも読めるって、ちょっと面白くないか?」

おねーさん「どこがにゃ」

オッサン「社会が変わった。仕事も変わった。でも、自己啓発本に書いてある悩みは、そんなに変わってない」

マスター「人間がそんなに変わってないんじゃないか」

オッサン「そこ」

おねーさん「でも、それだけでは言えないにゃ」

オッサン「何で?」

おねーさん「自己啓発本そのものを研究対象にしている人はいるにゃ」

オッサン「いるの?」

おねーさん「いるにゃ。例えば社会学者のミッキ・マギーは、自己啓発文化を、社会や雇用の変化の中で、人間が自分自身を作り直し続けることと結びつけて研究しているにゃ。昔の成功哲学や自己啓発の考え方が、後の自己啓発でも繰り返し使われることも扱ってるにゃ」

オッサン「本当に循環を研究してる奴がいた」

マスター「お前より先にな」

オッサン「研究してないって。俺は面白がってるだけ」

おねーさん「エヴァ・イルーズは、自己啓発だけじゃなくて、心理学やセラピーの言葉が、現代人が自分自身をどう理解して、どう自分の人生を語るかまで変えてきたと論じてるにゃ」

オッサン「自己啓発本の内容じゃなくて、それを読む人間の方を見るのか」

おねーさん「両方を見るにゃ。どういう悩みが問題として語られて、どういう自己が望ましいものとして提示されるか。そういう言説を追えば、その時代が人間をどう見ていたかも見えてくるにゃ」

オッサン「へえ」

おねーさん「自己啓発本がどんな『自己』を想定して、どんな人間像を望ましいものとして提示するかを調べる研究もあるにゃ。だから自己啓発本そのものが研究資料になりうるにゃ」

オッサン「じゃあ、古い自己啓発本と今の自己啓発本を並べたら?」

おねーさん「変わったところと、繰り返されているところは見られるにゃ」

オッサン「例えば?」

おねーさん「何を目指すかは変わるにゃ。富とか出世とか社会的成功が強く出る時代もあれば、幸福とかウェルビーイング、自分らしさ、自己受容が前に出る時代もあるにゃ」

オッサン「ゴールの流行が変わるのか」

おねーさん「そういう単純な時代区分はできないけど、何が望ましい人生として強調されるかにはトレンドがあるにゃ」

マスター「評価関数の流行だな」

オッサン「評価関数にも流行があるのか」

おねーさん「あるにゃ。でも、その下で繰り返されるものもあるにゃ。目標を持て、行動しろ、習慣を変えろ、自分を信じろ、失敗しても続けろ」

オッサン「そこは変わらない」

おねーさん「少なくとも、繰り返し現れるにゃ」

オッサン「ちょっと待って。おねーさん、専門は哲学だよな」

おねーさん「そうにゃ」

オッサン「この分野、専門外だよね」

おねーさん「えっ、あー」

オッサン「なんで、そんなに詳しいの?」

おねーさん「…にゃ、一つは、哲学が扱う領域が広いこと」

オッサン「それは知ってる。で、他には」

おねーさん「うにゃ…仕事で調べたことがあるにゃ」

オッサン「仕事?」

おねーさん「出版社でリサーチのアルバイトもしてるにゃ」

マスター「聞いてないぞ」

おねーさん「言ってないにゃ」

マスター「言ってくれれば良かったのに」

おねーさん「はいにゃ」

マスター「無理はするなよ」

おねーさん「はいにゃ」

オッサン「で、自己啓発本を調べてたの?」

おねーさん「自己啓発本という括りじゃにゃいけど、前に頼まれたことがあるにゃ。昔の本とか、研究とか、いろいろ読んだにゃ」

オッサン「それでそんなに出てくるのか」

おねーさん「全部覚えてるわけじゃないにゃ」

マスター「そこは普通なんだな」

おねーさん「どこも普通にゃ」

オッサン「本人が言うと怪しいんだよ」

オッサン「で、話を戻して、もっと根っこのところは?」

おねーさん「今の例からなら、人は目標を必要とする、人は思ったようには行動できない、人は習慣に引っ張られる、人は失敗すると諦める、自分への評価が行動に影響する――そういう人間像を自己啓発本が繰り返し前提にしている、と読むことはできるにゃ」

オッサン「ああ、そっちか」

マスター「『行動しろ』が本質なんじゃない。なぜ何度も『行動しろ』と言う必要があるのか、だな」

オッサン「人間は、放っておくと思った通りには行動しない」

おねーさん「という仮説は立てられるにゃ」

オッサン「『失敗を恐れるな』が百年続くなら、人間は失敗を恐れる」

マスター「かもしれない」

オッサン「『他人と比べるな』が何度も出てくるなら、人間は他人と比べる」

おねーさん「それも候補にゃ」

オッサン「『自分を信じろ』がなくならないなら、人間は自分を信じられなくなる」

マスター「だんだん自己啓発本を裏から読んでるな」

オッサン「そうか。書いてある教訓じゃないんだ。何度も同じ教訓を書かなきゃならない理由の方を見るのか」

おねーさん「はいにゃ」

オッサン「だったら、変わる方には時代が見えて、変わらない方には人間が見えるんじゃないか?」

おねーさん「そこで『人間の本質』まで行くと飛躍にゃ」

オッサン「でも、本質候補ではあるだろ?」

おねーさん「候補ならいいにゃ。社会の仕組みが同じ問題を繰り返し作っている可能性もあるし、自己啓発というジャンルが同じ人間像を再生産している可能性もあるにゃ」

マスター「だから、変わらないものを見つけたら終わりじゃない。なぜ変わらないかを次に見る」

オッサン「でも面白いな。自己啓発本を百年分並べたら、二つ見えるんだ」

おねーさん「時代によって変わるものと、時代を越えて繰り返されるものにゃ」

オッサン「トレンドと、人間の本質」

マスター「候補、を忘れるな」

オッサン「分かってるよ。だから茶化す価値があるんじゃないか」

おねーさん「研究する気はないのに、研究の問いだけ作ってるにゃ」

オッサン「だって、面白いじゃん」

マスター「遊び方が面倒なんだよ」

オッサン「遊ぶなら真面目に遊ばないと面白くないだろ」

***

オッサンは、もう一度カメラ雑誌を開いた。

オッサン「そう考えると、この雑誌も悪くないな」

マスター「二十年ぶりに評価が上がったか」

オッサン「いや、来月は買わない」

おねーさん「もう一周したにゃ?」

オッサン「一冊で思い出した」

マスター「早いな」

オッサン「でも、カメラが付録についたら買う」

マスター「まだ言ってるのか」

おねーさん「写真撮影モデル用のネコが付録ならどうするにゃ」

オッサン「買う」

マスター「生き物を付録にするな」

オッサン「いや、待て。うちはもう増やせない」

おねーさん「即答を撤回したにゃ」

オッサン「ネコは可愛いだけじゃ飼えないんだよ」

マスター「急にまともになったな」

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