第十三話 もっと小さな花を撮りたい
小さなバー。名前は《N+2》。
オッサンが、スマホを真剣にいじっている。さっきから同じような検索を繰り返しているようだ。
オッサン「ないなあ」
マスター「何が」
オッサン「ステレオアダプター」
マスター「……やめたんじゃなかったのかよ」
オッサン「やめたよ」
マスター「じゃあ何で探してる」
オッサン「欲しいから」
マスター「買うな」
おねーさん「早いにゃ」
オッサン「いや、考えてみろよ。ちっぽけな花を撮るだろ」
マスター「お前はな」
オッサン「あれを立体で撮ったら面白いと思わない?」
マスター「前にも思っただろ」
オッサン「思った」
マスター「それで生成AIでステレオグラムを作れば良いって話になっただろ」
オッサン「なった」
マスター「じゃあ何で探してる」
オッサン「だから、欲しいんだよ」
マスター「買うな」
おねーさん「目的が一周して消えたにゃ」
オッサン「……あ」
マスター「余計なこと言うな」
オッサン「待てよ。最初は、ちっぽけな花を立体で残したかったんだよ」
おねーさん「それが目的だったにゃ」
オッサン「でも生成AIでステレオグラムそのものは作れる」
マスター「もう確認した」
オッサン「なのに俺は、実物のステレオアダプターが欲しい」
マスター「物欲だ」
オッサン「そうなんだけどさ。だったら、このアダプターは何の手段なんだ?」
マスター「物欲を満たす手段だ」
オッサン「……それだ」
マスター「何が」
オッサン「目的と手段だよ」
マスター「またでかくしたな」
オッサン「最初は、欲しい画像を得るのが目的だった。そのためにステレオアダプターを探してた」
おねーさん「でも、生成AIで画像そのものは作れるにゃ」
オッサン「そう。だったらアダプターは要らないはずなんだよ。でも欲しい」
マスター「物欲だからな」
オッサン「それだけなのか? 自分で実写することにも意味があるなら、撮影は単なる手段じゃないってことだったろ?」
おねーさん「目的の中に手段が入り込んでるにゃ」
オッサン「そう。それで思ったんだよ」
マスター「何を?」
オッサン「前に、俺が何を『ちっぽけなもの』として撮ってるのかって話をしただろ」
おねーさん「何を同じものとして見てるのか、って話にゃ」
オッサン「そう。あれはWhatの話だった。何を撮るのか。何を『ちっぽけ』として見るのか」
マスター「今回は?」
オッサン「Howだ」
マスター「どう撮るか」
オッサン「そう。でも、絞りとかシャッタースピードの話じゃない。目的にどうやって辿り着くか、って方のHow」
おねーさん「何を得たいかがWhatで、そこへどうやって行くかがHowにゃ」
オッサン「そう。普通ならWhatが目的で、Howは手段だろ」
マスター「普通はな」
オッサン「ところが、ステレオグラムでそれが怪しくなった。欲しい画像だけがWhatなら、生成AIで作れば済む」
おねーさん「でもオッサンは、自分で撮りたいにゃ」
オッサン「そう。つまりHowだったはずの『自分で撮る』が、Whatの中に入り込んでる」
マスター「目的と手段の境界が動いたわけだ」
オッサン「そういうこと。で、Field Studioも同じじゃねえかと思ったんだよ」
マスター「またあれか」
オッサン「五ミリの花を撮りたいから作った。最初は完全に手段だった」
マスター「そうだな」
オッサン「でも三灯にして、傘付けて、銀面付けて、リグ組んで、電源考えて、傘の持ち手まで切って――」
マスター「最後のは本当に必要だったのか」
オッサン「必要だった」
おねーさん「即答したにゃ」
オッサン「で、あれを使うようになってから、撮りたい写真そのものが変わってるんだよ」
マスター「それなら単なる手段の目的化じゃない」
オッサン「ん?」
マスター「最初は目的があって、それに合わせて装置を作った。装置ができたら、それまでできなかったことができるようになった」
オッサン「そう」
マスター「できることが増えたから、次の目的が変わった」
オッサン「そうなんだよ」
マスター「ならフィードバックだ」
おねーさん「目的が方法を作って、その方法が次の目的を作るにゃ?」
マスター「そういう系だ」
オッサン「じゃあ、手段が目的化したわけじゃない?」
マスター「それとは分けろ。装置を改良することだけが楽しくなって、花を撮らなくなったら自己目的化だ」
オッサン「危ないところだったな」
マスター「危なかったのか」
オッサン「一時期ちょっと」
おねーさん「傘の持ち手を切って、三脚に付けられるようにネジまで切ってた頃かにゃ?」
オッサン「あれは必要な改造だ」
マスター「楽しんでただろ」
オッサン「否定はしない」
マスター「システムとしては珍しくない。目的に合わせて系を変える。系が変われば、できることが増える。できることが増えれば、次に何を目指すかも変わる」
オッサン「ぐるぐる回るわけか」
マスター「回る。ただし同じところを回るわけじゃない」
オッサン「螺旋か」
マスター「そう考えてもいい」
***
おねーさん「でも、それって哲学的には少し変なことになるにゃ」
オッサン「何が?」
おねーさん「私たちは普通、何かをしたいから道具を選ぶと思ってるにゃ」
オッサン「うん」
おねーさん「でも今の話では、道具を持ったから、それまで欲しくもなかったものを欲しくなってるにゃ」
オッサン「……そうなるな」
おねーさん「だったら、目的は本当に私たちが先に決めているのかにゃ?」
オッサン「おお」
マスター「俺はそこまでは言ってない」
おねーさん「そこから先は私の仕事にゃ」
オッサン「じゃあ哲学の時間だ」
マスター「勝手にやれ」
おねーさん「まず、道具を単なる手段だと考える見方は、とても古くからあるにゃ。何か目的があって、その目的を達成するために道具を使う。道具の価値は、目的に役立つかどうかで決まるにゃ」
オッサン「普通だな」
おねーさん「普通すぎて、普段は疑わないにゃ。でも近代になると、目的に対して最も効率のいい手段を選ぶ、という考え方がものすごく強くなったにゃ」
オッサン「合理化?」
おねーさん「そうにゃ。ウェーバーが考えた合理化にもつながるにゃ。何をどうすれば、より計算可能で、予測可能で、効率よく目的を達成できるか」
マスター「工学なら当たり前だ」
おねーさん「それだけなら問題ないにゃ」
マスター「外では違うのか」
おねーさん「問題は、その考え方を何にでも使い始めることにゃ」
オッサン「例えば?」
おねーさん「仕事なら分かりやすいにゃ。売上を増やすのが目的なら、そのために数字を集める。市場を分類する。指標を作る。効率のいい施策を選ぶ」
オッサン「普通にやってるな」
おねーさん「ところが、そのうち数字にできるものばかりを見るようになるにゃ」
オッサン「ああ」
マスター「測れないものを無視するのか」
おねーさん「そうにゃ。そして最後には、測れないものは重要ではないように感じ始めるにゃ」
オッサン「あるな、それ」
マスター「測定系の限界を対象の限界と取り違えてるだけだ」
おねーさん「そこにゃ」
オッサン「マスターの話と哲学がつながったな」
マスター「最初から同じところを見てる。言い方が違うだけだ」
おねーさん「方法は、世界を見るための透明な窓じゃないにゃ。方法によって、見えるものと見えないものが決まるにゃ」
オッサン「写真そのものじゃねえか」
おねーさん「そうにゃ?」
オッサン「昔は花を見つけたら、そのまま撮ってた。今は背景を落として、光を作って、余計なものを消して撮ってる」
マスター「消したものも世界にはある」
オッサン「分かってるよ」
マスター「ならいい」
おねーさん「でも、方法によって見えるものが変わることは、悪いことなのかにゃ?」
オッサン「そこなんだよ」
おねーさん「方法を持ったことで、それまで見えなかったものが見えるようになった。それなら方法は世界を狭めただけじゃなくて、世界を広げてもいるにゃ」
マスター「顕微鏡と同じだな」
オッサン「ああ」
マスター「顕微鏡がなければ微生物は見えない。望遠鏡がなければ木星の衛星も見えない」
おねーさん「そして、見えた後で初めて、『もっと詳しく見たい』という目的が生まれるにゃ」
オッサン「目的が方法より後から生まれる」
おねーさん「そういう場合もあるにゃ」
オッサン「じゃあ、目的が先で手段が後、というのは半分しか合ってないんだな」
マスター「少なくとも探索ではな」
オッサン「研究もそうだな」
マスター「当然だ。最初から何が見つかるか分かってたら研究にならん」
***
おねーさん「ここで少し話を変えるにゃ」
オッサン「まだ行くのか」
おねーさん「ハイデガーにゃ」
マスター「出たな」
オッサン「道具の話なら来ると思った」
おねーさん「ハイデガーは、道具を単独の物として考えなかったにゃ。例えばハンマーは、ただ木と鉄でできた物体じゃない。釘を打つこと、板を組むこと、何かを作ること。そういう関係の中で初めてハンマーとして現れるにゃ」
オッサン「使ってるときは、ハンマーそのものを意識しない?」
おねーさん「そうにゃ。うまく働いている道具は、むしろ意識から消れるにゃ」
マスター「壊れたら急に道具そのものを見る」
おねーさん「そう。そこで初めて『これは物だった』と気づくにゃ」
オッサン「V3が壊れたら、俺は存在論に目覚めるわけか」
マスター「その前に泣くだろ」
オッサン「泣く」
おねーさん「でもField Studioは少し変にゃ」
オッサン「何が?」
おねーさん「普通の道具なら、うまく使えるようになるほど意識から消えていくはずにゃ。でもオッサンの場合、道具を作りながら撮り方そのものを発見してるにゃ」
オッサン「道具が消えない」
おねーさん「消えないどころか、道具とのやり取りの中で、何を撮りたいかまで変わってるにゃ」
マスター「開発中だからだろ」
おねーさん「それもあるにゃ。でも完成したら、本当に終わるかにゃ?」
オッサン「終わらない気がする」
マスター「終われ」
オッサン「無理だろ。実際に使ったらまた何か見つかる」
マスター「それなら改良する理由はある」
オッサン「だろ?」
マスター「ただし、改良する理由が『もっと良く撮れる』から『改良できるから』に変わったら止めろ」
オッサン「厳しいな」
マスター「目的関数を見失ってる」
おねーさん「それが本当の意味での自己目的化なのかもしれないにゃ」
オッサン「方法が目的を変えるのはいい。でも方法そのものしか見えなくなったら危ない」
マスター「そういうことだ」
オッサン「境界はどこだ?」
マスター「知らん」
オッサン「おい」
マスター「外から一意に決められると思うな。お前が何を目的にしてるかによる」
***
おねーさん「最初のステレオグラムに戻るにゃ」
オッサン「ああ」
おねーさん「生成AIで作ったステレオグラムと、自分で撮ったステレオグラム。見た目が同じだったとするにゃ」
オッサン「うん」
おねーさん「それでも実写したい?」
オッサン「したい」
おねーさん「だったら、オッサンにとって撮影は単なる手段じゃないにゃ」
オッサン「撮ることも目的に入ってる」
マスター「最初からそう言えばいい」
オッサン「でもField Studioはもっとややこしいな」
おねーさん「どうしてにゃ?」
オッサン「撮るために作った道具なのに、あれを作ったせいで、撮りたいものまで変わった」
マスター「だからフィードバックだ」
オッサン「俺が道具を作って、道具が俺の目的を変えた」
おねーさん「そして変わった目的が、また道具を変えるにゃ」
オッサン「どっちが主人なんだ?」
マスター「その問いが間違ってる」
オッサン「何で」
マスター「閉じたループに主人も従者もない」
オッサン「また格好いいこと言いやがった」
マスター「普通の制御系の話だ」
オッサン「じゃあ、方法って何なんだろうな」
マスター「目的を達成する手段だ」
オッサン「話を戻すなよ」
マスター「間違ってない」
おねーさん「間違ってはいないにゃ。でも、それだけでもないにゃ」
オッサン「目的を達成する手段であり、次の目的を見つける装置でもある?」
おねーさん「それが近いにゃ」
マスター「探索系ならな」
オッサン「仕事も研究も写真も、案外そうなのかもしれんな」
おねーさん「人生も――」
マスター「そこまで広げるな」
オッサン「いや、広げようぜ」
マスター「酒飲んで人生論を始めるオッサンが一番面倒なんだ」
おねーさん「でも、ちょっとだけなら言えるにゃ」
マスター「言うのか」
おねーさん「最初に決めた目的を最後まで守ることだけが、一貫性じゃないにゃ。何かをやって、それまでできなかったことができるようになって、目的が変わったなら、それは迷走とは限らないにゃ」
オッサン「方法によって可能性が広がった結果かもしれない」
おねーさん「そうにゃ」
マスター「ただし、道具いじりだけして何も見なくなったら迷走だ」
オッサン「分かってるよ」
マスター「本当に?」
オッサン「……明日、傘の取り付け位置をちょっと変えようと思ってる」
マスター「花を撮れ」
おねーさん「五ミリのでいいにゃ」
オッサン「結局そこに戻るのか」
マスター「戻ったんじゃない」
オッサン「ん?」
マスター「前とは違う目的で撮るんだろ」
オッサン「……そうだな」
おねーさん「同じ五ミリでも、もう同じ五ミリじゃないにゃ」
オッサン「哲学っぽく締めやがった」
マスター「で、ステレオアダプターは買うのか」
オッサン「だから、ないんだよ」
おねーさん「そこは何も進んでないにゃ」
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