第三話 水栓から旧ソ連まで

小さなバー。名前は《N+2》。

マスターが、カウンターの奥で何かを調べている。どうやら店の水栓の具合が悪いらしい。

オッサン「この前さ、我が家の水栓から水が漏れ始めたんだよ」

マスター「パッキンか」

オッサン「俺もそう思った。昔ならパッキン交換して終わりだろ。ところが今のはレバー式の混合水栓でさ」

マスター「カートリッジだな」

オッサン「そう。調べたら部品だけ替えるにしても専用工具が要る。面倒になって、結局アッセンブリーごと交換」

マスター「よくある」

おねーさん「便利になったのに、直せなくなったにゃ?」

オッサン「そうなんだよ。使うときは圧倒的に便利なんだ。片手で流量も温度も変えられる。でも壊れた瞬間、昔より手が出せない」

マスター「機能を部品側に持たせたんだ。使う側の技能は減る。修理側の技能と工具は増える」

オッサン「DIYが廃れるわけだ」

マスター「逆でもある。自分で直す人が減ったから、メーカーも家庭で分解する前提で設計しなくなる」

おねーさん「相互作用にゃ」

オッサン「でもRight to Repairなんて話もあるだろ。自分で直せるようにしろって」

マスター「あるな」

オッサン「だったら部品を全部規格化すればいいんだよ」

マスター「全部?」

オッサン「カートリッジの寸法も、接続も、工具も。メーカーが違っても交換できる。昔のパッキンみたいに」

マスター「設計自由度は落ちるぞ」

オッサン「修理性は上がる」

マスター「新しい方式を作りにくくなる」

オッサン「長く使える」

マスター「だから、どこまで規格化するかという話になる」

オッサン「……旧ソ連じゃん」

おねーさん「急に話が大きくなったにゃ」

マスター「水栓からソ連まで三分か」

オッサン「でも似てるだろ。規格を統一する。種類を減らす。互換性を高める。生産を集約する。必要量を見積もって計画的に供給する」

マスター「それだけ取り出せば合理的だ」

オッサン「そうなんだよ。そこが怖いんだよ」

おねーさん「最初から不合理なら、そんな大規模にはならないにゃ」

オッサン「旧ソ連って、壮大な社会実験として見ると面白いんだよな。背筋は寒くなるけど」

マスター「実験される側はたまらんからな」

おねーさん「社会実験は、失敗したから条件を変えてもう一度、では済まないにゃ」

***

オッサン「でもさ、唯物論そのものは魅力的なんだよ」

マスター「ほう」

オッサン「精神論より、まず飯を食わせろ。住宅を用意しろ。労働時間を減らせ。教育を受けられるようにしろ。人間は物質的条件に強く制約されている。だったら、その条件を変えれば社会を良くできる」

マスター「そこまでは別におかしくない」

おねーさん「むしろ強力な説明原理にゃ」

オッサン「だろ? 所得、住居、栄養、労働時間、教育。そういうものを変数にして人間の状態を説明する。かなり説明できると思う」

マスター「で?」

オッサン「でも全部じゃない」

マスター「当たり前だ」

オッサン「説明できなかった分が残る。残差だ」

おねーさん「その残差が、人間の特性なんじゃないか、と言いたいのかにゃ?」

オッサン「そう」

マスター「違う」

オッサン「早いな」

マスター「残差には測定誤差も入る。欠落変数も入る。モデルの誤設定も入る。説明できなかったものを全部まとめて人間性と呼ぶな」

オッサン「研究テーマとしては?」

マスター「研究人生を捨てたいならやれ」

おねーさん「壮大すぎるにゃ」

オッサン「でも面白いだろ。物質的条件で説明できるところを全部引いて、最後に残ったものが人間性」

マスター「だから、その『人間性』を定義しろ」

オッサン「定義?」

マスター「何を観測したら人間性があると判定するんだ。定義できないものを残差に名前を付けて説明した気になるな」

オッサン「じゃあ、ちゃんと定義できればいいのか?」

マスター「少なくとも議論はできる」

オッサン「定義したら、『人間性がある』『人間性がない』って判定できる?」

マスター「条件が十分ならな」

おねーさん「そこで、何について、いつ、どの意味で『ある』と言っているのかを固定する必要が出てくるにゃ」

オッサン「……アリストテレスか」

マスター「また古いのが出てきたな」

おねーさん「矛盾律に近い話にゃ。同じものについて、同時に、同じ観点で、ある性質があり、かつない、とはできないにゃ」

オッサン「つまり『おねーさんは優秀である』だけじゃ粗い」

おねーさん「なんで私が例なのにゃ」

オッサン「哲学史について、現在、一定の基準以上の知識を持っている、と限定する」

マスター「それなら判定条件を作れる」

オッサン「真か偽か」

おねーさん「古典論理なら、そういう方向になるにゃ」

オッサン「おねーさん、優秀だな」

おねーさん「知ってるにゃ」

マスター「自分で言うな」

おねーさん「今、判定条件を限定したばかりにゃ」

オッサン「確かに真だ」

マスター「くだらん実証をするな」

オッサン「でも、これって昔からずっとやってるんだよな。曖昧なものを分解して、何について何を言ってるのか限定していく」

おねーさん「そうにゃ。でも、限定すれば何でも単純に真偽へ落ちる、とも限らないにゃ。アリストテレス自身が『明日の海戦』で困ってるにゃ」

オッサン「明日、海戦が起きる、という命題だな」

マスター「明日の話だろ?」

オッサン「そう。でも今日の時点で、その命題が真か偽か、どちらかに決まっているとする」

おねーさん「もし今日すでに真なら、明日は海戦が起きるにゃ。偽なら、明日は起きないにゃ」

マスター「できないだろ」

オッサン「何が?」

マスター「明日起きることを、今日の時点で真か偽かに決めることだ」

おねーさん「そう考えたくなるにゃ。でも、そうすると『すべての命題は真か偽か』という原則に例外を作ることになるにゃ」

オッサン「ああ。未来についての命題だけ、まだ真でも偽でもない、と」

おねーさん「逆に、今日すでに真か偽か決まっているとすると、今度は明日の出来事まで、すでに一方に決まっているように見えるにゃ」

マスター「どっちを取っても面倒だな」

オッサン「要するに、世界をきれいに真と偽に分けようとすると、どこかで引っかかるわけだ」

マスター「お前の言い方だとそうなるな」

オッサン「でも、人間は諦めなかった」

マスター「何をだ」

オッサン「世界をきちんと分けて、何が真で何が偽かを決めることをだよ」

おねーさん「そうにゃ。むしろ、そのために何を命題として扱えるのか、どういう推論なら正しいのかを、どんどん精密にしていったにゃ」

オッサン「できないから諦めたんじゃなくて、できる範囲を広げ続けた」

おねーさん「ストア派は命題の論理を発達させた。中世では指示や様相を細かく分析した」

マスター「ずっとやってたのか」

おねーさん「ずっとやってたにゃ。ライプニッツは、概念を十分明確にできれば推論を計算にできると考えたにゃ」

オッサン「そして、ブールで本当に計算になった」

マスター「0と1」

おねーさん「フレーゲで量化が精密になって、ラッセルや初期ウィトゲンシュタインでは、複雑な命題を基本的な命題まで分析できないか、と考えたにゃ」

オッサン「世界を十分細かく切れば、最後には真か偽かになる」

おねーさん「そういう夢にゃ」

マスター「夢と言うな。今は既に一部なら使ってる」

オッサン「コンピューターなんて、その塊だもんな」

マスター「形式化できる範囲なら猛烈に強い」

おねーさん「問題は『形式化できる範囲』がどこまでかにゃ」

マスター「定義域みたいなもんだ」

オッサン「定義域?」

マスター「比喩としてはな。どこまでその形式で扱えるかってことだ」

オッサン「なるほど」

おねーさん「二十世紀になると、まさにそこが問題になってくるにゃ。多値論理、直観主義論理、様相論理、ファジー論理。扱いたい問題によって、いろいろな論理体系が出てきたにゃ」

マスター「だから最初に目的を決めろ。何を扱うか決めて、それに合う体系を使え」

オッサン「まあ、公理系による、か」

おねーさん「そうにゃ」

オッサン「量子力学だって、一つの公理系の中の話だし」

マスター「量子力学を持ち出して『自然は二値論理ではない』で終わるのは雑だぞ」

オッサン「分かってる。真か偽かで決められないから、何でも曖昧でいいって話じゃない。ヒルベルト空間なり状態なり観測量なりをきちんと定義して、その体系から観測確率を出してる」

マスター「別のやり方で厳密にしただけだ。予測が合う方を使え」

おねーさん「でも、その形式体系が世界そのものなのか、それとも世界を記述するための言語なのかは別の問題にゃ」

オッサン「……お前ら、どっちも正しいこと言ってるよな」

マスター「聞いてることが違う」

おねーさん「そうにゃ。マスターは『機能するか』を聞いているにゃ。私は『機能するとは、世界について何を意味するのか』を聞いているにゃ」

オッサン「じゃあ、使えるけど意味が分からないものって、分かったことになるのか?」

マスター「別の穴を掘るな」

***

オッサン「いや、今は掘らない。今ので別のことに気づいた」

マスター「嫌な予感しかしない」

オッサン「どの論理体系を使うかは、扱う対象と目的によるんだろ?」

マスター「そうだ」

オッサン「じゃあ、『合理的』も同じじゃないか?」

おねーさん「どういう意味にゃ?」

オッサン「何を目的にして、どんな情報を持っていて、どんな制約があるか。それを決めないと、ある行動が合理的かどうかなんて決まらない」

マスター「当たり前だ」

オッサン「それ、さっきの定義域と同じじゃん」

おねーさん「合理性にも定義域がある、と言いたいのかにゃ」

オッサン「そう。年収を最大化したい人と、自由時間を最大化したい人では、同じ転職でも合理的な判断が違う」

マスター「目的関数が違う」

オッサン「持ってる情報も違う」

おねーさん「価値観も違うにゃ」

マスター「時間も認知能力も有限だ」

オッサン「限定合理性か」

おねーさん「サイモンにゃ」

オッサン「一人一人が、自分の情報、自分の価値、自分の制約の中で、それなりに合理的に動いている」

マスター「それで?」

オッサン「限定合理性の集合が社会なんじゃないか?」

マスター「集合じゃ弱い」

オッサン「え?」

マスター「相互作用する。お前の行動が他人の条件を変える。他人の行動を見て、お前も判断を変える。価格も変わる。制度も変わる。情報も変わる」

おねーさん「限定合理性を持った主体が、互いの制約条件にもなっているにゃ」

オッサン「ああ。動的システムか」

マスター「そうだ」

おねーさん「しかも、人間は自分たちの限定合理性を補うために制度を作るにゃ」

オッサン「法律、市場、組織、慣習」

マスター「一人で全部判断しなくて済む仕組みだ」

おねーさん「でも、その制度も限定合理的な人間が作ったものにゃ」

オッサン「そして作った制度が、今度は人間の行動を制約する」

マスター「フィードバックする」

オッサン「……社会って、面倒くせえな」

マスター「今さら何を言ってる」

***

オッサン「じゃあ、社会全体を合理的に設計するって、そもそもどういう意味なんだ?」

おねーさん「誰にとって合理的なのか、という問題が出るにゃ」

オッサン「一人一人、目的も情報も制約も違う」

マスター「だから個人の合理性と全体の合理性は同じじゃない」

オッサン「なのに社会全体へ一つの目的関数を置いたら?」

おねーさん「多数の限定合理性の上に、一つの合理性を置くことになるにゃ」

オッサン「それが中央計画か」

マスター「一つの形ではな」

オッサン「……戻ってきた」

おねーさん「水栓からずいぶん遠回りしたにゃ」

オッサン「でも旧ソ連が怖い理由、ちょっと分かった気がする」

マスター「言ってみ」

オッサン「最初から不合理だったんじゃない。むしろ合理的だったんだ。物質的条件を改善する。無駄を減らす。規格化する。生産を計画する。個々には合理的なものを積み上げた」

おねーさん「でも、その合理性が部分的なものだということを忘れると危ないにゃ」

オッサン「限定合理性を、普遍的合理性だと思ってしまう」

マスター「モデルの適用範囲を間違える」

オッサン「水栓なら、規格を決めればいい。でも人間は水栓じゃない」

オッサン「じゃあ結局、社会を合理的にするって言ったとき――」

おねーさん「その『合理的』は、誰の公理系における合理性なのかにゃ?」

オッサン「俺だ!」

一瞬、店が静かになった。

マスター「最悪の中央計画者だな」

おねーさん「自分が正しくなるように公理系を選んだだけにゃ」

オッサン「俺の公理系では、俺は完全に合理的だぞ」

マスター「仕様書を自分で書いて、自分で検収してるだけだ」

オッサン「完璧じゃねえか」

おねーさん「社会に実装するなにゃ」

マスターはグラスを拭きながら、ため息をついた。

マスター「旧ソ連も、だいたいそこから始まる」

オッサン「……ところで水栓なんだけどさ」

マスター「まだ直ってないのか」

オッサン「アッセンブリーは買った」

マスター「なら替えろ」

オッサン「アッセンブリー交換用の工具が届いてない」

おねーさん「計画経済以前の問題だったにゃ」

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