第二話 認識の有効数字

小さなバー。名前は《N+2》。

オッサンが、スマホで写真をマスターとおねーさんに見せようとしている。

オッサン「今日、職場でも写真を自慢してたんだよ」

マスター「仕事しろ」

おねーさん「何の写真にゃ」

オッサン「花。最近撮ったやつを何枚か見せてた」

マスター「またあの、背景を暗くしたやつか」

オッサン「そう。そしたら一人が、『拘りの写真ですね』って」

おねーさん「褒められてるにゃ」

オッサン「俺もそう思って、ありがとうって言ったんだけどな」

マスター「じゃあいいだろ」

オッサン「あとになって、なんか引っ掛かった」

マスター「面倒くさい奴だな」

オッサン「『拘り』って何だ?」

おねーさん「そこからにゃ?」

オッサン「だって、俺は拘って暗くしてるつもりはないんだよ。明るい背景と暗い背景を見比べたら、暗い方がいいから暗くしてるだけだ」

マスター「それを拘りって言うんじゃないのか」

オッサン「でも、俺には違って見えてるんだぞ」

マスター「そりゃ違うんだから、違って見えるだろ」

オッサン「そうなんだよ」

マスター「何が言いたい」

オッサン「例えば二枚の写真を見せる。背景のわずかな明るさの違いを気にしない人もいる。俺は気になる。これは単に好みが強いってことなのか?」

おねーさん「拘りが強い人と、そうでもない人?」

オッサン「そう言えば簡単なんだけどな。でも、そもそも認識してるものが違うんじゃないかと思ったんだ」

マスター「見えてるものは同じだ」

オッサン「認識してるものが違う」

マスター「……それなら話は少し違うな」

オッサン「だろ。だから『拘り』より、『認識精度』って言った方が近いんじゃないか」

マスター「違う」

オッサン「え?」

マスター「そういうところだけ学術用語を雑に使うな。どこまで細かな差を区別できるかなら、まず分解能だ」

おねーさん「精度とは違うのかにゃ」

マスター「違う。細かく見分けられることと、正しく見分けられることは別だ」

オッサン「じゃあ俺は、認識の分解能が高い」

マスター「そう簡単に自慢話へ戻すな」

おねーさん「でも、分解能が高ければ高いほど、よく見えてるってことじゃないのかにゃ」

マスター「それも違う」

オッサン「なんで」

マスター「見える桁を全部使えばいいってもんじゃない」

オッサン「桁?」

マスター「測定値だってそうだ。有効数字がある」

オッサン「……認識にも、有効数字があるんじゃないか?」

おねーさん「また何か拾ったにゃ」

マスター「余計なものを拾ったな」

オッサン「でも、これ、結構いい言葉じゃないか。認識の有効数字」

マスター「まだ言葉を作っただけだ」

オッサン「測定で考えよう。十二・三と十二・三〇は数としては同じだ。でも測定結果としては同じじゃない」

マスター「そうだ」

おねーさん「後ろのゼロにも意味があるにゃ?」

マスター「その桁まで意味のある測定をした、という情報だ。ただし測定器にそんな能力がないのに十二・三〇と書いたら、そのゼロは情報じゃない。嘘だ」

オッサン「人間も同じじゃないか」

マスター「何が」

オッサン「写真を見て、『ここの背景が少し明るすぎる』と言う。そこまで本当に見分けてるなら有効な桁だ。でも、写真に詳しそうな顔をして、本人にも判別できない差を語り始めたら」

おねーさん「認識の有効数字を一桁盛ってるにゃ」

マスター「比喩としては分かる」

オッサン「でも、実際に見分けられるなら、全部有効なのか?」

マスター「そこが違う。測れることと、その桁が問題に対して意味を持つことは別だ」

おねーさん「分解能と有効数字の違いにゃ?」

マスター「そう考えればいい。測定器が六桁出せても、誤差が三桁目から効いてるなら、後ろは飾りだ」

オッサン「人間にもあるな、それ」

マスター「何が」

オッサン「細かいことをいっぱい言うと、よく考えてるように見える」

マスター「あるな」

おねーさん「耳が痛い人が多そうにゃ」

オッサン「市場統計でもそうなんだよ。数字はいくらでも細かく切れる。国、作物、病害虫、製品、年次。細かく切るほど詳しく分析してる感じがする」

マスター「切るほどサンプルが減る」

オッサン「そう。最後には数件のデータから小数点以下まで市場を語ってたりする」

おねーさん「数字は細かくなったのに、確かなことは減ってるにゃ」

マスター「表示桁数と情報量は違う」

オッサン「認識も同じなんだろうな。細かく区別できることと、細かく区別すべきことは違う」

マスター「やっと分かってきたな」

オッサン「じゃあ、何桁まで見るべきなんだ?」

マスター「目的による」

オッサン「またそれか」

マスター「それしかない。何を知りたいかが決まらなきゃ、必要な分解能も精度も決まらん」

オッサン「写真なら?」

マスター「お前が何を見せたいかだ」

オッサン「花」

マスター「なら背景の明るさが花の見え方に影響する範囲では意味がある。その先は知らん」

オッサン「じゃあ、世界の側に有効数字が書いてあるわけじゃないんだな」

おねーさん「対象と目的の関係で決まる?」

マスター「そうだ」

オッサン「なるほどな」

***

オッサン「これ、写真だけの話じゃないな」

マスター「最初からそういう顔してたぞ」

オッサン「人と話してて、妙に話が噛み合わないことあるだろ」

おねーさん「しょっちゅうあるにゃ」

オッサン「同じ言葉を使ってる。意味もだいたい同じ。でも、なんか違う」

マスター「具体的に言え」

オッサン「例えば俺が『背景を少し残した方がいい』と言う」

おねーさん「うん」

オッサン「相手も『少し残すんですね』と答える。言葉は完全に通じてる」

マスター「それで?」

オッサン「俺の『少し』は、完全な黒から、わずかに階調が残るところまで何段階か区別した上での『少し』なんだ。でも相手の『少し』は、真っ黒じゃなければ全部『少し残ってる』かもしれない」

おねーさん「同じ『少し』なのに、刻み幅が違うにゃ」

オッサン「そう。意味が違うんじゃない。意味の有効数字が違う」

マスター「……その使い方は面白いな」

オッサン「だろ」

おねーさん「でも、それって普通のコミュニケーション論にはないのかにゃ」

オッサン「シャノン?」

マスター「シャノンだけ持ってくると少し違う」

オッサン「通信理論だろ?」

マスター「シャノンが扱った中心は、記号を通信路でどれだけ正確に伝えられるかだ。意味そのものは基本的に別問題として切り離した」

おねーさん「情報量の話にゃ」

マスター「そう。そこをウィーバーが広げて説明した。通信の問題には、少なくとも三つのレベルがある、と」

オッサン「三つ?」

マスター「まず技術的問題。記号を正確に伝えられるか。次に意味の問題。伝わった記号が、意図した意味として理解されるか。さらに効果の問題。受け手に意図した結果を生じさせるか」

おねーさん「さっきの写真の話なら?」

マスター「『背景を少し残す』という音声が正確に届いた。技術的には成功だ」

オッサン「日本語として意味も分かってる」

マスター「だから意味も大筋では通じてる」

おねーさん「なのに、出来上がる写真は違う」

オッサン「そうなんだよ」

マスター「そこでお前の『認識の有効数字』が出てくる」

オッサン「つまり、通信は成功してるのに、認識の刻み幅が違う」

おねーさん「意味を共有していても、意味の粒度まで共有しているとは限らないにゃ」

オッサン「それだ」

マスター「シャノン=ウィーバー理論に第四のレベルがある、とか言うなよ」

オッサン「言おうと思ってた」

マスター「やめろ。それはお前の比喩でしかない」

おねーさん「先に釘を刺されたにゃ」

オッサン「でも、コミュニケーションの齟齬のかなりの部分を説明できないか?」

マスター「かなり、は言い過ぎだ」

オッサン「相変わらず厳しいな」

マスター「説明できる種類の齟齬はある。『高い』『安い』『危険だ』『十分だ』『近い』『かなり』『普通』。尺度を共有してるようで、刻み方が違う」

おねーさん「『ちょっと待って』も危険にゃ」

オッサン「三分なのか三十分なのか」

マスター「それは単に曖昧なだけの場合もある」

オッサン「何でも有効数字にするな、と」

マスター「そうだ」

オッサン「でも、専門家同士だともっと分かりやすいな。同じ『差がある』でも、どの程度の差まで意味のある差として扱うかが違う」

マスター「専門分野が違えばな」

おねーさん「じゃあ、相手に合わせて桁を変える必要がある?」

オッサン「それがコミュニケーション能力なのかもしれない」

マスター「少なくとも一部はな」

オッサン「自分が五桁見えてるからって、相手にも五桁で話す必要はない」

おねーさん「逆に、一桁で十分な相手に五桁で説明したら、情報を増やしたつもりで伝達効率を落としてるにゃ」

マスター「ある」

オッサン「説明が上手い人って、情報量が多い人じゃないもんな」

おねーさん「相手に必要な有効数字を選べる人?」

オッサン「そう考えると綺麗だな」

マスター「綺麗すぎる説明は疑え」

オッサン「お前は本当に技術屋だな」

***

オッサン「そうすると、知性も同じかもしれない」

おねーさん「また大きくしたにゃ」

オッサン「細かく見える奴が賢いんじゃない。必要なら細かく見て、必要がなければ丸められる奴が賢い」

マスター「その方がまだまともだ」

オッサン「常に最大分解能で世界を見る必要なんかないんだ」

マスター「そんなことしたら処理しきれん」

おねーさん「ネコを見るたびに毛を一本ずつ認識してたら、ネコとして見えなくなるにゃ」

オッサン「ゲシュタルトまで来たか」

マスター「広げすぎるな」

オッサン「でも重要だぞ。細部を捨てることは、認識能力が低いこととは限らない」

おねーさん「見えてないのと、見た上で丸めるのは違うにゃ」

オッサン「そう。一桁しか測れないのと、五桁測った上で一桁に丸めるのは違う」

マスター「そこは最初の有効数字の話とつながるな」

オッサン「熟練って、もしかすると有効数字を増やすことじゃなくて、自由に変えられるようになることなのかもな」

マスター「対象次第だ」

オッサン「写真なら背景の微妙な階調を見る。市場全体なら細かすぎる数字は丸める。相手に説明するときは相手に合わせる」

おねーさん「認識のズームレンズみたいなものにゃ」

マスター「その比喩の方が分かりやすい」

オッサン「せっかく有効数字で名前を作ったのに」

***

おねーさん「でも、最初の『拘り』はどうなったにゃ」

オッサン「そうだった」

マスター「散々回って忘れてただろ」

オッサン「いや、むしろ見えてきた」

おねーさん「何が?」

オッサン「俺は最初、『拘り』って言われたのが引っ掛かった。細かいところを気にしてる変な奴、みたいに聞こえたんだと思う」

マスター「相手は褒めてたんだろ」

オッサン「分かってる。でも、拘りって言葉には、どうしても『そこから離れられない』感じがある」

おねーさん「それなら仏教の方へ行けるにゃ」

マスター「来たな」

オッサン「仏教の拘り?」

おねーさん「日本語の『こだわり』と仏教用語をそのまま同一視するのは雑だけど、仏教で問題になる執着である、取(しゅ)とか、愛とかに近いところはあるにゃ」

オッサン「何かを細かく見ることが悪いわけじゃないよな」

おねーさん「もちろんにゃ。花弁の違いを細かく見分けること自体が執着なわけじゃない。問題は、その区別や価値判断を固定して、そこから離れられなくなることにゃ」

マスター「有効数字で言えば?」

おねーさん「五桁で見ることが悪いんじゃなくて、五桁でしか見られなくなること」

オッサン「なるほど」

おねーさん「一桁で十分な場面でも五桁を要求する。相手も五桁で見るべきだと思う。五桁で見ない人は分かってないと思う。そこまで行くと、認識の精密さじゃなくて、認識の固定化にゃ」

マスター「切り替えられない制御系か」

おねーさん「マスターに言わせるとそうなるにゃ」

オッサン「でも分かりやすいな」

マスター「入力条件が変わってるのに、同じ制御則を使い続ける。そりゃうまくいかん」

オッサン「じゃあ、拘りと熟練は似てるようで逆なのか」

おねーさん「場合によるにゃ。日常語の『拘り』には、何かを大切にするという肯定的な意味もある。でも仏教的な執着に近づくと、それを手放せないことが問題になる」

オッサン「世界のどの差を残すかを選ぶのが、良い意味での拘り」

おねーさん「そう言えるにゃ」

オッサン「その差を残さなければならないと思い始めるのが、執着」

おねーさん「かなり近いにゃ」

マスター「そして他人にも同じ桁を要求し始めると」

オッサン「コミュニケーションが壊れる」

オッサン「全部つながったな」

マスター「つなげたんだろ」

おねーさん「でも今回は、割とちゃんとつながってるにゃ」

***

オッサン「そう考えると、人と話すときの齟齬って面白いな」

マスター「どういう意味だ」

オッサン「自分と相手が違う意見を持ってると思って議論してる。でも実は、同じものを違う有効数字で見てるだけかもしれない」

おねーさん「あるにゃ」

オッサン「片方は『だいたい同じ』と言う。もう片方は『全然違う』と言う。でも、観測してる対象は同じ」

マスター「分類の粒度が違う」

オッサン「そう。だから事実確認をいくらしても決着しない」

おねーさん「どの差を意味のある差とするかが違うから?」

オッサン「そうなんだよ。そこは事実の問題じゃなくて、価値判断が入ってる」

マスター「目的もな」

オッサン「目的と価値判断が、有効数字を決める」

おねーさん「だから相手の有効数字を理解しないまま、『事実をちゃんと見ろ』と言っても噛み合わないにゃ」

オッサン「お互い、ちゃんと見てるかもしれない」

マスター「違う桁でな」

オッサン「これ、かなり重要じゃないか」

マスター「だからといって世の中の対立を全部有効数字で説明するなよ」

オッサン「分かってる」

マスター「今のお前は危ない」

おねーさん「新しい概念を手に入れた直後は、何でもそれで説明したくなるにゃ」

オッサン「……それも拘りか?」

おねーさん「もう始まってるにゃ」

マスター「早かったな」

***

オッサン「じゃあ最初に戻ろう。職場で『拘りの写真ですね』と言われた」

マスター「うん」

オッサン「あれは間違ってなかった」

マスター「最初からそう言ってる」

オッサン「でも、意味が変わった」

おねーさん「どう変わったにゃ」

オッサン「拘りって、細かいところを見ることじゃない。世界のどの差を丸めずに残すかを選ぶことなんだ」

マスター「それがお前の定義だな」

オッサン「そう。そして認識の分解能が高いこととも違う。正確に認識することとも違う」

おねーさん「見える差の中から、どこまでを意味のある桁として残すか」

オッサン「それが認識の有効数字」

マスター「目的によって変わる」

オッサン「価値判断によっても変わる」

おねーさん「相手によっても変えられた方がいいにゃ」

オッサン「そして変えられなくなったら」

おねーさん「執着に近づくにゃ」

マスター「ようやくまとまったな」

オッサン「だから俺が写真の背景を少し暗くしたり、少し明るくしたりしてるのは――」

マスター「拘りだ」

オッサン「認識の有効数字だろ」

マスター「花一輪撮るのに、そこまで背景を気にするのは?」

オッサン「必要な桁だ」

マスター「本当に有効数字か、それ」

オッサン「そこを丸めたら、俺の写真じゃなくなる」

おねーさん「それは拘りにゃ」

オッサン「……そうか」

マスター「で、職場で写真を自慢する必要性は?」

オッサン「そこは」

マスター「有効数字何桁だ」

オッサン「ゼロかもしれない」

おねーさん「ようやく適切に丸められたにゃ」

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