第六話 菩提樹

小さなバー。名前は《N+2》。

おねーさんが、スマホを二人の前に差し出した。画面には、今日撮ってきたという花が写っている。

おねーさん「今日、良い匂いする花があったから、スマホで撮ってきたにゃ」

オッサン「どれ」

マスター「ボダイジュだな」

オッサン「だな」

おねーさん「二人とも即答にゃ」

マスター「葉を見れば分かる。花序も特徴的だ」

おねーさん「すごく良い匂いだったにゃ。先に匂いがして、何だろうと思って探したら、この木だったにゃ」

オッサン「ボダイジュって、かなり香るんだよな」

マスター「虫を呼ぶ花だからな。蜜源にもなる」

オッサン「でも不思議なんだよ」

マスター「何が」

オッサン「これだけ匂いが特徴的なのに、名前には匂いのことが何も入ってない」

マスター「名前が形質記載とは限らん」

オッサン「そりゃそうなんだけどさ。じゃあ、なんで菩提樹なんだ?」

マスター「釈迦だろ」

オッサン「だよな。釈迦が菩提樹の下で悟りを開いた」

おねーさん「ありがたい木にゃ」

マスター「ただし、こいつじゃない」

おねーさん「にゃ?」

オッサン「そこなんだよ」

マスター「釈迦が悟りを開いたとされる木はインドボダイジュ。Ficus religiosa。クワ科イチジク属だ。これはボダイジュ、Tilia miqueliana。アオイ科シナノキ属。系統的には全然違う」

おねーさん「じゃあ、なんで両方とも菩提樹にゃ?」

マスター「宗教と植物の伝播がずれたからだ」

オッサン「面白いよな」

マスター「インドではFicus religiosaが悟りの木だった。仏教が中国へ伝わる。だが中国の多くの地域では、熱帯・亜熱帯性のインドボダイジュをそのまま育てるのは難しい」

オッサン「そこで代役が必要になった」

マスター「そうだ。中国では温帯で育つシナノキ属の木が、菩提樹として扱われるようになった。それが日本にも入ってきた」

おねーさん「木そのものじゃなくて、役割が伝わったにゃ」

マスター「そういうことだ」

オッサン「で、名前も役割についてきた」

マスター「日本で『菩提樹』という語が使われた記録は古い。平安時代にはもう出てくる。後には栄西が中国から持ち帰ったという伝承もある」

おねーさん「つまり、この木は釈迦が悟った木ではないのに、菩提樹にゃ」

オッサン「そう」

おねーさん「ちょっと変にゃ」

オッサン「だろ?」

マスター「植物の名前にはそういう歴史的事情はいくらでもある」

オッサン「でも、シナノキ属自体は別に仏教の木じゃないよな」

マスター「当たり前だ。Tiliaは北半球の温帯に広く分布する。ヨーロッパにもある」

おねーさん「向こうでは何て呼ぶにゃ?」

マスター「ドイツ語ならLinde。英語ならlinden。イギリス英語ならlimeともいう」

オッサン「limeって、あの柑橘のライム?」

マスター「別物だ」

おねーさん「紛らわしいにゃ」

マスター「英語なんてそんなもんだ」

オッサン「向こうでも花は香るんだろ」

マスター「香る。蜜源になる。蜂蜜も採る。花を乾燥させて茶にもする」

おねーさん「良い匂いのお茶にゃ」

マスター「材も柔らかくて均質だ。彫刻に向く。昔は内樹皮から繊維も取った」

オッサン「ずいぶん使える木なんだな」

マスター「人間の近くにある木だ。街路樹にもなるし、ヨーロッパでは村の広場に植えられた例も多い」

オッサン「Lindenbaumか」

おねーさん「何にゃ?」

オッサン「シューベルトの『冬の旅』に《Der Lindenbaum》って曲があるだろ」

おねーさん「知らないにゃ」

マスター「俺は知ってる」

オッサン「日本語の題名は?」

マスター「『菩提樹』」

おねーさん「にゃ?」

オッサン「そこも変なんだよ」

マスター「何が」

オッサン「ドイツのLindenbaumだぞ。釈迦は関係ない」

マスター「植物としてはTiliaだからな」

オッサン「それを日本語にすると『菩提樹』になる」

おねーさん「インドの菩提樹とは違う木なのに?」

マスター「違う」

おねーさん「でも日本語では菩提樹にゃ?」

マスター「そうだ」

オッサン「ややこしいだろ」

おねーさん「かなりややこしいにゃ」

オッサン「しかも最初に戻るけどさ。これだけ香る木なのに、日本語の『菩提樹』にも、ドイツ語のLindeにも、匂いは出てこないんだよな」

マスター「だから名前は形質記載じゃないと言っただろ」

オッサン「分かってる。でも妙なんだよ」

マスター「何が妙なんだ」

オッサン「インドでは別の木だった。中国に来たらTiliaになった。日本ではそれを菩提樹と呼んでる。ヨーロッパにもTiliaがあって、そっちはLindeだ。それを日本語に訳すと、また菩提樹になる」

おねーさん「ぐるっと回ったにゃ」

オッサン「木が同じだったり違ったり、名前が同じだったり違ったりする」

マスター「分類したいなら学名を使え」

オッサン「それじゃ、この妙な感じが消えちゃうんだよ」

マスター「植物学としては消した方がいい」

オッサン「でもさ。考えてみると、名前って妙だよな」

マスター「始まったな」

オッサン「インドでは、ある種類の木に釈迦の悟りという出来事が結びついた。仏教が移動したら、その木が育たない。それで別の木が同じ役割を引き受けた。そして名前まで引き継いだ」

おねーさん「……言葉の方が植物を乗り換えたにゃ」

オッサン「そう。それだよ」

マスター「言い方は変だが、まあそうだな」

***

オッサン「『菩提樹』という言葉が指すものが、歴史の途中でFicusからTiliaへ乗り換えた」

おねーさん「それ、ソシュールにゃ」

マスター「出たな」

おねーさん「言葉が物に貼ってある名札だと思うから変に感じるにゃ。でもソシュールなら、言葉はそんな単純なものじゃないにゃ」

オッサン「シニフィアンとシニフィエ」

おねーさん「そうにゃ。音や文字としての『菩提樹』がシニフィアン。それによって呼び起こされる概念がシニフィエ。その結びつきには自然必然的な関係がないにゃ」

マスター「木自身が『俺はボダイジュだ』と言ってるわけじゃないからな」

オッサン「しかも今回、面白いのは指してる木が変わっただけじゃない。意味の側まで動いてることだな」

おねーさん「そうにゃ。単に日本語と外国語で呼び名が違うというだけじゃないにゃ。宗教的な『悟りの木』という概念があって、歴史と土地が変わる中で、それを担う植物まで変わったにゃ」

オッサン「名前は物についていったんじゃない。意味についていった」

マスター「少なくとも、この場合はな」

オッサン「じゃあさ」

マスター「何だ」

オッサン「言葉って、世界にある物をそのまま写してるわけじゃないんだな」

おねーさん「そこが重要にゃ」

オッサン「人間の側が、世界のどこかに切れ目を入れて、そこに名前をつけてる」

おねーさん「ソシュール的には、言語は差異の体系として世界を分節する、と考えられるにゃ」

オッサン「さっきのLindeもそうか」

おねーさん「そうにゃ。同じTiliaでも、日本語の『菩提樹』とドイツ語のLindeが背負っているものは同じではないにゃ」

マスター「植物は植物だ」

オッサン「お前はそこから動かないな」

マスター「動く必要がない」

オッサン「そういえば前に引っかかったのがあった」

マスター「今度は何だ」

オッサン「inherent」

マスター「英単語か」

オッサン「日本語で一語にしにくいんだよ。『内在する』『本来的に備わった』『固有の』。文脈によって訳が動く」

おねーさん「ぴったり重なる一語がないにゃ」

オッサン「でも、日本人がinherentという概念を理解できないわけじゃない」

マスター「当たり前だ」

オッサン「ということは、概念として考えられることと、その概念に一語が割り当てられていることは別なんだ」

おねーさん「そうにゃ。言語は世界を同じところで切っているとは限らないにゃ。ある言語では一語で切り出されている領域が、別の言語では複数の言葉を組み合わせないと表せないことがあるにゃ」

マスター「だが、言葉がないから概念を理解できない、という話ではない」

オッサン「そこなんだよな。言語が違えば世界の切り方も違う。でも、それで人間同士がまったく理解不能になるわけでもない」

おねーさん「ここから先は、ソシュールだけでは足りないにゃ」

オッサン「チョムスキー?」

マスター「生成文法か」

おねーさん「知ってるにゃ?」

マスター「形式言語で出てくる。チョムスキー階層。プログラミング言語の文法をやれば名前くらい見る」

オッサン「そっちからか」

マスター「俺にはそっちだ」

おねーさん「こっちは自然言語の方にゃ。チョムスキーが問題にしたのは、人間がどうして限られた経験から言語を身につけて、聞いたことのない文まで作ったり理解したりできるのか、ということにゃ」

マスター「生成規則で文を作る、という発想なら分かる」

おねーさん「ただし、プログラミング言語と自然言語を同じものとして扱ってるわけじゃないにゃ」

マスター「分かってる」

オッサン「そこは釘を刺すんだな」

おねーさん「大事にゃ。そこからチョムスキーは、人間には個々の言語の違いより深いところに、共通する言語能力があると考えたにゃ。普遍文法という考え方もそこにつながるにゃ」

マスター「なるほど。俺が知ってるチョムスキーより上流だな」

オッサン「上流?」

マスター「形式言語として出来上がった文法を見るんじゃなくて、そもそも人間がどうして文法を獲得できるのかを見る」

おねーさん「そういう分け方なら分かりやすいにゃ」

オッサン「じゃあ、言語によって世界の切り方は違う。でも、切って言葉にする人間の側には、何か共通する仕組みがある」

おねーさん「そう考える方向はあるにゃ。ただし、それだけで翻訳ができる理由まで説明したことにはならないにゃ」

オッサン「ああ、チョムスキーは翻訳理論をやってるわけじゃない」

マスター「そこは別問題だ」

オッサン「でも、日本語にinherentという一語がなくても、説明されれば分かる」

おねーさん「そこが面白いにゃ。言葉の切れ目が違っても、理解そのものがそこで止まるわけじゃないにゃ」

マスター「新しい専門用語を覚えるのも似たようなもんだ。名前を知らなかった現象に名前がつけば、以後は一まとまりとして扱いやすくなる」

オッサン「名前がつくと、見えるようになるんだよな」

マスター「存在しなかったものが生まれるわけじゃない」

オッサン「分かってる。見分けやすくなるってことだ」

***

おねーさん「でも、そこにはもう一つ問題があるにゃ」

オッサン「何?」

おねーさん「同じ言葉を知っていれば、同じ意味を共有していると言えるのかにゃ?」

オッサン「ああ」

マスター「この前にした話だな」

オッサン「認識の有効数字」

おねーさん「例えば『こだわり』という同じ言葉を使っていても、一人は『丁寧に作ること』くらいの意味で使い、もう一人は執着という仏教的概念まで含めて使っているかもしれないにゃ」

オッサン「表面上は同じ語なのに、中身の解像度が違う」

マスター「だから会話がずれる」

オッサン「これ、ウィトゲンシュタインにもつながるな」

おねーさん「後期ウィトゲンシュタインなら、言葉の意味を頭の中にある固定した何かとして探すより、その言葉が実際にどう使われているかを見るにゃ」

オッサン「意味は使用である」

おねーさん「そうにゃ。言語ゲームの中で、その言葉がどう働いているかにゃ」

オッサン「そうすると翻訳って、単語を単語に置き換える作業じゃないんだな」

マスター「最初からそうだ」

オッサン「ある言語の中で働いている言葉を、別の言語の中でなるべく同じように働かせる」

おねーさん「だから一対一対応しないことがあるにゃ」

オッサン「inherentもそうだし……」

マスター「菩提樹もそうだな」

オッサン「あ」

おねーさん「戻ってきたにゃ」

オッサン「Lindenbaumもか」

おねーさん「そうにゃ」

オッサン「ドイツ語ではLindenbaum。日本語では菩提樹。でも、その二つがまったく同じものを背負ってるわけじゃない」

マスター「だから翻訳なんだろ」

オッサン「そうか」

***

オッサン「菩提樹って、翻訳の失敗じゃないんだ」

マスター「どういう意味だ」

オッサン「インドの木を中国人が植物学的に誤同定した、だけじゃない。『悟りの木』という宗教的な役割を、中国という別の環境の中で働かせようとした。その結果、別の植物が同じ記号を引き受けた」

おねーさん「言葉だけじゃなく、文化そのものの翻訳にゃ」

マスター「なるほど。それなら筋は通る」

オッサン「そして日本まで来た」

おねーさん「千年以上たって、小石川植物園で私がスマホで撮ったにゃ」

マスター「随分遠くまで来たな」

オッサン「木も、言葉もな」

少し間が空いた。

おねーさんはスマホの画面をもう一度見た。

おねーさん「で、結局これは何の木にゃ?」

マスター「ボダイジュ。Tilia miqueliana」

オッサン「菩提樹」

おねーさん「釈迦の菩提樹ではないにゃ」

マスター「違う」

おねーさん「でも菩提樹にゃ」

マスター「そうだ」

オッサン「名前って、不思議だな」

マスター「植物の名前なんてそんなもんだ」

オッサン「でも最初にこの写真を見たときの『菩提樹』と、今の『菩提樹』って、同じ言葉かな」

マスター「同じだ」

おねーさん「マスターはそこを譲らないにゃ」

オッサン「音は同じだよ。でも最初は植物の名前だった。今はインドから中国、日本まで動いた宗教と植物と歴史、その向こうにヨーロッパのLindeまで入ってる」

おねーさん「認識の有効数字が増えたにゃ」

オッサン「そういうこと」

マスター「花を見るのに面倒な奴だな」

おねーさん「でも、良い匂いだったにゃ」

オッサン「そうなんだよ。そこが最初だった」

マスター「名前なんか知らなくても匂いはする」

***

オッサン「木は、人間が名前をつける前からそこにあった」

おねーさん「花も咲いて、匂いもしていたにゃ」

オッサン「でも『菩提樹』はなかった」

マスター「まあな」

オッサン「世界が先にあって、言葉が後から切れ目を入れた」

おねーさん「そして、ときどき言葉の方が海を渡って、別の木に切れ目を入れ直すにゃ」

オッサン「言葉って、世界を写す鏡じゃないんだな」

マスター「道具だろ」

おねーさん「ゲームでもあるにゃ」

オッサン「世界の切り方でもある」

マスター「三人とも違うこと言ってるじゃないか」

おねーさん「それでも話は通じてるにゃ」

オッサン「認識の有効数字が合ってるからな」

マスター「それ以上やると合わなくなるぞ」

おねーさん「ところで、この木、また見に行きたいにゃ」

オッサン「菩提樹を?」

おねーさん「あの良い匂いのする木にゃ」

マスター「それで十分だ」

オッサン「……でも『良い匂い』って、主観的な――」

マスター「やめろ」

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