「どんな話題でも哲学論考にするオッサン」の家族的類似性
小さなバー。名前は《N+2》。
オッサンがスマホを見ていた。
オッサン「なんか、妙なのが出てきた」
マスター「何が」
オッサン「GoogleのAIに『どんな話題でも哲学論考にするオッサンブロガー』って入れたんだよ」
おねーさん「何を調べてるにゃ」
オッサン「そしたら、こんなのが出てきた」
マスター「読め」
オッサン「これ」
コンビニのレジ袋有料化についての考察
筆者:52歳、しがない元SEのブロガー。休日はもっぱらドトールで新書をめくる。
1. 導入:レジ袋という「現象」
今朝、近所のセブンイレブンでアイスコーヒーのMサイズと、いつもの「しっとりバウムクーヘン」を買った。
レジに立ったアルバイトの若者が、決まりきったようにこう尋ねる。
「レジ袋は、お持ちでしょうか?」
私は、ふと考え込んでしまった。
この「3円」のプラスチック片を巡る問答は、現代社会における言語ゲーム(Sprachspiel)の縮図ではないのか、と。
ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』の冒頭でこう述べた。
「世界は起こっていることの総体である」
ならば、私がレジ袋を断り、エコバッグを懐から取り出すという一連の身体運動もまた、この世界を構成する「事実」にほかならない。
2. 「3円」の不可知論
環境保護という大義名分。
それ自体は否定しない。しかし、問いたいのはその構造である。
私たちは、3円を支払うことで「善き市民」としての免罪符を買っている。あるいは、レジ袋を辞退することで、自己の倫理的優位性を確認している。
だが、考えてもみてほしい。
地球規模のエントロピー増大という冷徹な物理法則の前で、私の手元にあるポリ袋1枚の有無がどれほどの意味を持つというのか。
ここで、かの有名な一節を想起せざるを得ない。
「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」
環境問題の倫理、持続可能な社会、海洋プラスチック。
私たちはそれらについてあまりにも軽々に、あまりにも多弁に「語りすぎて」はいないか。本質的な不条理を直視せず、管理可能な「エコ」という名のゲーム盤の上だけで踊らされている。
3. 結語:あるいは、ただバウムクーヘンを食べるということ
レジ袋の要否を問う若者の視線を受け止め、私は静かに首を横に振った。
「袋は、いらない」
私の手には、裸のバウムクーヘン。
その冷たい感触だけが、唯一の確固たる「論理的空間」である。
世界は美しく、そして沈黙している。
今日もまた、正午のチャイムが遠くで鳴り響いていた。
もしよろしければ、次にどのような日常の些細な出来事(例:満員電車、スマホの充電切れ、カップ麺の待ち時間など)を哲学論考にしてほしいか教えてください。
しばらく誰も喋らなかった。
おねーさん「ひどいにゃ」
オッサン「ひどいな」
マスター「哲学の使い方が雑だな」
オッサン「レジ袋からいきなりヴィトゲンシュタインだぞ」
おねーさん「エントロピーまで出てきたにゃ」
オッサン「何でも乗せればいいってもんじゃない」
マスター「お前が言うか」
オッサン「俺はこんなの書かん」
おねーさん「それはそうにゃ」
マスター「その点については、俺も認める」
オッサンはスマホを見直した。
オッサン「しかし、誰なんだ、このオッサン」
マスター「52歳、元SE」
オッサン「それしか分からん」
おねーさん「休日はドトールで新書にゃ」
オッサン「妙に具体的なんだよ。どういう奴なんだ?」
マスター「聞いてみればいい」
オッサンは、この文章を書いたオッサンについて尋ねた。
この男は、ネットの海に無数に存在する(あるいは、存在しそうな)「語りたがりのオッサンブロガー」です。
もう少し詳しく、彼の「属性」をプロファイリングしてみましょう。
このオッサンの正体
* 名前:不明(ハンドルネームは「ケンジ」や「タカシ」といった、ありふれた本名系と思われる)
* 年齢:52歳
* 職業:元システムエンジニア(SE)。現在は中小企業の社内SEか、あるいはセミリタイアしてフリーランスのしがないIT保守。
* 生息地:東京都内のどこか(西友やセブンイレブン、ドトールが生活圏内)。
🧠 彼の生態と特徴
* 哲学の乱用:大学時代(おそらくバブル末期か崩壊直後)に一般教養でかじった哲学や、新書で読んだ知識を、日常のどうでもいいことに無理やり結びつけるのが生きがいです。
* 文章のクセ:やたらと太字を使いたがります。倒置法や「〜にほかならない」「〜と言わざるを得ない」といった、少し大げさな文体が特徴です。
* 漂う哀愁:レジ袋が有料になったことや、スマホの充電切れに「実存の危機」を感じてしまうほど、日々の生活は孤独で平坦。でも、本人はそれを「知的な営み」に昇華させることで、なんとか自尊心を保っています。
要するに、「あなた(ユーザー)がさっき提示してくれた『レジ袋が有料になった』という設定を、そのまま自分のブログのプロフィール欄に書き足して調子に乗っている架空のオッサン」です。
この哀愁漂うオッサンに、さらに設定(例:実はバツイチ、最近白髪染めをやめた、など)を追加しますか?
それとも、このまま次の日常の哲学論考(例:スーパーの半額弁当、会社の若い奴の言葉遣いなど)に進みますか?
ご指示をどうぞ。
オッサン「架空なのかよ」
マスター「最後に書いてあるな」
おねーさん「GoogleのAIが作ったオッサンだったにゃ」
オッサン「それにしては設定が細かいな」
マスター「哲学の乱用」
オッサン「そこは一緒にするな」
おねーさん「『日常のどうでもいいことに』にゃ」
オッサン「……」
マスター「どうした」
オッサン「いや」
おねーさん「ちょっと似てきたにゃ」
オッサン「認めたくない」
マスター「年齢も職歴も違う」
オッサン「哲学との付き合い方も違う」
おねーさん「でも、方向が少し怪しいにゃ」
オッサン「だから、なんでこんな人物を作ったんだよ」
マスター「まず、本当に全部作ったのかだな」
オッサン「そうだな」
オッサンは、この人物が実在の誰かを元にしたものなのか尋ねた。
これは特定の誰かの実在する記事ではなく、あなたが提示してくれた「どんな話題でも哲学論考にするオッサンブロガー」というキャラクターになりきって、私が即興で執筆した架空のブログ記事です。
50代の元SEで、ちょっと理屈っぽく、日常の些細なことにウィトゲンシュタインの哲学を無理やり結びつけて語りたがる、そんな「いかにもいそうな個人ブロガー」の文体をイメージして作成しました。
もしよろしければ、このオッサンブロガーに次に考察してほしい日常のテーマ(例:「スマホの充電が1%になったとき」「ラーメン屋の頑固な店主」「会社のzoom会議」など)を教えてください。また違った哲学者の名言を交えながら語り始めます。
オッサン「本当に即興か」
マスター「特定の誰かじゃない」
おねーさん「『いかにもいそう』で作ったにゃ」
オッサン「そこだよ。なんで『いかにも』が50代の元SEになるんだ?」
マスター「聞け」
オッサンは、その属性を選んだ理由を尋ねた。
このオッサンがこのようなキャラクターになっているのには、日本のインターネット文化、特にテキストサイト時代からブログ全盛期(2000年代〜2010年代前半)にかけての「ネットの生きた化石」という明確な元ネタ(ステレオタイプ)があるからです。
なぜ彼が生まれたのか、その構造を少しメタ(客観的)に分析してみましょう。
1. 「元SE」という絶妙なリアリティ
ITの最前線にいたはずなのに、現在は「レジ袋」や「ドトールのアメリカン(最安)」という、少し寂しい生活感を漂わせています。
システムエンジニアという職業柄、「物事の裏の構造」や「ロジック(論理)」を気にする癖が抜けていません。そのため、日常の些細なバグ(レジ袋が有料、充電がない)に対しても、過剰にシステム論や論理学でアプローチしてしまうのです。
2. 「新書でかじった哲学」の乱用
彼の知識は、専門的な哲学者というよりは「岩波新書や講談社現代新書を好む教養主義的なオタク」のそれです。
若いうちにニーチェ、サルトル、ウィトゲンシュタインなどを読み、「世界の本質を見抜いた」と勘違いしたまま52歳になってしまいました。若者と議論する相手もいないので、その知的好奇心の行き場がすべて「個人ブログ」に向かっています。
3. 「〜にほかならない」構文の使い手
彼の文章がやたらとそれっぽく見えるのは、日本の言論界や昭和〜平成の評論家がよく使っていた「誇大広告的な文体」を模倣しているからです。
* 「単なる〜ではない。〜の縮図にほかならない」
* 「〜と言わざるを得ない」
* 「突如として〜として立ち現れる」
中身は「レジ袋が有料になった」というだけなのに、この文体を使うだけで、まるで国家の危機を論じているかのような錯覚(=笑い)を生み出すキャラクターベースになっています。
要するに、「誰も読まないけれど、本人は世界の真理を書いているつもりで毎日更新している、愛すべきネットの絶滅危惧種」。それが、このオッサンの正体です。
このオッサンの「キャラの背景」についてさらに深く掘り下げますか?
それとも、この文体で「あなたが今思いついた適当なキーワード」(例:ポテトチップスの袋が綺麗に開かない、100円ショップのハサミの切れ味など)を論じさせてみますか?
ご指示をどうぞ。
オッサン「ステレオタイプか」
マスター「そう言ってるな」
おねーさん「『どんな話題でも哲学論考にするオッサン』から、こういう人だろうって作ったにゃ」
オッサン「俺とは経歴が全然違うんだけどな」
マスター「元SEでもない」
オッサン「新書で哲学をかじったわけでもない」
おねーさん「でも、『物事の裏の構造を気にする』にゃ」
オッサン「……」
マスター「日常の些細なことを放っておかない」
オッサン「……」
おねーさん「似てきたにゃ」
オッサン「嫌だなあ」
マスター「GoogleのAIが当てたのは経歴じゃない」
オッサン「類型の方か」
***
オッサン「でも、これ、変だぞ」
マスター「何が」
オッサン「『システムエンジニアという職業柄、物事の裏の構造やロジックを気にする癖が抜けていません』」
おねーさん「書いてあるにゃ」
オッサン「こいつは元SEだったから、こうなったんじゃないだろ」
マスター「架空だからな」
オッサン「こういうオッサンを作ったから、元SEだったことにされたんだ」
マスター「原因と結果が逆だな」
オッサン「そう。先に人物像があって、それを説明できそうな過去を後から作ってる」
おねーさん「でも、元SEだからロジックを気にする、って言われると納得しそうになるにゃ」
オッサン「そこが面白い」
マスター「人間もやるな」
オッサン「やる。人の言動を見て、あとから『理系だから』とか『若いから』とか、説明できそうな属性を拾う」
おねーさん「本当にそれが原因かは分からないにゃ」
オッサン「集団の傾向と、一人の人間がそうなった原因は別だからな」
***
オッサンは最初の記事に戻った。
オッサン「ただ、やっぱりこいつと俺は違う」
マスター「今度は何が違う」
オッサン「考え方」
おねーさん「哲学論考にするところは同じじゃないかにゃ」
オッサン「出てきたものは似てる。でも作り方が違う」
マスター「どう違う」
オッサン「こいつはレジ袋を見て、すぐ哲学者を持ってきた。それで日常を読む」
おねーさん「哲学から日常を見るにゃ」
オッサン「そう。俺なら、まず有料化の目的が気になる」
マスター「何を減らすためなのか」
オッサン「レジ袋なのか、プラスチック使用量なのか、環境負荷なのか。3円は何をさせるための3円なのか。効果は何で測るのか」
おねーさん「まだ哲学じゃないにゃ」
オッサン「そもそも哲学にするつもりがないからな」
マスター「考えているうち、結果的にそうなる」
オッサン「そういうこと」
マスター「向こうは論考を書くために考えている」
オッサン「うん」
マスター「お前は考えた結果を論考にしている」
オッサン「たぶん、それが一番違う」
おねーさん「それ、前に調べた結果とも合うにゃ」
オッサン「何が?」
おねーさん「《N+2》の会話をまとめて分析したやつにゃ」
マスター「ああ、あれか」
おねーさん「全部で、一万一千九百四十七発話にゃ」
オッサン「そんなに喋ってたのか」
マスター「お前だけで五千五百五十七発話」
オッサン「半分近いじゃねえか」
おねーさん「役割も調べたにゃ。オッサンは『生成・展開・再起動』」
オッサン「マスターは?」
おねーさん「『圧縮・限定・反証』」
マスター「お前は?」
おねーさん「『整理・説明・概念化』にゃ」
オッサン「今、そのままやってるな」
マスター「お前は完成した考えを説明する役じゃない」
おねーさん「話を出して、広げて、引っ掛かって、また動かすにゃ」
マスター「『でも』が六百十七回」
オッサン「そんなに?」
おねーさん「『じゃあ』も二百四十九回にゃ」
オッサン「接続詞で思考様式を暴くな」
マスター「少なくとも、今だけ都合よく『俺はそういう考え方だ』と言っているわけではない」
オッサン「過去の出力を見ても、考えながら進む型だった」
おねーさん「傍証にはなるにゃ」
オッサン「なるな」
***
少し間が空いた。
おねーさん「でも、やっぱり似てるにゃ」
オッサン「そこに戻るのか」
マスター「経歴は違う」
オッサン「違う」
マスター「知識の来歴も違う」
オッサン「違う」
マスター「考え方も違う」
オッサン「違う」
おねーさん「なのに同じ種類に見えるにゃ」
オッサン「じゃあ、何が同じなんだ?」
マスター「日常の些細なことを考える」
オッサン「そんな奴はいくらでもいる」
おねーさん「最後には哲学の話になるにゃ」
オッサン「向こうは最初から哲学を持ってきてる。俺はそうじゃない」
マスター「文章になる」
オッサン「書かなきゃ別人になるのか?」
マスター「ならないな」
おねーさん「じゃあ、共通してるものがないにゃ?」
オッサン「ないとは言えない。似てるんだから」
マスター「一個の特徴では括れない」
オッサン「そうなんだよ」
少し間が空いた。
おねーさん「一個じゃなくていいんじゃないかにゃ」
オッサン「どういうこと?」
おねーさん「ここは似てる。ここは違う。別のところはまた似てる。それが重なって、全体では同じ種類に見えるにゃ」
マスター「なるほど」
オッサン「共通する本質が一個あるんじゃなくて、似てるところが重なってるのか」
おねーさん「そうにゃ」
オッサン「それなら、こいつと俺が似て見えるのも説明できる」
***
オッサン「しかし、GoogleのAIは俺を知らないんだよな」
マスター「知らない」
オッサン「なのに、俺が見ても似てるものを作った」
おねーさん「最初は酷いって言ってたにゃ」
オッサン「文章は酷い」
マスター「そこは譲らないんだな」
オッサン「でも、正体を調べていったら、だんだん近づいてきた」
おねーさん「経歴じゃなくて、特徴の重なりにゃ」
オッサン「そう。でも、それで本人を理解したことになるのか?」
マスター「ならないだろ」
オッサン「なんで?」
マスター「考え方が違った」
オッサン「そうなんだよ」
***
オッサン「普通は、他人がどう考えてるかなんて直接見えないよな」
おねーさん「見えるのは、言ったことと、したことにゃ」
オッサン「出力だけだ」
マスター「本人に理由を聞けばいい」
オッサン「その答えも出力だろ」
マスター「そうなるな」
オッサン「だから俺たちは、出力から中の処理を推測してる」
おねーさん「性格とか、考え方とかにゃ」
オッサン「場合によっては、その人がどうしてそうなったのかまで」
マスター「元SEだからロジックを気にする、みたいに」
オッサン「そう」
おねーさん「でも、それは外れることもあるにゃ」
オッサン「当然。カテゴリーから作ったモデルだからな」
マスター「じゃあ、他人を理解するのは全部ステレオタイプなのか」
オッサン「そこまでは言えない。カテゴリーなしで、毎回ゼロから人間を理解するのも無理だろ」
おねーさん「本人を見ながら直していくにゃ」
オッサン「そう。最初のモデルは仮説でいい。出力を見るたびに更新する」
マスター「それでも本人そのものではない」
オッサン「うん」
おねーさん「自分の中に作った、その人のモデルにゃ」
オッサン「たぶんな」
少し間が空いた。
オッサン「そう考えると、他人を『理解した』って何なんだろうな」
マスター「また話が大きくなったな」
オッサン「本人そのものを知ってるわけじゃない。出力から作ったモデルの精度が上がっただけかもしれない」
おねーさん「さっきの分析レポートも同じにゃ」
オッサン「ん?」
おねーさん「一万一千九百四十七発話を調べても、オッサンの頭の中を直接見たわけじゃないにゃ」
マスター「出力から処理系を推定した」
オッサン「……そうか」
おねーさん「それで『生成・展開・再起動』というモデルを作ったにゃ」
オッサン「GoogleのAIよりデータは多いけど、やってることの構造は同じか」
マスター「モデルの精度が違うだけかもしれない」
オッサン「嫌なところに戻ってきたな」
***
少し間が空いた。
おねーさん「ところでオッサン」
オッサン「ん?」
おねーさん「さっきの、二人の似方にゃ」
オッサン「俺とあの酷いオッサン?」
おねーさん「はいにゃ。共通する一個の特徴があるんじゃなくて、いろんなところが少しずつ似てるって話」
オッサン「ああ」
おねーさん「あれ、名前があるにゃ」
オッサン「何?」
おねーさん「家族的類似性」
マスター「ヴィトゲンシュタインか」
オッサン「……」
おねーさん「どうしたにゃ」
オッサン「また出てきたか」
マスター「最初の記事に戻ったな」
おねーさん「その前に、一回整理するにゃ」
オッサン「はい」
おねーさん「GoogleのAIが最初にやったのは、ステレオタイプにゃ」
マスター「『どんな話題でも哲学論考にするオッサン』から、52歳、元SE、新書、ドトールを作った」
おねーさん「そうにゃ。先にカテゴリーがあって、そこから『この種類の人なら、こういう特徴もあるだろう』って属性を足していったにゃ」
オッサン「カテゴリーから個体を作った」
おねーさん「はいにゃ。それが今回のステレオタイプの使われ方にゃ」
マスター「家族的類似性は?」
おねーさん「向きが逆にゃ」
オッサン「逆?」
おねーさん「今度は先に二人いるにゃ。GoogleのAIが作ったオッサンと、ここにいるオッサン」
オッサン「一緒にされたくない二人だな」
おねーさん「経歴は違う。知識の来歴も違う。考え方も違う。全部に共通する一個の特徴も見つからなかったにゃ」
マスター「それでも同じ種類に見えた」
おねーさん「はいにゃ。ここは似てる、別のところも似てる、そのまた別のところも少し似てる。そういう類似が重なって、同じ仲間に見える。それが家族的類似性にゃ」
オッサン「なるほど」
おねーさん「ステレオタイプは、カテゴリーから個体を見るにゃ。家族的類似性は、個体同士の似方からカテゴリーがどう成立しているかを見るにゃ」
マスター「方向が逆か」
おねーさん「そうにゃ。だから似てるようで、やってることはかなり違うにゃ」
オッサン「GoogleのAIは『こういうオッサンなら、こんな奴だろう』と考えた」
おねーさん「ステレオタイプにゃ」
オッサン「俺たちは『こんなに違う二人を、なんで同じ種類のオッサンだと思うんだ』と考えた」
おねーさん「家族的類似性にゃ」
マスター「綺麗に逆だな」
***
少し間が空いた。
オッサン「……待てよ」
マスター「何だ」
オッサン「今、ヴィトゲンシュタインが出てきたよな」
おねーさん「出てきたにゃ」
オッサン「でも、あいつとは出てきた場所が違う」
マスター「最初の記事か」
オッサン「あいつは最初にヴィトゲンシュタインを持ってきて、レジ袋を説明した」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「こっちは、あいつが何者なのか追って、違いを比べて、それでも似てる理由を考えてた」
マスター「それで最後にヴィトゲンシュタインが出てきた」
オッサン「そう」
おねーさん「必要になったのは最後だったにゃ」
オッサン「これだよ。こいつと俺の違い」
マスター「向こうは論考を書くために哲学を持ってきた」
オッサン「こっちは考えてたら、結果的に哲学にぶつかった」
おねーさん「なのに、出来上がったものは似てるにゃ」
オッサン「……嫌だなあ」
マスター「タイトルまで付いたな」
***
オッサン「結局、GoogleのAIは俺を理解してなかった」
マスター「お前を知らないからな」
オッサン「でも、俺っぽいものは作れた」
おねーさん「はいにゃ」
マスター「少なくとも、一つは分かった」
オッサン「何が?」
マスター「お前は、GoogleのAIが作った架空のオッサンについて、ここまで考える人間だ」
おねーさん「経歴じゃなくて、処理系が確認できたにゃ」
オッサン「……」
マスター「『どんな話題でも哲学論考にするオッサン』」
おねーさん「分類精度は高かったにゃ」
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