第十話 窓ガラスは割らないよ
小さなバー。名前は《N+2》。
オッサン「今日、職場の子に無理やり相性マッチングさせられた」
マスター「誰と」
オッサン「その子と」
おねーさん「何の相性にゃ?」
オッサン「知らん。生年月日入れたら、八十二パーセントだって」
マスター「高いな」
オッサン「ほら、それだよ」
マスター「何が」
オッサン「八十二って言われたら、高いと思っただろ」
マスター「まあな」
オッサン「何が八十二なのか分からないのに」
おねーさん「相性にゃ」
オッサン「だから、その相性って何だよ」
マスター「知らん」
オッサン「俺も知らん」
おねーさん「でも八十二パーセントにゃ」
オッサン「数字が出た瞬間、なんか測った気になるんだよな」
マスター「数字だからな」
オッサン「八十二センチなら?」
おねーさん「何の長さかによるにゃ」
オッサン「八十二歳なら?」
マスター「年齢だ」
オッサン「八十二点なら?」
おねーさん「何の点数にゃ?」
オッサン「点数になった瞬間、評価っぽくなる」
マスター「百点満点ならな」
オッサン「ああ。尺度があるのか」
おねーさん「高い方が良いのか、低い方が良いのかも必要にゃ」
オッサン「何を測って、何と比べて、どっちが良いか」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「それが決まって、初めて評価になる?」
おねーさん「そうにゃ」
オッサン「評価に点数といえば、テストだよな」
***
オッサン「英語のテストで八十二点取った」
マスター「今度は意味があるな」
オッサン「何が八十二なんだ?」
マスター「テストの点数だろ」
オッサン「英語力が八十二じゃない?」
おねーさん「そのテストでは、八十二点取った、にゃ」
オッサン「じゃあ、英語が八十二点できるって意味じゃない」
おねーさん「直接には言えないにゃ」
オッサン「前に英語の話したよな。読めてるかどうかは、本人には分かっても、外から直接は見えない」
マスター「内容について聞けばいいって言ってたな」
オッサン「答えられたら、読めたと考える」
おねーさん「考える、にゃ」
オッサン「テストも同じ?」
おねーさん「そうにゃ。理解そのものを直接見ているわけではないにゃ」
マスター「問題を出す」
オッサン「答える」
おねーさん「答えを採点するにゃ」
オッサン「それが点数になる」
マスター「そうだな」
オッサン「理解、問題、解答、採点、点数」
おねーさん「間にいくつも段階があるにゃ」
オッサン「じゃあ点数は、理解そのものじゃない」
マスター「だからって、何も測ってないわけじゃないぞ」
オッサン「そうなんだよな」
おねーさん「適切な問題なら、理解していると考える材料にはなるにゃ」
オッサン「和訳と同じだ。和訳できることは、英語が読めることそのものじゃない。でも証拠にはなる」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「評価って、直接見えないものを、見えるものから推定してる?」
マスター「そういう評価もあるな」
***
オッサン「じゃあ、問題を作る人が重要じゃん」
マスター「今頃気づいたか」
オッサン「単語ばっかり出せば、単語を覚えてる人が高得点になる」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「長文を出して内容を聞けば、読む方を見る」
おねーさん「どんな文章で何を問うかにもよるにゃ」
オッサン「何を問題にするかで、見えるものが変わるのか」
マスター「何を見たいんだ」
オッサン「英語なら、読めること」
おねーさん「それは何ができることにゃ?」
オッサン「またそこからか」
おねーさん「そこを決めないと問題を作れないにゃ」
オッサン「じゃあ、先に学習目標がある?」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「あ。『公共』のときと同じだ」
マスター「何が」
オッサン「何を教えるかを並べるだけじゃなくて、どんな判断ができるようになってほしいか、どんな学習者になってほしいかを先に置く」
おねーさん「そういう設計もあるにゃ」
オッサン「その目標があって、それを達成するために何を学ぶか決める」
マスター「それで?」
オッサン「達成したかどうかを見るために、評価する」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「カリキュラムの最後にテストがぶら下がってるんじゃないんだ」
マスター「実施するのは最後でもな」
オッサン「目標を決めるときから、どうやって確かめるかも考えなきゃならない」
おねーさん「そうにゃ」
オッサン「何を学んでほしいかと、何を評価するかは切り離せない」
おねーさん「KPIにゃ」
マスター「お前、このオッサンに毒されてないか」
***
オッサン「じゃあ、前に話した単元の話まで戻るな」
マスター「何が」
オッサン「教えるために切って、並べて、つないだだろ」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「そこに評価までつく。何を教えるかだけじゃなくて、何ができるようになってほしいかまで決めてる」
マスター「そうだ」
オッサン「単元って、知識を並べるだけじゃなかった」
マスター「そうだ」
オッサン「ああ。でもそこに評価をつけると、何を大事にしてるか、もっと露骨に見えるんだよ」
おねーさん「何を理解とするかもにゃ」
オッサン「例えば、歴史なんか困るな」
マスター「何が」
オッサン「この前、俺の頭にはフランス革命、恐怖政治、ナポレオンって点しか残ってなかった。でも『なんでナポレオン?』から線を引き直せた」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「じゃあ、歴史を分かってるって何だ? 点が残ってることか、線を引けることか」
おねーさん「何を理解とするかで、評価も変わるにゃ」
オッサン「しかも、そのとき線が引けなくても、三十年後に引けるかもしれない」
マスター「ローマみたいにな」
オッサン「そう。三十年後に分かったものを、学校でどう採点するんだ?」
マスター「三十年待つのか」
オッサン「無理だな」
おねーさん「だから、その時点で見えるものを評価するしかないにゃ」
オッサン「評価には時間軸まで入ってくるのか」
***
オッサン「でも、テストってもう一つ変なところがあるな」
マスター「何だ」
オッサン「受ける方も、テストがあるって知ってる」
マスター「普通はな」
オッサン「だったら、テストに出るものを勉強する」
おねーさん「するにゃ」
オッサン「評価するためにテストを作ったのに、テストが勉強するものを決め始める?」
おねーさん「そうなることはあるにゃ」
オッサン「測ってるだけじゃないじゃん」
マスター「相手が人間だからな」
オッサン「測り方を決めたら、測られる側の行動が変わる」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「温度計を見せたら、水が温度計に合わせて温度を変えるようなもんか」
マスター「水は試験対策しない」
おねーさん「人間はするにゃ」
オッサン「じゃあ先生が、テスト対策ばっかり教えるのは?」
マスター「先生だけの問題か?」
オッサン「どういうこと?」
マスター「先生は評価されないのか」
オッサン「されるな」
おねーさん「学校も教育者も、何らかの形で成果を求められるにゃ」
オッサン「その成果に、生徒の成績とか、到達度とか、合格実績とかが入ったら」
マスター「先生の評価が、生徒の評価結果に依存する」
オッサン「あ」
おねーさん「しかも、時間も人手も有限にゃ」
オッサン「すると先生だって、評価されるものを効率よく上げようとする?」
マスター「合理的だな」
オッサン「生徒はテストに適応する。先生もテストに適応する」
おねーさん「評価する側も、評価されているにゃ」
オッサン「誰が悪いんだ?」
マスター「悪い奴を探してたのか」
オッサン「いや」
おねーさん「評価系を置けば、その評価系に応じて人が動くという話にゃ」
オッサン「教育システムそのものが、フィードバック系になってる?」
マスター「人間を入れた時点でな」
オッサン「面倒だな」
マスター「だから評価をやめるか?」
オッサン「それもできない」
***
オッサン「そう考えると、卒業って、この前の話よりもう一つ意味があるな」
マスター「自動更新が切れるって話か」
オッサン「あれは知識の方だろ。人類の地平は動き続けるのに、学校から新しいスナップショットを渡してもらえなくなる」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「そして今度は、評価の方だ」
マスター「何が終わる」
オッサン「単元もカリキュラムもなくなる。先生も試験も成績もなくなる」
おねーさん「誰かが決めた学習目標もなくなるにゃ」
オッサン「何を学ぶか、どの順番で学ぶか、どこまで学ぶか。それが予め決められていて、それに基づいた評価がついて回る仕組みから出るんだ」
マスター「そう聞くと、雁字搦めだな。…尾崎豊、か」
オッサン「そういう意味なら、支配からの卒業かもしれない」
おねーさん「悪い支配だったにゃ?」
オッサン「いや。そこが困る。ここまで話してきたら、必要だったのも分かる」
マスター「じゃあ何が問題なんだ」
オッサン「問題じゃない。卒業したら、それをやってくれる人がいなくなるってことだ」
おねーさん「何を学ぶかも、どうつなぐかも、自分で決めるにゃ」
オッサン「分かったかどうかも?」
マスター「自分で引き受けるしかないな」
オッサン「……それ、怖くないか?」
マスター「何が」
オッサン「学校なら間違えたら×をつけてくれるだろ」
おねーさん「卒業したら、誰も採点してくれないにゃ」
オッサン「正解があるかどうかも分からない?」
マスター「それでも時間は進む」
オッサン「……支配からの卒業って、結構怖いな」
おねーさん「自由になりたかったんじゃないのかにゃ?」
オッサン「自由を得るための代償……でもないか。もともと自由だからな」
マスター「そうだな」
オッサン「じゃあ、俺は次に何を勉強すればいい?」
マスター「お前の自由だ」
オッサン「そのための単元は?」
おねーさん「ないにゃ」
オッサン「……ないな」
おねーさん「卒業したにゃ」
少し間が空いた。
オッサン「でも、この前の話で気づいたんだよな。俺、卒業してからもずっと本や論文を読んでる」
マスター「リスキリングじゃないって話だな」
オッサン「そう。誰にも学習目標を決められてない。試験もない。成績もつかない」
おねーさん「それでも学んでるにゃ」
オッサン「面白いからな」
マスター「じゃあ、もうやってるじゃないか」
オッサン「何を?」
マスター「自分で決めることを」
オッサン「ああ」
おねーさん「誰も採点してくれないけどにゃ」
オッサン「そこまで含めて、自分で引き受けるのか」
マスター「自由だからな」
***
オッサン「前に、学校では先に答えを教えられるから、知の冒険が減るって話したよな」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「でも、あれは仕方ないんだよな」
マスター「何が」
オッサン「本当に未知のところへ行くなら、冒険になる。答えがあるかどうかも分からない。何年かけても何も出ないかもしれない」
おねーさん「それは、研究にゃ」
オッサン「そう。研究者なら、そこに人生を賭けることもある。でも全員にそれをやれとは言えない」
マスター「学校は卒業できなくなるな」
オッサン「だからネタバレする。既に分かってることを、単元にして、安全に渡す」
おねーさん「知の冒険ではなくなるにゃ」
オッサン「うん。でも卒業したら、別のことができる」
マスター「何だ」
オッサン「探検」
おねーさん「冒険とは違うにゃ?」
オッサン「違う。探検なら装備を持っていける。本もある。論文もある。調べる方法もある。先に行った人もいる」
マスター「危なければ戻れる」
オッサン「仕事を辞める必要もない。人生を賭けなくていい。社会人だからできる知の探検だ」
おねーさん「行き先は?」
オッサン「自分で決める」
マスター「行かなくてもいい」
オッサン「それも自分で決める」
おねーさん「自由にゃ」
オッサン「その代わり、選んだ結果も自分に返ってくる」
マスター「自己責任だな」
おねーさん「卒業したんだから、もう校舎の窓ガラスは壊さないにゃ」
オッサン「もともと壊さないよ」
マスター「で、自由になって何をした」
オッサン「英語の本を読んだ」
マスター「なぜ」
オッサン「本代がかかるから」
おねーさん「『千夜一夜物語』も読んだにゃ」
オッサン「長いから」
マスター「ギボンも読んだ」
オッサン「ローマが分からなかったから」
マスター「計画性がないな」
オッサン「思うつくままの自由だったからな」
おねーさん「気持ち悪いくらいまとまったにゃ。なんか変にゃ」
オッサン「酷い言いようだな。そんなにまとめられたんならさ、これ、どう?『卒業したら、知の探検が始まる』格好よくない?」
おねーさん「生涯学習センターのポスター標語みたいにゃ」
マスター「急に説教臭くなったな」
***
マスター「ところで、お前さんの受けた八十二パーセントという評価結果はどうするんだ」
オッサン「何を?」
マスター「次の行動」
オッサン「しないよ」
おねーさん「そこは確かめないにゃ?」
オッサン「確かめない。だって、俺、既婚者だし、それに」
マスター「それに?」
オッサン「嫁さんのこと大好きだもん」
おねーさん「オッサンの評価が初めて上がったにゃ」
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