宇宙への脱出編 成長と限界

小さなバー。名前は《N+2》。

オッサン「なあ、会社って、どこまで成長したら許してもらえるんだ?」

マスター「会社を存続しようとする限りだろ」

オッサン「それは分かってる」

マスター「じゃあ何だ」

オッサン「今日さ、来年度の話をしてたんだよ。成長戦略とか、市場成長率とか、売上成長とか」

おねーさん「会社らしい話にゃ」

オッサン「そう。競争はある。人件費も上がる。設備投資も要る。株主だっている。市場が伸びてるのに自分だけ伸びなかったら、シェアを落とすこともある」

おねーさん「ちゃんと分かってるにゃ」

オッサン「社会人だからな」

マスター「なら仕事しろ」

オッサン「仕事してるから気になったんだよ」

マスター「何がだ」

オッサン「成長しなきゃいけない理由はいくらでも説明できる。でも、成長しなくていい条件って、あまり聞かないだろ」

マスター「必要だからだろ」

オッサン「それ」

マスター「何だ」

オッサン「必要なのは分かってる。でも、必要だって分かったところで考えるのをやめたら、ずっと必要なままじゃないか?」

マスター「面倒くさいな」

オッサン「例えばさ、去年百億円売った会社があるとする」

マスター「ああ」

オッサン「今年も百億円。来年も百億円」

おねーさん「三年間同じにゃ」

オッサン「立派じゃないか」

マスター「条件による」

オッサン「分かってる。物価も人件費も市場も競争環境も動く。だから思考実験として、全部変わらないことにする」

マスター「なら百億円を維持した」

オッサン「そう。『三年間、百億円を維持しました』」

おねーさん「安定してるにゃ」

オッサン「じゃあ、『三年連続、成長率ゼロでした』」

マスター「同じだな」

オッサン「同じなんだよ。でも、後の方は何か足りない感じがするだろ」

おねーさん「『維持』なら達成したものを見るけど、『成長率ゼロ』だと、増えなかった方を見るにゃ」

オッサン「そう。実際に起きたことは同じなのに」

マスター「指標の置き方が違う」

おねーさん「何を指標にするか決めた時点で、何を見るかも選んでるにゃ」

オッサン「そうなんだよ。成長率で見た時点で、増える方向を見てる」

***

オッサン「これ、会社だけの話でもない」

マスター「何だ」

オッサン「国家レベルでは、GDP成長率って言うだろ」

おねーさん「経済成長にゃ」

オッサン「会社の売上とGDPを同じものだと言ってるんじゃないぞ」

マスター「そこは違うからな」

オッサン「でも、国家レベルでも『成長』という言葉を使う」

おねーさん「対象は違っても、増加を一つの評価軸にしてるにゃ」

オッサン「そう。もちろん経済成長が必要になる理由もいくらでもある。会社とは理由が違うけど、一個ずつ聞けば大体もっともなんだ」

マスター「ああ」

オッサン「来年、成長した方がいい」

マスター「状況によるがな」

オッサン「じゃあ、成長した方がいい状況だったとする。再来年は?」

おねーさん「そのとき考えるにゃ」

オッサン「そのときにも、たぶん成長した方がいい理由がある」

マスター「あるかもしれんな」

オッサン「その次は?」

マスター「同じことを聞くのか」

オッサン「そう。一年ずつなら、全部合理的なんだよ」

おねーさん「でも、それを時間方向につなげると?」

オッサン「そこなんだよ」

少し間が空いた。

オッサン「『成長の限界』ってあっただろ」

おねーさん「ローマクラブにゃ。一九七二年に出た報告にゃ」

オッサン「そう、それ。人口、工業生産、食料、資源、汚染。いろんな要素を組み合わせて、このまま成長を続けたらどうなるかを考えた」

マスター「システムとして見たわけだな」

オッサン「予測が当たったとか外れたとか、そういう話はしない」

マスター「じゃあ何だ」

オッサン「五十年以上前にはもう、『有限な地球で、いろんなものがずっと増え続けることはできるのか』って問題を立ててたわけだろ」

おねーさん「はいにゃ」

オッサン「それから五十年以上たった」

マスター「ああ」

オッサン「で、俺は今日、会社で来年度の成長について話してた」

マスター「仕事だからな」

オッサン「そう。しかも俺も、来年は成長した方がいいと思ってる」

おねーさん「外から批判してるわけじゃないにゃ」

オッサン「完全に中にいる」

マスター「会社の来年度計画と、地球規模の長期モデルを一緒にするなよ」

オッサン「しないよ。時間も規模も違う」

マスター「なら何が気になる」

オッサン「一回一回は合理的なのに、時間方向につなげると終わらないこと」

マスター「永遠に成長するとは誰も言ってない」

オッサン「そうなんだよ」

おねーさん「でも、毎回の判断では次の成長を選べるにゃ」

オッサン「そう。誰も永遠に成長できるとは言わない。でも、来年成長しなくていいとも、なかなか言わない」

少し間が空いた。

マスター「ある年に突然やめる話でもないだろ」

オッサン「うん。だから、いつやめるかが問題じゃない気がする」

おねーさん「じゃあ何にゃ?」

オッサン「成長しない状態を、どう評価するかじゃないか?」

マスター「維持では駄目なのか」

オッサン「会社で『来年度の目標は維持です』って言ったら、理由を聞かれるだろ」

マスター「場合によるな」

オッサン「じゃあ『成長します』なら?」

おねーさん「成長すること自体の理由は、維持する理由ほど説明を求められないにゃ」

オッサン「そう。それが気になってる」

マスター「成長する方が普通だからだろ」

オッサン「その『普通』を今見てるんだよ」

マスター「なるほど」

オッサン「『成長の限界』って、物理的な限界の話だと思ってたんだ」

おねーさん「資源とか環境とかにゃ」

オッサン「でも、限界にぶつかる前に別の問題があるんじゃないか?」

マスター「何だ」

オッサン「成長しない状態を、成功だと思えるかどうか」

***

おねーさん「じゃあ、成長以外のものを評価すればいいにゃ」

オッサン「例えば?」

おねーさん「幸福、健康、余暇、環境」

オッサン「全部大事だな」

マスター「ああ」

オッサン「だから困る」

おねーさん「何がにゃ?」

オッサン「例えば、去年より平均寿命が延びました。所得も増えました」

おねーさん「はいにゃ」

オッサン「でも、労働時間も増えました。森林も減りました」

マスター「良い方向と悪い方向が混じるな」

オッサン「さて、この社会は去年より良くなったでしょうか」

おねーさん「それだけでは決まらないにゃ」

オッサン「だろ?」

マスター「何を重く見るか決めるしかない」

オッサン「平均寿命と所得と労働時間と森林を?」

マスター「ああ」

オッサン「単位が全部違うぞ」

おねーさん「年と円と時間と面積にゃ」

オッサン「そのまま足せない」

マスター「なら重みをつける」

オッサン「その重みをどう決める?」

おねーさん「評価する人が決めるしかないにゃ」

オッサン「また評価関数か」

マスター「逃げられんな」

オッサン「何を測るかを選んで、どう重みをつけるかも選ぶ」

おねーさん「数字にしたからって、評価した人が消えるわけじゃないにゃ」

オッサン「そういうことか」

少し間が空いた。

オッサン「でもさ、変なのが一個あるんだよ」

マスター「何だ」

オッサン「金」

マスター「何が変なんだ」

オッサン「リンゴも、労働も、土地も、電気も、ホテルに一泊するのも、全部円になる」

おねーさん「値段にゃ」

オッサン「全然違うものなのに」

マスター「交換するためだろ」

オッサン「交換するだけじゃない。比べられるし、足せる」

マスター「ああ」

オッサン「リンゴ一個と土地一平方メートルは足せない。でも、二百円と十万円なら十万二百円だ」

おねーさん「違うものが、同じ形式になってるにゃ」

オッサン「これ、すごくないか?」

マスター「今さら貨幣に感心するのか」

オッサン「今まで使ってたけど、改めて考えたことなかった」

***

おねーさん「それ、マクルーハンにあるにゃ」

オッサン「誰?」

おねーさん「メディア論の人にゃ。貨幣もメディアとして扱ってるにゃ。いろいろな仕事や価値を、別のものへ翻訳するものとして見てるにゃ」

オッサン「翻訳か」

マスター「違うものを共通の形式に変えるわけか」

オッサン「なるほど。リンゴが円になる。労働が円になる。土地が円になる。それで、その円がまた別のものになる」

おねーさん「はいにゃ」

オッサン「だから直接交換しなくていい」

マスター「そういうことだな」

オッサン「でも、『翻訳』って言うと見え方が変わるな」

マスター「どう変わる」

オッサン「完全な翻訳じゃないって分かる」

おねーさん「翻訳したときに落ちるものがあるにゃ。値段が、そのものの価値全部を表しているわけではないにゃ」

オッサン「景観に値段をつけても、景観そのものが金になったわけじゃない」

マスター「そうだな」

オッサン「でも、完全じゃなくても翻訳できる」

マスター「使える程度にはな」

オッサン「そこが強いんだよ」

少し間が空いた。

オッサン「もしかして、これが成長を扱いやすくしてるのか?」

マスター「どういう意味だ」

オッサン「幸福と健康と余暇と環境だったら、それぞれ別に見るしかない」

おねーさん「個別の指標は作れるにゃ」

オッサン「でも、それをまとめて『去年より良くなった』って一個の数字にしようとした途端、何をどれだけ重くするか決めなきゃいけない」

おねーさん「評価関数が要るにゃ」

オッサン「ところが金額にできるものは、最初から同じ形式で来る」

マスター「だから足せる」

オッサン「去年百億円、今年百十億円。十億円増えた」

おねーさん「増えたか減ったかも一つの数字で言えるにゃ」

マスター「市場価格が価値そのものだという意味ではないぞ」

オッサン「分かってる。正確だから強いんじゃない。いろんなものを同じ形式にできるから強いんだ」

マスター「汎用性か」

オッサン「そう。それ」

***

オッサン「考えてみると、人間って貨幣を批判するのは得意だよな」

マスター「昔からな」

オッサン「金では幸福は買えない。GDPでは豊かさを全部測れない。自然の価値は金額だけでは表せない」

おねーさん「どれも、貨幣への翻訳で落ちるものがあるって話にゃ」

オッサン「ああ。俺もそう思う」

マスター「で?」

オッサン「じゃあ、代わりは?」

マスター「何の代わりだ」

オッサン「貨幣みたいに、全然違うものを横断して、一つの形式にして、比較して、交換して、足し算までできるもの」

おねーさん「個別の目的なら、別の指標はいろいろあるにゃ」

オッサン「そう。でも用途を限定しないやつ」

マスター「難しいな」

オッサン「少なくとも俺は、貨幣以上に汎用的な価値メディアを知らない」

マスター「その言い方ならいいだろう」

オッサン「欠点だらけなのにな」

おねーさん「不完全だけど、汎用的にゃ」

オッサン「不完全なのに、便利すぎるんだよ」

少し間が空いた。

マスター「それで、最初の話はどうなった」

オッサン「成長か」

マスター「ああ」

オッサン「少なくとも、なんで増えたか減ったかをこんなに扱いやすくできるのかは少し分かった」

おねーさん「貨幣に翻訳できる範囲なら、全部数字で表現できるにゃ」

オッサン「うん。でもさ」

マスター「何だ」

オッサン「測りやすいからって、増やしたくなるとは限らないよな」

マスター「ああ」

オッサン「体温は簡単に測れるけど、高ければ高いほどいいとは思わない」

おねーさん「熱が出るにゃ」

オッサン「身長だって測れるけど、大人になってまで毎年伸びろとは言わない」

マスター「当たり前だ」

オッサン「じゃあ、金は?」

少し間が空いた。

オッサン「なんで増えた方がいいんだ?」

マスター「最初に戻ったな」

オッサン「いや。一個進んだ」

マスター「どこが」

オッサン「増えたかどうかを簡単に測れる理由と、増やしたい理由は、別だって分かった」

おねーさん「はいにゃ」

オッサン「じゃあ次は、増やしたい方だ」

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