番外編 おねーさんの研究ノート「基準は、あるのか、置くのか」
◎月◎日。
今日、オッサンとマスターの会話が妙に刺さったので記録しておくにゃ。
「電波放送の電波って、地面との電位差だよな」
マスターは即答した。
「違う」
いつものやつにゃ。
そこから電波と電磁波の話になって、アンテナの話になって、アースの話になって、GNDの話になった。
私はカウンターの端でグラスを拭きながら聞いていたにゃ。
オッサンは最初、GNDは地面だと思っていたらしい。
まあ、Groundだから無理もないにゃ。
でもマスターによると、GNDは必ずしも地面ではない。
回路の中で、電位を測るための基準として0Vを決める。
その基準をGNDと呼ぶことがある。
乾電池なら、マイナス端子を0Vにすれば、プラス端子は約1.5V。
逆にプラス端子を0Vにすれば、マイナス端子は約マイナス1.5V。
電池は何も変わっていない。
変わったのは基準だけ。
ここで、ちょっと面白いと思ったにゃ。
マスターは何度も言っていた。
「基準だ」
オッサンが、
「0Vなのに0Vじゃない?」
と言ったときも、
「基準だと言ってるだろ」
と答えていた。
たぶんマスターとしては、純粋に電気の話をしていたにゃ。
でも私は哲学をやっていたので、そう簡単には聞けない。
0Vというものが、世界のどこかに絶対的な場所として存在しているわけではない。
ある点を基準にする。
そこを0Vと呼ぶ。
すると、他の点の電位が記述できる。
マスターは最後に、
「0Vだから基準なのではない。基準にしたから0Vなのだ」
と言った。
オッサンが嬉しそうな顔をした。
私も、たぶん同じ顔をしていたにゃ。
基準が先で、値が後。
これはかなり重要な話に見える。
たとえば、背が高い。
何センチから高いのか。
速い。
何と比べて速いのか。
豊かだ。
何を基準に豊かなのか。
正常だ。
どこからが正常なのか。
珍しい。
どれくらいの頻度なら珍しいのか。
言葉には、ずいぶんたくさんのGNDが埋め込まれているにゃ。
しかも面倒なのは、そのGNDが見えないことが多いこと。
5Vと言われれば、電気を知っている人は、
「何に対して?」
と聞く。
でも、
「あの人は変わっている」
と言われたとき、
「何に対して?」
とは、なかなか聞かない。
変わっている。
普通だ。
成功している。
遅れている。
進歩している。
危険だ。
安全だ。
全部、何らかの基準との差として初めて意味を持つはずなのに、基準の方は省略される。
もしかすると、人間は基準を省略するのが上手すぎるのかもしれないにゃ。
ただ、電気と人間を簡単に同じにしてはいけない。
ここはオッサンがよくやるところなので注意するにゃ。
電位差は物理量として定義できる。
人間の「豊かさ」や「正常」や「幸福」は、同じようには測れない。
基準そのものについて争うこともある。
何を測るかについても争う。
そもそも一つの軸に並べていいのか、という問題まである。
だから、
「すべては相対的だ」
と言って終わるのは雑にゃ。
それでは何も分からない。
面白いのはむしろ逆。
相対的だからこそ、
どこをGNDにしたのか、
を確認しなければならない。
オッサンが最後に、
「人間の価値判断も――」
と言いかけた。
マスターは、
「帰れ」
と言った。
正しい判断だったと思うにゃ。
あのまま喋らせていたら、たぶん二時間は帰らなかった。
でも、オッサンが言おうとしたことも、少し分かる。
人間は世界を見るとき、たぶんどこかに0Vを置いている。
それ自体は避けられない。
基準がなければ差を記述できないから。
問題は、
自分がどこを0Vにしたのか忘れてしまうこと。
そしてもっと面倒なのは、
自分が0Vにした場所を、
世界にもともと存在する0Vだと思ってしまうこと。
マスターは電気の話しかしていない。
オッサンは哲学の話を始める前に追い出された。
だからこれは、
私が勝手に考えたことにしておくにゃ。
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