第十五話 未来予知は程度問題か
小さなバー。名前は《N+2》。
オッサンがスマホで天気予報を見ている。不思議そうな顔だ。
オッサン「天気予報っていうけどさ。これが『天気予想』になると、途端に胡散臭くなるよな」
マスター「競馬みたいになるな」
おねーさん「やってることは、そんなに変わらないにゃ」
オッサン「だろ。じゃあ『天気予測』は?」
マスター「普通だ。数値予測って言う」
オッサン「『天気予知』」
マスター「胡散臭い」
オッサン「おかしいだろ」
おねーさん「何がにゃ」
オッサン「予報、予想、予測、予知。全部、まだ起きてないことについて今何か言ってるんだぞ」
マスター「方法と精度が違う」
オッサン「だったら未来予知って、程度問題なんじゃないのか?」
おねーさん「その言い方だと、かなり面倒なところまで行くにゃ」
マスター「やめとけ」
オッサン「降水確率なんて、要するに予測された確率分布から、ある条件を満たす領域を積分した値だろ」
マスター「かなり乱暴だが、方向としてはそうだ」
オッサン「明日の降水確率七〇パーセント。明日のことを数字で言ってる。立派な未来予知じゃないか」
おねーさん「七〇パーセントと言って、明日雨が降ったら、その予報は当たったと思うかにゃ?」
オッサン「そこなんだよ」
マスター「一回じゃ評価できない」
オッサン「七〇パーセントの予報を百回出して、そのうち七十回くらい雨が降れば、まあ良さそうだ」
おねーさん「それは較正の問題にゃ。予報確率と実際の頻度が一致しているかを見るにゃ」
オッサン「でも、毎日五〇パーセントと言って、実際に半分の日に雨が降るなら、それでも較正は合う」
マスター「予報としては役に立たん」
オッサン「だろ。だから評価関数が分からん」
おねーさん「そこは二つに分けた方がいいにゃ。予報そのものの性能を測る尺度と、その予報を使う人にとっての損失や効用は別にゃ」
オッサン「雨が降ると言われて傘を持っていって降らなかった損失と、降らないと言われて傘を持たずに出てずぶ濡れになる損失は違う」
マスター「農薬散布なら、また違う」
オッサン「洗濯物でも違う。写真を撮りに行くかどうかでも違う」
おねーさん「同じ確率予報でも、何を選ぶべきかは評価関数で変わるにゃ」
オッサン「ということは、未来をどれだけ正確に言えれば『未来を知った』ことになるのかも、単純には決められない」
マスター「そもそも七〇パーセントを『知った』と言うかどうかだな」
***
オッサン「でもさ」
マスター「まだあるのか」
オッサン「普通のネコから見たら、人間って未来予知能力を持ってるように見えるんじゃないか?」
おねーさん「それは、かなりありそうにゃ」
マスター「お前もネコだろ」
おねーさん「そこは今、問題にしてないにゃ」
オッサン「朝、人間が突然『今日は雨が降るから窓を閉めていこう』って言う。まだ晴れてる。ネコには何も分からない。何時間かすると本当に雨が降る」
マスター「天気予報を見てるだけだ」
オッサン「でもネコには、その情報経路が見えない」
おねーさん「ネコから観測できるのは、『人間がまだ起きていないことを言った』『あとでその通りになった』だけにゃ」
オッサン「もっと凄いぞ。『もうすぐ宅配便が来る』と言う。本当に来る」
マスター「配送通知だ」
オッサン「そして最恐が、『明日は病院だからね』」
おねーさん「嫌な未来にゃ」
オッサン「翌朝、本当に病院へ連れていかれる」
マスター「最後のは予測ですらない。予約した本人だ」
オッサン「そこだ」
おねーさん「三つともネコから見れば未来予知に見える。でも人間側から見ると違うにゃ。雨は予測。宅配便は他者の計画について得た情報。病院は自分で未来を作る側に回っているにゃ」
オッサン「予測と情報と制御か」
マスター「混ぜるな」
オッサン「でも、その区別に必要な情報を持っていない観測者には、全部同じに見える」
おねーさん「未来予知に見えるかどうかは、観測者が知っている情報経路にも依存するにゃ」
***
オッサン「そう考えると、アシモフの『銀河帝国興亡史』って面白いよな」
マスター「知らない奴にも分かるように話せ」
オッサン「アイザック・アシモフの『銀河帝国興亡史』。今は普通、『ファウンデーション』シリーズって呼ばれてるSFの古典だ。はるか未来、人類が銀河中に広がって巨大な帝国を作っていて、その帝国の衰退と、その後に新しい文明秩序が作られていくまでを何世代にもわたって描く話だ」
おねーさん「そこで物語の出発点になるのが、ハリ・セルダンという数学者と、彼が作った架空の学問『心理歴史学』にゃ」
オッサン「一人の人間が明日何をするかは予測できない。でも、何兆人という巨大な集団なら、個人の偶然は平均化されて、社会全体がどう動くかを統計的に予測できる、という設定だ」
マスター「気体分子一個一個の運動は追えなくても、大量に集まれば圧力や温度として扱える。それを人間社会にまで拡張したような発想だな」
オッサン「セルダンはそれを使って、繁栄しているように見える銀河帝国が、実はもう崩壊を避けられないところまで来ていると計算する」
おねーさん「しかも帝国崩壊後には、長い混乱の時代が来ると予測するにゃ」
オッサン「そのままなら三万年。そこでセルダンは、その混乱を千年程度に縮めるために、知識を保存して次の文明の核になる集団をあらかじめ辺境へ置く。それがファウンデーションだ」
マスター「なるほど。それでシリーズ名か」
オッサン「つまり、最初は未来を計算している。でも途中から、計算した未来に介入してるんだよ」
マスター「予測から制御へ移ってるな」
オッサン「しかも『三万年の混乱より千年の方が良い』という判断が最初から入っている」
おねーさん「予測モデルだけでは決まらないにゃ。望ましい未来を選ぶ評価関数があって、その方向へ歴史を動かす制御があるにゃ」
オッサン「そう考えると心理歴史学って、単なる未来予知じゃないんだな。予測モデルと評価関数と制御系が全部入ってる」
マスター「かなり工学的だ」
オッサン「で、ここで田中芳樹なんだよ」
マスター「今度は何だ」
オッサン「『銀河英雄伝説』。田中芳樹のSF小説で、遠い未来の宇宙を舞台に、専制国家の銀河帝国と民主共和制の自由惑星同盟、その間の戦争と政治を描いた話だ」
おねーさん「歴史小説みたいな書き方をするSFにゃ」
オッサン「そう。その『銀河英雄伝説』の中で、未来を異様なほど正確に予言できる人間がいたとしたら、その説明は二つ考えられる、という趣旨の話が出てくる」
マスター「二つ?」
オッサン「一つは、まだ他の人間が知らない未知の自然法則を、そいつだけが先んじて知った」
おねーさん「本人にとっては超能力じゃないにゃ。未知の法則を使った予測にゃ」
オッサン「もう一つは陰謀だ。予言した未来が実現するように、自分で仕組んでいた」
マスター「予測か制御か」
オッサン「そう。『明日ここに石が落ちる』と言って、翌日自分で石を落としたら、予言は百パーセント当たる」
おねーさん「予知能力はゼロにゃ」
オッサン「でも、石を落としたところを誰も見ていなければ?」
マスター「予言が的中したように見える」
オッサン「未知の自然法則を知っていた場合も同じだ。日食の仕組みを知らない人間の前で、日食の日時を正確に言えば、未来予知に見える」
おねーさん「普通のネコから見た天気予報と同じ構造にゃ」
オッサン「一方のアシモフは、さらに面白い。セルダンはまず未来を予測して、それから予測した未来に介入する」
マスター「田中芳樹の二択を、一人で両方やってるように見えるな」
オッサン「そうなんだよ」
おねーさん「ただしセルダンの場合は、未来を自分の予言通りにするための陰謀というより、予測された悪い未来を変えるための計画にゃ」
オッサン「そこには評価関数がある。三万年の混乱より千年の方がいい」
マスター「予測した未来を、そのまま当てることが目的じゃない」
オッサン「むしろ外すために予測する」
おねーさん「天気予報より、災害予測に近いにゃ」
オッサン「大災害になると予測して対策した結果、被害が小さくなる。正しい予測だったからこそ、予測した未来が来ない」
マスター「社会では予測そのものが入力になるからな」
オッサン「株価が上がると言ったから皆が買って、本当に上がる場合もある」
おねーさん「自己成就的予言にゃ」
オッサン「逆に、破局を予測したから回避することもある」
マスター「予測する側も予測される側も同じ系の中にいる」
オッサン「心理歴史学で、予測対象の人々が予測内容を知ってしまうと困るのも、それだよな」
おねーさん「予測が行動を変えてしまうにゃ」
オッサン「……でも待てよ」
マスター「嫌な待ち方だな」
***
オッサン「俺たち、さっきから『情報経路』とか『介入』とか『自然法則』とか、当たり前みたいに言ってるけど」
おねーさん「にゃ」
オッサン「それ、因果律を前提にしてないか?」
マスター「そこまで行くのか」
オッサン「雨雲が来たから雨が降る。予約したから病院へ行く。セルダンが介入したから歴史が変わる。未知の自然法則を知っているから未来が計算できる。全部、原因があって結果があるという話だ」
おねーさん「ヒュームが出てくるにゃ」
オッサン「因果そのものを見たことなんてない」
マスター「見えるのは、Aの後にBが繰り返し起こることだけだ、か」
おねーさん「ヒュームなら、原因と結果の必然的な結びつきそのものを経験から直接観察することはできない、と考えるにゃ」
オッサン「で、カントは逆に、因果性を人間が経験を成立させるための側に置く」
おねーさん「悟性のカテゴリーにゃ。因果性なしに、そもそも出来事を秩序だった経験として認識できるのか、という方向へ行くにゃ」
マスター「天気予報からずいぶん来たな」
オッサン「まだ天気予報だよ」
おねーさん「その台詞を言うときは、だいたいもう天気じゃないにゃ」
オッサン「だってそうだろ。未来予知と科学的予測を区別するために、『正しい因果経路を使って未来を知った』と言った瞬間、因果とは何かを決めなきゃならなくなる」
おねーさん「そして歴史まで行くと、もっと厄介にゃ」
オッサン「ポスト・モダンか」
おねーさん「歴史全体に一つの意味や法則があって、原因と結果をたどれば全体を説明できる、という考え方自体が疑われるにゃ。歴史を一つの原理で説明する『大きな物語』への不信にゃ」
オッサン「そう考えると、心理歴史学って凄いな」
マスター「何がだ」
オッサン「正反対じゃないか。銀河全体の歴史に法則がある。その法則は数学で知ることができる。未来を予測できる。さらに、より良い未来を定義して、知識を持った人間がそこへ誘導できる」
マスター「並べると相当強烈だな」
おねーさん「究極に近い『大きな物語』にゃ」
オッサン「そこへ『銀河英雄伝説』の話を置くと、また分からなくなる。そいつは本当に未知の自然法則を先んじて知っていたのか。それとも自分で未来を作っていたのか」
マスター「さらに後世の人間なら、起きた出来事を並べて因果関係を作っただけかもしれない」
オッサン「法則を発見した。未来を制御した。あとからそういう歴史として記述した」
おねーさん「結果だけ見れば、区別できないことがあるにゃ」
***
オッサン「……普通のネコと同じだな」
マスター「戻ったな」
オッサン「ネコに見えるのは、人間が『雨が降る』と言って、本当に雨が降ったことだけだ。天気予報を見たなんて知らない」
おねーさん「『宅配便が来る』と言って本当に来ても、配送システムは知らないにゃ」
オッサン「『明日は病院だ』と言って本当に病院に連れていかれても、人間が昨日予約したなんて知らない」
マスター「ネコからすれば全部、未来を言い当てたという同じ履歴か」
オッサン「俺たちも歴史を見るとき、案外それに近いのかもしれない」
おねーさん「ただし、だから因果も科学も全部虚構だ、とはならないにゃ」
マスター「そこは分けろ。モデルは評価できる」
オッサン「予測を繰り返して、外れ方を調べて、モデルを直すこともできる」
おねーさん「未知の自然法則だと言うなら、再現可能な形で確かめればいいにゃ」
オッサン「陰謀なら?」
マスター「証拠を探せ」
オッサン「普通だな」
マスター「普通のことをやれ」
オッサン「結局、最初の疑問はどうなる?」
おねーさん「未来についてどれだけ情報を持てるか、という意味では程度問題にゃ」
オッサン「うん」
おねーさん「でも、その情報が予測から来たのか、誰かの計画を知ったのか、自分で未来を作ったのかを区別するには、世界がどうつながっているかについて何かを仮定しなきゃいけないにゃ」
マスター「そして、その予測がどの程度あれば役に立つかは評価関数次第だ」
オッサン「未来そのものだけ見ても決まらない」
おねーさん「そういうことにゃ」
オッサン「じゃあ普通のネコが、人間には未来予知能力があると思ってても、そんなに馬鹿にはできないな」
マスター「病院については特にな」
オッサン「なんでだよ」
マスター「予言した奴と陰謀を企んだ奴が同一人物だ」
おねーさん「ネコには見破れないにゃ」
オッサン「『銀河英雄伝説』だ」
マスター「そこへ戻るのか」
オッサン「しかし『天気予想』って、やっぱり胡散臭いよな」
マスター「語感の問題だ」
おねーさん「そこから始まった話だったにゃ」
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