ネコが掘った墓穴

小さなバー。名前は《N+2》。 おねーさん「前から不思議だったんだけどにゃ」 オッサン「何が?」 おねーさん「オッサン、なんでそんなに哲学の話が好きなのにゃ?」 オッサン「なんでって」 おねーさん「仕事で使うのかにゃ?」 オッサン「使わんな」 おねーさん「哲学者でもないにゃ」 オッサン「サラリーマンだな」 おねーさん「それなりに成功してるんにゃろ?」 オッサン「まあ、それなりには」 おねーさん「じゃあ、哲学なんか知らなくても困らなかったんじゃないかにゃ」 オッサン「……」 マスター「どうなんだ」 オッサン「よし。強引な仮定を置こう」 おねーさん「嫌な予感がするにゃ」 オッサン「哲学一般が役に立たないとは言わない」 マスター「うん」 オッサン「少なくとも俺のサラリーマン生活には、哲学はまったくの無用の長物だった」 おねーさん「言い切ったにゃ」 オッサン「仮定だよ」 マスター「反例は?」 おねーさん「批判的に考える力とかは役に立ってないのかにゃ?」 オッサン「それを身につけるのにカントを読む必要があったか?」 おねーさん「……ないにゃ」 オッサン「ソクラテスについて考える必要は?」 おねーさん「ないにゃ」 オッサン「定言命法は?」 おねーさん「たぶん、ないにゃ」 マスター「かなり無用だな」 オッサン「だろ?」 おねーさん「自分で言ってて悲しくならないかにゃ」 オッサン「ならん。ここからが面白い」 マスター「何だ」 オッサン「じゃあ、なんで俺はこんなに好きなんだ?」 おねーさん「……」 オッサン「仕事にも使わない。金にもならない。知らなくても困らない」 マスター「それでも考える」 オッサン「しかも、誰にも頼まれてない」 おねーさん「勝手に考えてるにゃ」 オッサン「そうなんだよ」 少し間が空いた。 オッサン「なんで?」 おねーさん「知らないにゃ」 マスター「研究対象になるな」 オッサン「なるな」 おねーさん「ならないにゃ」 オッサン「おねーさん、調べて」 おねーさん「なんで私にゃ」 オッサン「哲学科卒だろ」 おねーさん「これはもう哲学の問題じゃないにゃ」 オッサン「だから調べて」 おねーさん「理由になってないにゃ」 マスター「心理学と認知科学だな」 オッサン「哲学そのものの効用を論じてる研究はいらないぞ」 おねーさん「注文までついたにゃ」 オッサン「哲学が役に立たないと仮定したまま、それでも考えたがる人間を説明できる研究」 おねーさん「そんな都合のいい研究があるのかにゃ」 オッサン「それを調べるのが宿題」 おねーさん「勝手に宿題を出すなにゃ」 *** 数日後。 おねーさん「調べてきたにゃ」 オッサン「偉い」 おねーさん「褒めても許さないにゃ」 マスター「で?」 おねーさん「そのものズバリは、見つからなかったにゃ」 オッサン「ない?」 おねーさん「でも、近い研究はいくつかあるにゃ」 おねーさんはノートを開いた。 おねーさん「まず、Need for Cognition。考えること自体を楽しむ傾向にゃ」 オッサン「俺じゃん」 マスター「まだ黙ってろ」 おねーさん「次に、Epistemic Curiosity。知りたい、分かりたいという認識的好奇心にゃ」 マスター「それだけだと、答えを得たら終わるな」 おねーさん「そうにゃ。だからNeed for Cognitive Closureも関係しそうにゃ。曖昧な状態を早く閉じたいかどうか」 オッサン「なるほど」 おねーさん「それから曖昧さへの耐性。抽象思考の選好もあるにゃ」 マスター「部品はある」 オッサン「でも、組み上がってない」 おねーさん「そういう感じにゃ」 少し間が空いた。 オッサン「じゃあ、組み上げればいいじゃん」 おねーさん「何をにゃ」 マスター「研究計画を」 おねーさん「誰の?」 二人がおねーさんを見た。 おねーさん「……」 オッサン「まず仮説からだな」 マスター「その前に研究目的だ」 おねーさん「待つにゃ」 オッサン「哲学する人と、しない人の違いを明らかにする」 おねーさん「雑にゃ」 オッサン「ほら、もう指導が入った」 おねーさん「指導してないにゃ」 マスター「何が雑なんだ」 おねーさん「そもそも『哲学する』を定義してないにゃ」 オッサン「なるほど」 マスター「では定義しろ」 おねーさん「なんで私がするにゃ」 オッサン「専門家だから」 おねーさん「哲学科卒を便利に使うなにゃ」 少し考えた。 おねーさん「……既存の哲学者を知っているとか、哲学書を読むとかでは駄目にゃ」 マスター「文化的背景に左右される」 おねーさん「そうにゃ。哲学を知らない人でも、哲学的に考えることはあるにゃ」 オッサン「じゃあ、行動で定義する」 マスター「どういう行動だ」 オッサン「役に立たないことを考える」 おねーさん「広すぎるにゃ。今日の晩ご飯を延々迷ってても哲学者になってしまうにゃ」 オッサン「それは困る」 マスター「抽象的な問いに限定するか」 おねーさん「それだけでも弱いにゃ」 オッサン「注文が多いな」 おねーさん「研究にしたのはそっちにゃ」 マスター「では?」 おねーさん「実用的な解決を必要としない抽象的な問いを、自発的に考え続ける行動……くらいかにゃ」 少し間が空いた。 オッサン「いいじゃん」 マスター「かなり良くなった」 おねーさん「……」 オッサン「研究代表者」 おねーさん「違うにゃ」 *** マスター「次。どう測る」 オッサン「アンケートでいいだろ。『哲学的なことを考えるのが好きですか』」 おねーさん「駄目にゃ」 オッサン「早いな」 おねーさん「哲学という言葉への好悪を測ってしまうにゃ。それに自己申告にゃ」 マスター「行動を測る必要がある」 オッサン「じゃあ問題を出す」 おねーさん「どんな?」 オッサン「テセウスの船」 おねーさん「有名すぎるにゃ」 マスター「知っている被験者が有利になる」 おねーさん「哲学史の知識を測りたいわけじゃないにゃ」 オッサン「面倒だな、研究って」 おねーさん「今さら気づいたにゃ?」 マスター「既存の哲学問題を使わなければいい」 オッサン「たとえば?」 マスター「同じ記憶を持つ人間が二人できたら、どちらが元の人間か」 おねーさん「それも既視感があるにゃ」 オッサン「じゃあ、おねーさんを完全に複製する」 おねーさん「勝手に増やすなにゃ」 オッサン「どっちがおねーさん?」 おねーさん「両方かわいいにゃ」 マスター「使えないな」 おねーさん「何がにゃ」 *** マスター「重要なのは、問いの内容ではないかもしれない」 オッサン「というと?」 マスター「全員に同じ問いを与える。その後を見る」 おねーさん「そうにゃ」 オッサン「何を見る?」 おねーさん「課題として考えさせるだけなら、みんな考えるにゃ。それでは差が出ないにゃ」 マスター「強制されているからな」 おねーさん「だから課題を終わらせるにゃ」 オッサン「うん」 おねーさん「その後、自由時間を与えるにゃ」 マスター「なるほど」 おねーさん「別のことをしてもいい。休んでもいい。スマホを見てもいい」 オッサン「それでも、さっきの問いに戻る奴がいるか」 おねーさん「そうにゃ」 マスター「再選択率」 おねーさん「滞在時間も取れるにゃ」 オッサン「自分から新しい問いを作り始めるかも見たいな」 おねーさん「それも面白いにゃ。問いの派生数として――」 止まった。 オッサンが笑った。 おねーさん「何にゃ」 オッサン「完全に研究してるじゃん」 おねーさん「……」 マスター「続けろ」 おねーさん「腹立つにゃ」 *** オッサン「で、俺の予想ではNeed for Cognitionが高い奴ほど――」 おねーさん「それだけじゃないにゃ」 オッサン「はい」 おねーさん「考えるのが好きでも、答えが出たら満足する人はいるにゃ」 マスター「哲学的な問いは答えが出ないことが多い」 おねーさん「だから認知的完結欲求も見るにゃ」 オッサン「低い方が残る?」 おねーさん「仮説としては考えられるにゃ。でも決めつけないにゃ」 マスター「曖昧さ耐性」 おねーさん「それも候補にゃ」 オッサン「抽象思考選好」 おねーさん「入れるにゃ」 マスター「一般知能は?」 おねーさん「統制したいにゃ」 オッサン「学歴」 おねーさん「それもにゃ」 マスター「専攻」 おねーさん「哲学専攻者だけでやったら意味がないにゃ。選択効果と教育効果が混ざるにゃ」 オッサン「……おねーさん」 おねーさん「何にゃ」 オッサン「もう俺たち要らなくない?」 おねーさん「誰のせいにゃ!」 *** しばらくして、カウンターの上には研究計画らしきものが出来上がっていた。 オッサン「仮説」 マスター「測定尺度」 オッサン「実験課題」 マスター「統制変数」 おねーさん「まだ予備調査も倫理審査もサンプルサイズ設計もあるにゃ」 二人が黙った。 おねーさんも黙った。 オッサン「……詳しいな」 おねーさん「調べさせたのは誰にゃ」 マスター「論文のタイトルは?」 オッサン「『なぜヒトは哲学するのか』」 おねーさん「大きすぎるにゃ」 マスター「また指導が入った」 おねーさん「だから違うにゃ!」 オッサン「じゃあ研究代表者、適切なタイトルを」 おねーさん「……」 しばらく考えた。 おねーさん「『実用的効用を伴わない抽象的問いへの自発的認知関与の個人差』……」 静かになった。 オッサン「採用」 マスター「採用」 おねーさん「勝手に採用するなにゃ」 マスター「で、研究費は?」 おねーさん「知らないにゃ」 オッサン「まあ、なくても予備調査くらいできるだろ」 おねーさん「誰がやるにゃ」 オッサン「おねーさん」 おねーさん「なんで私にゃ」 オッサン「だって、もう研究計画できてるじゃん」 おねーさん「そもそも何の役に立つ研究にゃ」 少し間が空いた。 マスター「役に立つ必要があるのか?」 おねーさん「……」 オッサン「ないよな」 おねーさん「……」 オッサン「気になるんだろ?」 おねーさん「……気になるにゃ」 マスター「被験者第二号」 おねーさん「にゃ!」 参考文献 Cacioppo, J. T., & Petty, R. E. (1982). The need for cognition. *Journal of Personality and Social Psychology, 42*(1), 116–131. — Need for Cognition(認知欲求)を測定する尺度を開発した基礎研究。思考に自発的に取り組み、それ自体を楽しむ傾向を個人差として扱う。本稿における「役に立たなくても考えるヒト」を考える出発点の一つ。 Litman, J. A. (2008). Interest and deprivation factors of epistemic curiosity. *Personality and Individual Differences, 44*(7), 1585–1595. — Epistemic Curiosity(認識的好奇心)を、未知のものを知ること自体を楽しむI-typeと、知識の欠落を埋めて答えを得ようとするD-typeに区別した研究。「答えが欲しい」と「考えること自体がおもしろい」を分けるうえで重要。 Webster, D. M., & Kruglanski, A. W. (1994). Individual differences in need for cognitive closure. *Journal of Personality and Social Psychology, 67*(6), 1049–1062. — Need for Cognitive Closure(認知的完結欲求)を個人差として測定した基礎研究。予測可能性や秩序への欲求、曖昧さへの不快感などを含む。「答えの出ない問いを抱えたまま考え続けられるか」という本稿の仮説に関係する。 Powell, C., Nettelbeck, T., & Burns, N. R. (2016). Deconstructing intellectual curiosity. *Personality and Individual Differences, 95*, 147–151. — Need for Cognition、Typical Intellectual Engagement、Epistemic Curiosityなどの尺度を横断的に分析し、Intellectual Avoidance、Deprivation、Problem Solving、Abstract Thinking、Reading、Wide Interestという六つの因子を抽出した研究。本稿で問題にした「抽象的な問いそのものへの選好」が、単なる問題解決欲求とは同一ではない可能性を示す。 本稿との関係 以上の研究は、「なぜヒトは哲学するのか」を直接検証したものではない。 本稿ではこれらを手掛かりとして、「実用的な解決を必要としない抽象的な問いに、自発的に認知資源を投入し続ける個人差」を考えている。 したがって本文中の研究計画、とりわけ「課題終了後の自由時間にも同じ問いへ戻るか」「どれだけ長く考えるか」「そこから新たな問いを派生させるか」という行動指標は、上記研究から直接導かれた既存の実験手法ではなく、《N+2》内で構想した仮説的な研究計画である。

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