楽屋ネタ編 という名の長い「あとがき」 生成AIを使うということ

小さなバー。名前は《N+2》。

オッサンがスマホを見ながら言った。

オッサン「また炎上しとるわ」

マスター「何がだ」

オッサン「生成AI。今度は創作に使ったとか使ってないとか」

おねーさん「またにゃ」

オッサン「そんなに嫌かね。俺、会社で使いまくりだぞ」

マスター「何に使ってる」

オッサン「報告書のたたき台とか、要約とか、文章の整理とか。英語直させたり」

おねーさん「普通に業務利用にゃ」

オッサン「そう。誰も怒らんぞ。むしろ仕事が早い」

マスター「創作だからじゃないか」

オッサン「それが分からん。同じ文章をAIに書かせて、会社の報告書なら効率化、小説なら炎上。何が違うんだ」

おねーさん「学生のレポートなら、また違うにゃ」

オッサン「ああ。あれはダメって言われるな」

マスター「三つ並んだな」

オッサン「会社の報告書、学生のレポート、小説」

おねーさん「全部、文章を書くにゃ」

オッサン「なのにAIを使ったときの扱いが違う」

マスター「目的が違う」

オッサン「会社の報告書は分かる。欲しいのは報告書だからな」

おねーさん「誰が一文字ずつ入力したかは、普通は評価対象じゃないにゃ」

オッサン「三時間で書くより、同じものを三十分で作った方がいい」

マスター「学生は違う」

オッサン「学生の場合、先生はレポートが欲しいわけじゃない」

おねーさん「学生が調べて、考えて、整理して、書けるかを見てるにゃ」

オッサン「つまり、レポートを作るのが目的じゃなくて、レポートを書ける人間を作るのが目的か」

マスター「ならAIに全部やらせたら意味がない」

オッサン「ただ、それも変わるよな」

おねーさん「変わると思うにゃ」

オッサン「電卓ができても算数はなくならなかった。でも仕事で筆算しろとも言わない」

マスター「AIを使う能力まで教育対象になれば、課題の方が変わる」

オッサン「そうなるよな。じゃあ創作は何なんだ。なんで、あんなに揉める」

おねーさん「それ、ちょうどこの前やったにゃ」

オッサン「何を?」

おねーさん「アルバイトのリサーチにゃ。今、ホットな分野だから、やったばっかりで詳しいにゃ」

マスター「都合がいいな」

おねーさん「仕事しただけにゃ」

オッサン「じゃあ教えて」

おねーさん「その前に、今どうなってるかを整理した方がいいにゃ」

オッサン「何を?」

おねーさん「そもそも、AIを使った創作が本当に嫌われてるのか。それから、何が嫌われてるのかにゃ」

マスター「違うのか」

おねーさん「かなり違うにゃ。しかも創作分野でも違うにゃ」

オッサン「例えば?」

おねーさん「2025年のアメリカの調査だと、自分が気に入った絵がAI制作だと後から知った場合、49パーセントが前より嫌いになると答えてるにゃ」

オッサン「半分か」

おねーさん「でも、歌だと38パーセントに下がるにゃ。逆に、AIが作ったと知っても評価は変わらないという人は、絵では48パーセント、歌では58パーセントにゃ」

マスター「同じAI創作でも違うな」

オッサン「音楽の方が寛容なのか」

おねーさん「少なくとも、その調査ではそうにゃ。ただ、これだけで音楽はAIに寛容な分野だと一般化するのは早いにゃ」

オッサン「なんで?」

おねーさん「何をAIにやらせたかでも変わるし、ジャンルでも変わるし、質問の仕方でも変わるにゃ」

マスター「単純な分野別ランキングにはできない」

おねーさん「はいにゃ。でも、分野によって反応が同じではないことは分かるにゃ」

オッサン「文章は?」

おねーさん「そこが面白いにゃ。詩で実験があるにゃ」

オッサン「詩?」

おねーさん「著名な詩人の詩と、AIがその詩人風に作った詩を一般の人に読ませた研究にゃ。AIか人間かを当ててもらったら、正答率は46.6パーセントだったにゃ」

マスター「五割を切ったのか」

おねーさん「はいにゃ。AIの詩を人間が書いたと思うことも多かったにゃ」

オッサン「じゃあ、作品だけでは分からない」

おねーさん「それだけじゃないにゃ。作者を知らせずに評価させると、AIの詩の方が、全体的な質を含めて多くの項目で高く評価されたにゃ」

オッサン「AIの方が?」

おねーさん「その実験では、はいにゃ」

マスター「なら、AI作品が嫌われるのは質が低いから、では説明できないな」

おねーさん「さらに面白いのはここからにゃ。同じ研究で、AIが書いたと教えると評価が下がったにゃ」

オッサン「ちょっと待て。同じ詩だろ?」

おねーさん「同じにゃ」

オッサン「作品は何も変わってない」

おねーさん「変わったのは、誰が作ったと思っているかだけにゃ」

少し沈黙した。

マスター「作品以外を評価してるな」

オッサン「そうなるよな」

おねーさん「だから、現状を『AI作品は嫌われている』だけでまとめると雑にゃ。作品そのものは高く評価される場合がある。でもAIが作ったという情報で評価が下がることがある。その大きさも創作分野によって違うにゃ」

オッサン「じゃあ、何に反応してるんだ?」

おねーさん「そこから先行研究がいくつかに分かれるにゃ」

マスター「何がある」

おねーさん「まず古くからあるのが、effort heuristicにゃ」

オッサン「努力?」

おねーさん「はいにゃ。2000年代から、作品に時間や努力がかかったと思うと、その作品の質や価値まで高く評価する傾向が研究されてるにゃ」

マスター「苦労した方が偉い」

オッサン「それはありそうだな。AIだと一瞬だから、ズルしてるように見える」

おねーさん「でも、それだけでは説明できないにゃ」

オッサン「だろうな」

おねーさん「生成AIを使った創作については、authenticity、真正性も研究されてるにゃ。AIをアイデア出しに使うのと、最終的な構図や表現を作るところまで使うのでは、受け取られ方が違うにゃ」

マスター「使ったかどうかだけではない」

おねーさん「はいにゃ。どこに使ったかが効いてくるにゃ。視覚芸術の実験でも、アイデア出しに使うより、最終的な構図を決めるような実装段階で使った方が、作品と作者の評価が下がってるにゃ」

オッサン「相談相手にするのと、描かせるのでは違うわけか」

おねーさん「その研究では、AIを使った作品は革新的とは評価されても、真正性や人間の労力は低く見られてるにゃ。特に真正性が評価低下に効いてたにゃ」

マスター「努力だけでもないな」

おねーさん「それからcreative identityにゃ」

オッサン「創作者としてのアイデンティティ?」

おねーさん「はいにゃ。『自分は絵を描く人間だ』『自分は文章を書く人間だ』という自己認識に、生成AIがどう影響するかという問題にゃ」

マスター「技能を代替されるからか」

おねーさん「それだけじゃないにゃ。AIと一緒にアイデアを作ったとき、『これはまだ自分のアイデアなのか』というところまで問題になるにゃ」

オッサン「描いたのが誰かだけじゃないのか」

おねーさん「発想したのが誰かも曖昧になるにゃ」

マスター「作者そのものの問題になるな」

おねーさん「そこでauthorshipにゃ」

オッサン「作者性か」

おねーさん「さらにcreative agency、創作主体性という議論もあるにゃ」

オッサン「作者性とどう違う?」

おねーさん「単純に、最初にアイデアを出したから作者、最後に選んだから作者、一番手を動かしたから作者、とは決められないという問題にゃ」

マスター「では何を見る」

おねーさん「人間の判断と、その判断の理由が、作品が出来ていく過程を実際に動かしていたか、という考え方があるにゃ」

オッサン「例えば?」

おねーさん「AIが絵を十枚出したとするにゃ」

オッサン「うん」

おねーさん「人間が一枚選ぶにゃ」

オッサン「選んだのは人間だ」

おねーさん「でも、それだけで全部その人の作品と言えるのか、という問題にゃ」

マスター「なぜそれを選んだか」

おねーさん「はいにゃ。その理由でAIの出したものを拒否したり、方向を変えたり、修正させたりして、その判断が作品の展開を実際に変えているかを見るにゃ」

オッサン「選んだ回数じゃないんだ」

おねーさん「プロンプトを何文字書いたかでもないにゃ」

マスター「判断が因果的に効いているか」

おねーさん「そういう考え方に近いにゃ」

オッサン「ちょっと待て」

マスター「何だ」

オッサン「今まで作者って、一人の中に全部入ってたんじゃないか?」

おねーさん「全部?」

オッサン「思いつく。考える。選ぶ。手を動かす。直す。完成させる」

マスター「それで、その人を作者と呼ぶ」

オッサン「そう。もちろん共同制作とか例外は昔からある。でも普通は、それをわざわざ分解しなくても済んでた」

おねーさん「今は、人間とAIの間で、どの工程や判断や責任をどちらに持たせるかまで考えないといけないにゃ」

マスター「主体性の分配か」

オッサン「それだよ」

マスター「何がだ」

オッサン「生成AIは、創作を簡単にしただけじゃないんだ」

おねーさん「はいにゃ」

オッサン「作者を分解しちゃったんだ」

少し沈黙した。

マスター「発想する者」

おねーさん「生成するもの」

オッサン「選ぶ者」

マスター「判断する者」

おねーさん「責任を持つ者」

オッサン「昔はだいたい、それをまとめて作者って呼べた」

マスター「今は一致しない」

オッサン「だから揉めるのか」

おねーさん「少なくとも、単純に『AIを使ったから嫌われる』では説明できないにゃ」

オッサン「会社の報告書なら、作者である必要がないもんな」

マスター「内容に責任を持てばいい」

オッサン「学生のレポートなら、本人の能力を確認したい」

おねーさん「だから、どこまで本人がやったかが重要になるにゃ」

オッサン「でも、その能力にAIを使う能力まで含めるようになれば、境界は動く」

マスター「創作では?」

オッサン「作品と作者の関係そのものが、価値の一部になってる」

おねーさん「だからcreative identityもauthenticityも問題になるにゃ」

オッサン「なるほどな」

マスター「結局、何が炎上してるんだ」

オッサンは、もう一度スマホを見た。

オッサン「AIを使ったかどうか」

マスター「今の話を聞いた後だと、雑だな」

オッサン「雑だな」

おねーさん「本当は、どこで誰が何を決めたかを見ないと分からないにゃ」

オッサン「じゃあ、『AIを創作に使っていいか』って問い自体が雑なのか」

マスター「そうなるな」

オッサン「生成AIが壊したのは、創作じゃないのかもしれないな」

おねーさん「何を壊したにゃ?」

オッサン「『作者』って一語で済ませられる世界」

マスター「壊したというより、分解したんだろう」

オッサン「そうか」

おねーさん「今まで一緒だったものが、別々にできるようになっただけにゃ」

オッサン「で、俺たちはまだ全部まとめて作者って呼んでる」

マスター「昔が簡単すぎたんだ」

少し沈黙した。

オッサン「じゃあ、俺が会社で使ってるのは問題ないな」

マスター「使い方による」

オッサン「目的を決めるのは俺。何を使うか決めるのも俺。出てきたものは確認するし、違えば直させる。採用するか決めるのも俺。最後は俺の責任」

おねーさん「それなら、今の話では筋が通ってるにゃ」

オッサン「感覚としては、部下に仕事させてるのに近いんだよ。表面的な仕事をやらせるとすごく優秀。でも、自分でも気づかないうちに平気で嘘をつく」

マスター「厄介だな」

オッサン「しかも提案させると、だいたい浅い」

おねーさん「褒めてないにゃ」

オッサン「でも気は利くんだよ。こっちが忘れてることを拾ったりする」

マスター「優秀なのか」

オッサン「気は利くけど、抜けてる」

おねーさん「扱い方を知ってる人が上に必要にゃ」

オッサン「そういうこと。だから俺が見てる」

マスター「で、お前は何をやってるんだ」

オッサン「指示して、確認して、判断してる」

おねーさん「書くのは?」

オッサン「AI」

マスター「『自分では何も書かないオッサン』」

おねーさん「やっぱりにゃ」

オッサン「正確には、『自分では殆ど書かないオッサン』だろ」

参考文献

1. Porter, B. & Machery, E. (2024). “AI-generated poetry is indistinguishable from human-written poetry and is rated more favorably.” Scientific Reports, 14, 26133.

本文中の「識別正答率46.6%」「AI詩が多くの項目で高評価」「AI作だと知らされると評価が下がる」の根拠。実験1は米国の非専門家1,634人、実験2は696人。

[論文(Scientific Reports)](https://www.nature.com/articles/s41598-024-76900-1?utm_source=chatgpt.com)

2. Yam, E. & Kennedy, B. / Pew Research Center (2025). “From political speeches to songs, how would Americans react if they found out AI was involved?”

米国成人5,023人を対象とした調査。気に入った絵がAI制作だと知ると49%が「より嫌いになる」、48%は変化なし。歌では38%が「より嫌いになる」、58%は変化なし。したがって本文では「少なくともこの調査では分野差がある」と限定して使用。

[調査結果(Pew Research Center)](https://www.pewresearch.org/short-reads/2025/09/17/from-political-speeches-to-songs-how-would-americans-react-if-they-found-out-ai-was-involved/?utm_source=chatgpt.com)

3. Kruger, J., Wirtz, D., Van Boven, L. & Altermatt, T. W. (2004). “The effort heuristic.” Journal of Experimental Social Psychology, 40(1), 91–98.

詩・絵画などについて、制作に投入された時間・努力が大きいと認識されるほど、品質・価値・好意も高く評価されるという effort heuristic の基礎研究。

[論文(Journal of Experimental Social Psychology)](https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0022103103000659/pdfft?md5=932e5940cf59ebb58027759238251fdd&pid=1-s2.0-S0022103103000659-main.pdf&utm_source=chatgpt.com)

4. “Co-creating art with generative artificial intelligence: Implications for artworks and artists.” (2024). Computers in Human Behavior: Artificial Humans, 2(1), 100056.

生成AIを視覚芸術の制作に使うと作品・作者評価が低下し、特にアイデア生成より最終的なレイアウト等の実装段階への利用で影響が大きかったとする研究。AI共創作品は革新的と評価される一方、真正性と人間の労力が低く知覚され、真正性が評価低下の主要因と報告されている。

[論文(ScienceDirect)](https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S2949882124000161?utm_source=chatgpt.com)

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