第十九話 作品はいつ完成するのか
小さなバー。名前は《N+2》。
オッサンが、鞄から一枚の紙を取り出した。所属するブラスバンドの定期演奏会のチラシだった。
オッサン「ほい」
マスター「何だこれ」
オッサン「定期演奏会のチラシ。貼っといて」
マスター「またやるのか」
オッサン「年に一回だから定期演奏会なんだよ」
おねーさん「オッサン、何吹いてるんだっけにゃ?」
オッサン「テナーホーン」
おねーさん「もう曲は仕上がったのかにゃ?」
オッサン「仕上がってなくても、本番の日は来る」
マスター「そりゃ来る」
オッサン「考えてみると、音楽っていいよな」
マスター「何が」
オッサン「完成する日が決まってる」
おねーさん「演奏会の日にゃ?」
オッサン「少なくとも、そこから先には逃げられない」
マスター「練習しろ」
オッサン「してるよ。そうじゃなくてさ」
オッサンはカウンターに残ったチラシを一枚、指で叩いた。
オッサン「写真には、演奏会がないんだよ」
マスター「展示すればいいだろ」
オッサン「それはそうなんだけどさ。普段撮ってる写真には、本番の日がない」
おねーさん「撮った日が本番じゃないのかにゃ?」
オッサン「撮影が終わってもRAWがある」
マスター「現像する」
オッサン「現像しても調整できる」
おねーさん「トリミングもできるにゃ」
オッサン「別の現像もできる。組写真なら並び替えられる。昔の写真を十年後に掘り出して組み直すことだってできる」
マスター「便利じゃないか」
オッサン「便利なんだけど、終わらないんだよ」
おねーさん「いつ完成したのか分からない?」
オッサン「そう」
マスター「保存した時点で完成にすればいい」
オッサン「じゃあ音楽は、作曲家が楽譜を保存した時点で完成か?」
マスター「知らん」
おねーさん「急に面倒なところへ行ったにゃ」
オッサン「楽譜を書き終えたら完成なのか。初演されたら完成なのか。出版されたら完成なのか。それとも、作曲家が『これでいい』と思ったら完成なのか」
マスター「全部一致するのが普通じゃないのか」
おねーさん「一致しないこともあるにゃ」
オッサン「シベリウスの第八交響曲なんか、最悪だぞ」
マスター「何が最悪なんだ」
オッサン「書いてた。完成に近づいてたらしい。初演の話まであった。それでも出さなかった。最後は原稿を焼いたとされてる」
マスター「じゃあ未完成だろ」
オッサン「そう言い切れるか?」
マスター「本人が出してないんだろ」
オッサン「でも、ある程度書いてた」
マスター「途中まで作ったものは未完成だ」
オッサン「じゃあ、もし全部の楽章を書き終えてから焼いたなら?」
マスター「知らん」
オッサン「本人が『完成してない』と思ってたら未完成?」
マスター「本人が作ったんだから、本人が決めるんじゃないのか」
おねーさん「そこに一つ立場があるにゃ。作者の意図を完成の基準にする」
オッサン「でも作者が死んだら?」
マスター「死んだ後に直すな」
オッサン「ブルックナーに言ってくれ」
おねーさん「あれはまた別の沼にゃ」
マスター「入るな」
オッサン「でもさ、シベリウスの第八って変なんだよ。存在したと言えば存在したし、存在しなかったと言えば存在しなかった」
マスター「楽譜が残ってないなら、ない」
おねーさん「物としてはそう言えるにゃ」
オッサン「でも『シベリウスの第八交響曲』という作品について、俺たちは今こうして話してる」
マスター「話はある。曲はない」
オッサン「おお」
おねーさん「きれいに切ったにゃ」
マスター「何が」
おねーさん「作品についての情報が存在することと、作品そのものが存在することを分けたにゃ」
オッサン「じゃあ作品そのものって何だ?」
マスター「また始まった」
オッサン「楽譜?」
おねーさん「だとすると、同じ楽譜を別のオーケストラが演奏しても同じ作品にゃ」
オッサン「でも音は違う」
マスター「設計図と製品みたいなものじゃないのか」
オッサン「それだ」
マスター「何が」
オッサン「楽譜は設計図か?」
マスター「違うのか」
おねーさん「完全には違うとも言えないし、完全には同じとも言えないにゃ」
マスター「面倒だな」
おねーさん「設計図なら、普通は設計通りのものができれば成功にゃ。でも音楽では、楽譜通りに音を出しただけでは十分とは言われないにゃ」
オッサン「テンポもある。フレージングもある。音色もある。間もある。同じ楽譜でも演奏は全然違う」
マスター「許容範囲が広い仕様書だと思えばいい」
オッサン「システム屋は何でも仕様書にするな」
マスター「書かれていない自由度があるだけだ」
おねーさん「でも、その言い方はかなり面白いにゃ」
オッサン「というと?」
おねーさん「作品は、全部が決められているから同じ作品なのではなく、ある部分が固定され、ある部分が開かれているから、何度も同じ作品として実現できるのかもしれないにゃ」
オッサン「ベートーヴェンの第五は、誰が振っても第五だ」
マスター「普通はな」
オッサン「でも演奏は全部違う」
おねーさん「同一性と差異が同時にあるにゃ」
オッサン「テセウスの舟みたいになってきたな」
おねーさん「そこへ行くと前にやった話になるにゃ」
マスター「本題に戻れ」
オッサン「戻ろう」
***
オッサンがチラシを裏返した。
オッサン「じゃあさ。俺たちの演奏会で演奏する曲は、もう完成してるのか?」
マスター「作曲家に聞け」
オッサン「曲としては完成してる。でも俺たちの演奏は完成してない」
おねーさん「本番まで練習するにゃ」
オッサン「じゃあ本番で完成する?」
マスター「本番が終わったら、それ以上直せない」
オッサン「それは完成なのか?」
マスター「少なくとも終了だ」
オッサン「そこだよ」
おねーさん「完成と終了は違うにゃ」
オッサン「本番でミスしても終わる」
マスター「終わるな」
オッサン「納得できなくても終わる」
おねーさん「終わるにゃ」
オッサン「つまり演奏会が与えてくれるのは、完成じゃないんだ」
マスター「締切だ」
オッサン「もっと乱暴に言えば、強制終了だな」
マスター「身も蓋もない」
オッサン「でも、その強制終了があるから仕上げるんだよ」
おねーさん「いつまでも直せないからにゃ」
オッサン「来週になったらもっと上手く吹けるかもしれない。半年後ならもっといい演奏ができるかもしれない。でも演奏会はその日にある」
マスター「条件が固定されるわけだ」
オッサン「そう。今ある技量、今いるメンバー、今の会場、今の指揮者で、その日に出す」
おねーさん「それを観客が聴くにゃ」
オッサン「で、終わる」
マスター「終わる」
オッサン「録音が残っても、その演奏自体は直せない」
おねーさん「だから一回の出来事になるにゃ」
オッサン「写真には、それがない」
マスター「撮影した瞬間は一回だろ」
オッサン「撮影はな。でも作品としては、その後が長い」
おねーさん「現像して、選んで、並べて、また選び直す」
オッサン「気に入らなければ半年寝かせてもいい」
マスター「誰も困らない」
オッサン「そこなんだよ。誰も困らない」
おねーさん「締切がないにゃ」
オッサン「だから完成させなくてもいい」
マスター「趣味なんだからいいだろ」
オッサン「いいんだよ。でも、完成させなくていいものは、本当に完成するのか?」
マスター「自分で決めろ」
オッサン「それが難しいって言ってるんだ」
おねーさん「作者が完成を決められなかったシベリウスに戻ったにゃ」
オッサン「そうなんだよ」
マスター「お前の写真とシベリウスの第八を並べるな」
オッサン「規模の話じゃない。構造の話だ」
マスター「便利な言葉だな」
オッサン「シベリウスには、出さないという選択肢があった」
おねーさん「そして出さなかったにゃ」
オッサン「完成していないと思ったのかもしれない。完成していたけど満足しなかったのかもしれない。少なくとも、世に出すことを選ばなかった」
マスター「結果、聴けない」
***
オッサン「そう。そこで思うんだよ」
おねーさん「何をにゃ?」
オッサン「作品って、作者が完成させるだけじゃ足りないんじゃないか?」
マスター「どういう意味だ」
オッサン「誰にも聴かれない音楽。誰にも見せない写真。誰にも読まれない文章。それでも作品ではある」
おねーさん「あるにゃ」
オッサン「でも、何かが足りない」
マスター「受け手か」
オッサン「たぶん」
おねーさん「作品を作ることと、作品を世界に置くことは別なのかもしれないにゃ」
オッサン「世界に置く?」
おねーさん「作者の手元にある間は、まだ作者が好きにできるにゃ。直せる。捨てられる。隠せる。でも発表した瞬間から、他人が見る。他人が解釈する。他人が覚える」
マスター「回収できなくなる」
オッサン「なるほど」
おねーさん「作者だけのものではなくなるにゃ」
オッサン「演奏会って、それを強制的にやる装置でもあるのか」
マスター「客を呼んでるんだからな」
オッサン「この日に、ここで、これを出します、と先に宣言する」
おねーさん「チラシまで配ってるにゃ」
オッサンはカウンターのチラシを見た。
オッサン「逃げ道を自分で印刷して潰してるのか」
マスター「今さら気づいたのか」
おねーさん「しかも何百枚も刷ってるにゃ」
オッサン「怖いことするな、演奏会」
マスター「お前が配ってるんだ」
オッサン「写真にもこれが要るのかもしれないな」
おねーさん「写真展?」
オッサン「写真展でもいい。写真集でもいい。誰かに見せる日を決めるだけでもいい」
マスター「締切を作る」
オッサン「締切だけじゃない」
マスター「何が違う」
オッサン「締切って、作業を終える日だろ。でも演奏会は、終えたものを外に出す日でもある」
おねーさん「完成と発表が接続されているにゃ」
オッサン「そう。自分で『できた』と思うだけじゃなくて、『これが今の俺たちです』って他人の前に置く」
マスター「失敗してもな」
オッサン「余計なこと言うな」
おねーさん「でも、それが重要かもしれないにゃ。完全だから発表するんじゃなくて、発表するから、その時点の形を作品として引き受ける」
オッサン「おお」
マスター「言い換えただけだ」
オッサン「いや、かなり違うぞ」
マスター「どこが」
オッサン「完成って、完全になることじゃないんだ」
おねーさん「もう変えないと決めること?」
オッサン「それだけでもないな」
オッサン「これで世界に出す、と引き受けることじゃないか」
マスター「責任の話か」
オッサン「たぶん」
おねーさん「作者が作品から手を離す瞬間にゃ」
オッサン「そう考えると、シベリウスの第八は……」
マスター「手を離さなかった」
オッサン「そうなるな」
おねーさん「だから存在しなかった、とまでは言えない。でも、世界の側に渡されなかったにゃ」
オッサン「完成したかどうかを、俺たちには決められない」
マスター「本人も決められなかったのかもしれない」
オッサン「それが一番怖いな」
おねーさん「完全を求めれば、永遠に手を離せないにゃ」
オッサン「だから演奏会がある」
マスター「演奏会は作曲家のためにあるわけじゃない」
オッサン「分かってるよ。でも演奏する側には効く」
おねーさん「日付が来たら手を離させられるにゃ」
オッサン「完全じゃなくても」
マスター「むしろ普通は完全じゃない」
オッサン「そこまで言うな」
マスター「事実だ」
オッサン「でも、そうなんだよな」
***
オッサンはまたチラシを一枚持ち上げた。
オッサン「これ、演奏会の案内じゃなかったんだな」
マスター「演奏会の案内だ」
オッサン「哲学的には」
マスター「余計なものを付けるな」
おねーさん「オッサンにとっては、自分たちに向けた最後通牒かもしれないにゃ」
オッサン「この日までに、今できるものを作って、手を離せ」
マスター「だから練習しろ」
オッサン「はい」
おねーさん「珍しく素直にゃ」
オッサン「でさ」
マスター「まだあるのか」
オッサン「写真展やるなら、チラシ置いてくれる?」
マスター「先に写真を選べ」
オッサン「だから、それを選ぶために写真展をやるんだよ」
マスター「順番が逆だ」
おねーさん「たぶん今日の話では、それで合ってるにゃ」
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