第十九話 自分では働かないオッサン
小さなバー。名前は《N+2》。
オッサン「最近さ、俺、『自分では仕事をしないオッサン』で通るようになってきたんだよ」
マスター「威張ることか」
オッサン「俺は嬉しいんだよ」
おねーさん「普通は隠すところにゃ」
オッサン「違うんだよ。仕事をしないんじゃない。自分では仕事をしないんだよ」
マスター「余計に悪く聞こえるぞ」
オッサン「俺、楽するための努力は惜しまないからな」
おねーさん「もっと悪く聞こえるにゃ」
オッサン「例えばさ、何か新しいものを作るのは好きなんだよ。データ集めて、組み合わせて、どうすれば使えるか考えて、試して、直して」
マスター「普通に仕事してるな」
オッサン「そこまではいいんだよ。嫌なのは、その後」
おねーさん「何があるにゃ?」
オッサン「メンテナンス」
マスター「必要だろ」
オッサン「必要だよ。だから俺じゃなくてもできるようにする」
マスター「自分ではやらないのか」
オッサン「やりたくない」
おねーさん「はっきり言ったにゃ」
オッサン「俺にしか分からないものを作ったら、ずっと俺が面倒見なきゃならないだろ。そんなの嫌じゃん」
マスター「作った奴が面倒見ろよ」
オッサン「嫌だよ。だから最初から、データを整理して、手順を決めて、誰でも使えて、誰でも直せるようにする」
おねーさん「自分が逃げられるようにしておくにゃ」
オッサン「そう」
マスター「それ、プラットフォーム化する方が大変だろ」
オッサン「だから言ってるだろ」
マスター「何を」
オッサン「楽をするための努力は惜しまない」
おねーさん「努力の方向がおかしいにゃ」
オッサン「おかしくない。最初に俺が苦労すれば、その後ずっと楽できるんだぞ」
マスター「その苦労を仕事って言うんじゃないのか」
オッサン「違う。将来仕事をしないための準備だ」
マスター「仕事だよ」
オッサン「だから最近、『自分では仕事をしないオッサン』で通るようになってきたのが嬉しいんだよ」
おねーさん「努力が実ったにゃ」
オッサン「そういうこと」
マスター「褒めてないぞ」
***
マスター「で、お前が作ったものは誰が使ってるんだ」
オッサン「みんな」
マスター「雑だな」
オッサン「使いたい奴が使えばいいんだよ。俺に聞かなくても使えるようにしてあるんだから」
おねーさん「聞かれるのも嫌にゃ?」
オッサン「同じこと何回も聞かれるの嫌い」
マスター「徹底してるな」
オッサン「一回説明したことを、二回説明したくないんだよ。だから説明も残す。やり方も残す。必要なデータも置いとく」
おねーさん「質問されないための努力にゃ」
オッサン「そう」
マスター「親切なんだか不親切なんだか分からんな」
オッサン「結果として親切ならいいだろ」
マスター「動機はどうでもいいのか」
オッサン「俺は楽したいんだよ」
おねーさん「ぶれないにゃ」
***
マスター「でも、それを使う奴は、お前が最初にやったことをやらなくて済むんだろ」
オッサン「そうだよ。そのためのプラットフォームなんだから」
マスター「データを探すところからやらなくていい。組み合わせ方を一から試さなくてもいい。お前が失敗したことも、もう一回失敗しなくていい」
オッサン「できればな」
おねーさん「ずいぶん楽してるにゃ」
オッサン「いいんだよ。楽すれば」
マスター「それ、お前の仕事なくならないか?」
オッサン「なくなればいいじゃん」
マスター「お前のjob securityの話だぞ」
オッサン「分かってるよ」
おねーさん「自分で自分を要らなくしてるにゃ」
オッサン「同じことを俺しかできない状態にして、俺の仕事を守ってどうするんだよ」
マスター「普通はそれを強みと言うぞ」
オッサン「一回できたことをずっと俺がやるの、つまらないじゃん」
マスター「そこか」
オッサン「もう答えが分かってるところを、俺まで何度も通る必要ないだろ」
おねーさん「自分も次へ行きたいにゃ」
オッサン「そう。次の奴もな」
マスター「お前が通ったところは、もう道になってると」
オッサン「そう。だったら道を歩けばいいんだよ」
おねーさん「その人はどこで苦労するにゃ?」
オッサン「その先」
マスター「お前が知らないところか」
オッサン「そこは俺にも教えられないからな。そっちに時間使えばいいんだよ」
マスター「で、そいつがそこを通ったら?」
オッサン「道にすればいいじゃん」
マスター「誰のために」
オッサン「次の奴のために」
少し間が空いた。
おねーさん「自分が楽する話じゃなくなったにゃ」
オッサン「……ほんとだな」
マスター「気づくの遅いぞ」
オッサン「いや、俺が楽したいのは変わらないぞ」
マスター「そこは守るんだな」
オッサン「大事だからな」
***
オッサン「でも、そうか。俺が一回通ったところを道にして、次の奴はそこから先へ行く」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「そいつが通ったところも道になれば、その次はもっと先から始められる」
マスター「そうなるな」
オッサン「それ、いいな」
マスター「今さらか」
オッサン「いや、やってることは前から同じなんだよ。でも、そういうふうに考えたことなかった」
おねーさん「オッサンが楽をしようとすると、後の人が先から始められるにゃ」
オッサン「素晴らしい仕組みじゃん」
マスター「お前が言うと台無しだな」
オッサン「なんでだよ」
マスター「人類の知識の継承を、面倒くさがりで説明するな」
オッサン「成立してるならいいだろ」
マスター「まあな」
***
マスター「でも、それ、どこまで続くんだ」
オッサン「どこまでって?」
マスター「次の奴が道を作る。その次も道を作る。そのまた次も作る」
オッサン「そうなればいいだろ」
マスター「なるのか?」
オッサン「……知らない」
おねーさん「保証はないにゃ」
オッサン「ないな」
マスター「知識が失われることだってある」
オッサン「あるだろうな」
おねーさん「前の人が知っていたことを、後の人が知らなくなることもあるにゃ」
オッサン「あるな」
マスター「人類がずっと続く保証もない」
オッサン「それもそうだな」
マスター「じゃあ、お前がやってることも、次に渡したところまでだな」
オッサン「そうだよ。俺にできるのはそこまでだろ」
マスター「ずいぶんあっさりしてるな」
オッサン「その先まで俺の責任にされても困るよ」
おねーさん「自分ではメンテナンスしないにゃ」
オッサン「人類までメンテナンスできるか」
マスター「そこまでプラットフォーム化しろとは言ってない」
オッサン「でも、続いてくれたらいいなとは思うよ」
おねーさん「続いてほしいにゃ?」
オッサン「うん。俺が渡した奴がその先へ行って、そいつがまた次に渡して、その次がもっと先へ行く。そういうのは続いてほしい」
おねーさん「それをずっと続けていったら、大きな物語になるにゃ」
オッサン「ああ……そうかもしれない」
マスター「大きな物語?」
おねーさん「一人一人の出来事を越えて、歴史全体に方向や意味を与えるような物語にゃ。人間は知識を蓄積して進歩していくとか、理性によってより良い社会へ向かうとか、そういうものにゃ」
マスター「こいつのは、前の人が知ったところから次の人が始めて、その先へ行く、か」
おねーさん「そうにゃ。それが世代を越えて続いていくと考えれば、大きな物語になるにゃ」
オッサン「なるほどな」
マスター「楽をしたいって話だったよな」
オッサン「そうだよ」
マスター「ずいぶん遠くまで来たな」
オッサン「俺もそう思う」
***
オッサン「大きな物語を信じたい。でも、信じられる根拠がない」
マスター「ないな」
オッサン「少しくらい慰めろよ」
マスター「ないものはない」
おねーさん「少なくとも、ずっと続くことは確かめられないにゃ」
オッサン「そうなんだよな」
マスター「お前が生きてる間だって、全部は確かめられない」
オッサン「そう」
おねーさん「それでも信じたいにゃ?」
オッサン「信じたい」
マスター「じゃあ、信じればいいだろ」
オッサン「それじゃ宗教と変わらないだろ」
マスター「面倒な奴だな」
オッサン「根拠がないものを、根拠があるみたいに信じたくはないんだよ」
おねーさん「でも、根拠がないから嫌いになる必要もないにゃ」
オッサン「うん」
マスター「で、どうするんだ」
オッサン「それが分からないから困ってる」
マスター「お前、自分で書いていたじゃないか」
オッサン「何を?」
マスター「赤ん坊が育つのを見てればいいんだろ」
オッサンは黙った。
おねーさん「書いたにゃ」
オッサン「……書いたな」
マスター「赤ん坊が育って、お前よりいろんなことを知る。それでいいって」
オッサン「うん」
マスター「だったら、それでいいだろ」
***
オッサン「そうか」
おねーさん「何がにゃ?」
オッサン「大きな物語が本当かどうか、俺が決着つける必要ないんだ」
マスター「つけられないしな」
オッサン「人類がずっと続くかも分からない。知識がずっと積み上がるかも分からない」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「でも、赤ん坊が育つのを見てることはできる」
マスター「ああ」
オッサン「自分が知ってるところまでは、次に渡せる」
おねーさん「はいにゃ」
オッサン「その先に行ったら、喜べる」
マスター「それもできるな」
オッサン「大きな物語を信じられる根拠は、たぶんない。でも、信じたい」
少し間が空いた。
オッサン「だから、参加するくらいしかできない」
おねーさん「はいにゃ」
マスター「で、お前の参加が、自分では仕事をしないことか」
オッサン「そう」
マスター「ずいぶん都合のいい大きな物語だな」
オッサン「楽をするための努力は惜しまないからな」
おねーさん「そこに戻るにゃ」
オッサン「そこから始まったんだから、いいんだよ」
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