第十一話 ちっぽけなものが好き

小さなバー。名前は《N+2》。

オッサンが、最近撮った小さな花の写真を満足気に眺めている。

オッサン「最近、分かったんだよ」

マスター「何がだ」

オッサン「俺は、ちっぽけなものが好きなんだ」

マスター「虫は?」

オッサン「興味ない」

おねーさん「反例が一秒で出たにゃ」

オッサン「だから、大きさだけの話じゃないんだよ」

マスター「じゃあ何だ」

オッサン「それを考えてる」

マスター「分からないものを好きだと言ってるのか」

オッサン「好きなものを先に好きになって、理由を後から考えちゃいかんのか」

おねーさん「むしろ好みなんて、だいたいそういうものにゃ」

オッサン「写真を見返してて気付いたんだ。俺、最近は小さな花ばっかり撮ってるんだよ」

マスター「小さければ何でもいいのか」

オッサン「いや。派手なのは違う。大きな群落になって一面に咲いてるのも、あまり違う。道端とか草むらの隅に、よく見ないと気付かないようなのがいい」

おねーさん「小さい。目立たない。ひっそりしている」

オッサン「それで、ちゃんと咲いてる」

マスター「植物はお前に見せるために咲いてるわけじゃない」

オッサン「だからいいんだよ」

おねーさん「なるほどにゃ」

オッサン「誰にも見つけてもらわなくてもいい。褒めてもらわなくてもいい。そこにちょこんといて、勝手に生きてる」

マスター「虫もそうだ」

オッサン「虫はいい」

マスター「さっきから理論の敵が虫だな」

おねーさん「たぶん『ちっぽけ』は、一個の条件では定義できないにゃ」

オッサン「小さいだけじゃダメ。目立たないだけでもダメ」

おねーさん「小さい、目立たない、孤立している、弱そう、可憐、世界の中で占める場所が小さい。そういう特徴が少しずつ重なってるんじゃないかにゃ」

マスター「家族的類似か」

おねーさん「そうにゃ」

オッサン「今度は知ってたか」

マスター「それくらい知ってるわ」

おねーさん「家族の全員に共通する顔の特徴が一つあるとは限らないにゃ。目が似ていたり、口元が似ていたり、輪郭が似ていたりする。その重なりで、全体として似ていると感じるにゃ」

オッサン「俺の『ちっぽけ』も、そういう集合なのか」

マスター「なら一つずつ交換してみろ」

オッサン「何を」

マスター「まず大きくする」

オッサン「嫌だな」

マスター「色を派手にする」

オッサン「まだ場合による」

マスター「百株に増やす」

オッサン「だいぶ違う」

マスター「花壇の真ん中に植えて、誰でも見えるようにする」

オッサン「かなり違う」

マスター「人間が改良して、花を三倍の大きさにする」

オッサン「もう俺が言ってる『ちっぽけ』じゃない」

マスター「どこで変わった」

オッサン「……分からんな」

おねーさん「一枚ずつ板を交換していったみたいにゃ」

オッサン「それ、テセウスの舟じゃねえか」

マスター「そういうことだ」

オッサン「なるほど。『ちっぽけ』を作ってる板を、一枚ずつ交換してたのか」

おねーさん「でも、何枚目で別のものになったのか分からないにゃ」

オッサン「テセウスの舟より厄介じゃないか。あっちは少なくとも換えた板の数を数えられる」

マスター「お前の『ちっぽけ』は板が何枚あるかすら分からんからな」

オッサン「そもそも板なのかどうかも怪しい」

おねーさん「それでも、見れば分かるんだにゃ?」

オッサン「分かる」

マスター「説明できないのに」

オッサン「できない。でも分かる」

おねーさん「それが面白いところにゃ。定義できることと、識別できることは同じじゃないにゃ」

***

オッサン「そういえば前にも似たようなことを考えたことがあったな」

マスター「何だ」

オッサン「昔、ものすごく可愛かった子ネコの写真を見てた時だよ」

おねーさん「きっと、あの子は今どこにいる、って話にゃ」

オッサン「そう。今も同じネコはいる。でも大きくなった。顔も変わった。毛も生え替わった。身体だってずっと入れ替わってる」

マスター「生物はそういうものだ」

オッサン「それでも同じネコだと思う」

おねーさん「またテセウスの舟にゃ」

オッサン「板を勝手に交換し続ける舟だな」

マスター「生物を舟扱いするな」

オッサン「でも、あの時も結局、何が同じなら同じ存在なのか分からなかった」

おねーさん「物質ではないにゃ。外見でもない。大きさでもない」

オッサン「名前でもないだろうな。名前を変えたって同じネコだ」

マスター「連続性だろ」

オッサン「時間の?」

マスター「昨日の個体が今日の個体になった。その変化が連続している。突然、別の個体と交換されたわけじゃない」

オッサン「つまり履歴か」

マスター「かなり大きいだろうな」

オッサン「そう考えると、写真って妙だな」

おねーさん「どうしてにゃ?」

オッサン「昔の写真を見ると、あの頃のあいつがいるんだよ。今とは全然違うのに、見た瞬間に『あいつだ』って分かる」

マスター「過去の状態を記録してるんだから当然だ」

***

オッサン「でも最近、もっと変なことに気付いた」

おねーさん「何にゃ?」

オッサン「生成AIで作れば、俺が好きそうな写真なんて作れるんだよ」

マスター「まあ、作れるだろうな」

オッサン「野辺に咲く小さな花。ちょっと暗い背景。柔らかい光。低い視点。可憐で、目立たなくて、ちょこんと咲いてる」

おねーさん「『ちっぽけ』の板を全部指定できるにゃ」

オッサン「そうなんだよ。俺が好きな板を全部揃えて、俺が好きそうな写真を作れる」

マスター「それでいいじゃないか」

オッサン「一瞬、俺もそう思った」

おねーさん「でも違った?」

オッサン「この前の話とは違うところで違うんだよな」

マスター「何が違う」

オッサン「分からん」

マスター「またか」

オッサン「でも違う。俺が草むらを歩いてて、なんとなく足を止めて、しゃがんでみたら五ミリくらいの花が咲いてた。それと、画面に『五ミリくらいの可憐な花を作れ』って入力して出てきたものは、同じ絵になったとしても違う」

おねーさん「履歴がないからかにゃ」

オッサン「ああ」

マスター「画像だけ比較すれば同じでも、そこに至る経路が違う」

オッサン「見つけてないんだよ」

おねーさん「生成したものは、発見されたものではないにゃ」

オッサン「そう。俺が撮りたいのは、たぶん綺麗な花の画像だけじゃない」

マスター「面倒になってきたな」

オッサン「世界のどこかに実際にあって、俺がそこを通って、たまたま気付いて、しゃがんで、よく見たらこんなものがあった。その一連の行為の履歴ごと写真になってるんだ」

おねーさん「画像には写ってないのに?」

オッサン「写ってない」

マスター「なら鑑賞者には分からんぞ」

オッサン「そうなんだよ」

少し沈黙した。

オッサン「写真に写ってないものが、写真の同一性を決めてるのか?」

おねーさん「面白い問題にゃ」

マスター「撮影者にとっての同一性、と限定した方がいい」

オッサン「同じ画像を生成できても、俺にとっては同じ写真じゃない」

おねーさん「テセウスの舟を逆にしたみたいにゃ」

オッサン「逆?」

おねーさん「舟の板を全部同じ形に複製して、完全に同じ舟をもう一艘作ったとするにゃ」

オッサン「ああ」

おねーさん「形も材質も完全に同じ。でも、それは最初の舟?」

オッサン「違うな」

マスター「完全にコピーだ」

オッサン「そうか。俺が生成AIで作った花の写真に感じた違和感は、それか」

おねーさん「見た目の板は全部同じでも、履歴が違うにゃ」

オッサン「じゃあ、同一性って物の中に全部入ってるわけじゃないんだな」

マスター「場合による」

オッサン「時間にも入ってる」

おねーさん「関係にも入ってるにゃ」

オッサン「関係?」

おねーさん「家族写真だってそうにゃ。一枚の写真に全員が集合していなくても、別々の写真を並べて、見る人が関係を読み取れば家族に見えるにゃ」

オッサン「ああ。全員が同じ場所にいることが、家族の条件じゃない」

マスター「当たり前だ」

オッサン「でも写真にすると妙だぞ。物理的には別々の画像だ。それを並べただけなのに、一つのまとまりになる」

おねーさん「同一性が個々の画像の中だけにあるわけじゃないからにゃ。画像と画像の関係にもある」

オッサン「物の中だけじゃない。形だけでもない。画像だけでもない。履歴にもある。関係にもある。見る側にもある」

マスター「広げすぎるな」

オッサン「いや、でもそういうことだろ」

***

おねーさん「最初の『ちっぽけ』に戻ってきたにゃ」

オッサン「あ」

おねーさん「『ちっぽけ』も花の中に単独で存在する性質じゃなかったにゃ。大きさだけでも、色だけでも、咲いている場所だけでもなかった」

オッサン「俺がいろんなものを見て、似たものをまとめてる」

おねーさん「まず違いを捨てているにゃ」

オッサン「捨象か」

おねーさん「そうにゃ。種類も場所も季節も違う。それをいったん捨てて、『ちっぽけ』という共通性を見る」

オッサン「でも撮る時は逆だな」

マスター「何がだ」

オッサン「撮る時には、もう『ちっぽけな花一般』じゃない。こいつなんだよ」

おねーさん「この場所に、この個体が、この光で、この瞬間にいる」

オッサン「そう。それを撮る」

マスター「捨象して見つけて、差異化して撮るわけか」

オッサン「なんだよ。綺麗にまとめるじゃないか」

マスター「お前が散らかすからだ」

オッサン「でも、そう考えると面白いな。俺は最初に世界をかなりスルーしてるんだ」

おねーさん「虫もにゃ」

オッサン「虫もスルーする」

マスター「徹底してるな」

オッサン「大きな花も、派手な花も、人目を引くものもスルーする。その先に、ちっぽけなものが残る」

おねーさん「そして見つけた瞬間、今度はその一個の違いを見るにゃ」

オッサン「捨象して、差異化する」

マスター「それで?」

オッサン「それで撮る」

マスター「何をだ」

オッサン「花を」

マスター「本当に?」

オッサン「……」

おねーさん「来たにゃ」

マスター「お前が撮ってるのは花なのか。それとも『ちっぽけ』なのか」

オッサン「たぶん、両方だな」

マスター「逃げたな」

オッサン「違う。『ちっぽけ』を探して、花を見つける。花を撮ったら、『ちっぽけ』が写る」

おねーさん「でも『ちっぽけ』そのものは写ってないにゃ」

オッサン「なのに、俺には見える」

マスター「鑑賞者にも見えるとは限らん」

オッサン「だから写真を撮るんじゃねえか」

おねーさん「どういうことにゃ?」

オッサン「俺に見えたものが、他人にも見えるか試してるんだよ」

マスター「随分遠くまで来たな。最初は小さい花が好きだって話だったぞ」

オッサン「いつものことだろ」

おねーさん「で、虫は?」

オッサン「興味ない」

マスター「そこだけ板を一枚も交換しないんだな」

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