番外編 おねーさんの研究ノート「睛を描く前の龍」
◎月◎日。
今日、オッサンが画竜点睛の話をしていたにゃ。
龍を描いた。
でも、目を描かなかった。
目を描いたら飛んでいってしまうから。
それでも頼まれて目を描いたら、本当に龍は飛んでいった。
すごい画家の話だと思っていたにゃ。
でもオッサンは言った。
「それ、納品物なくなってるじゃん」
台無しにゃ。
一度そう聞いてしまうと、
もう前と同じ故事には戻れないにゃ。
***
マスターは目的の話をしていた。
壁画を残すことが目的なら、
龍を飛ばしてはいけない。
だから睛を入れたのは失敗だ、と。
たぶん正しいにゃ。
でも私は、別のところが気になった。
目を描く前の龍は、
完成していなかったのだろうか。
目がない。
だから不完全。
これは分かるにゃ。
では、目を描いた後の龍は完成したのか。
龍としては完成した。
でも、壁画としてはいなくなったにゃ。
完成した瞬間に、
作品が消えている。
変な話にゃ。
***
「完成」という言葉は、
一つの状態を指しているように見える。
でも、
龍としての完全性と、
壁画としての完全性は、
同じではなかった。
睛を入れる前なら、
不完全な龍が壁にある。
睛を入れた後なら、
完全な龍が空へ行く。
どちらを選んでも、
何かが欠けるにゃ。
***
オッサンは最後に、
「本当に画竜点睛を欠いていたのは、画家の目的認識だったんじゃね?」
と言った。
上手いことを言った顔をしていたので、
その場では褒めなかったにゃ。
でも、少しだけ面白かった。
完全であることと、
目的にかなっていることは、
同じではない。
もしかすると私たちは、
「完成」という言葉を使うたびに、
何かをこっそり省略しているのかもしれない。
何について完成なのか。
誰にとって完成なのか。
何のために完成なのか。
そこを省略したまま、
「最後の一筆が足りない」
と言っている。
でも、その一筆を入れたら、
飛んでいってしまうものだってあるにゃ。
だったら、
欠けたまま残っていることも、
一つの完成なのかもしれないにゃ。
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