第二十話 幸せな人生でした
小さなバー。名前は《N+2》。
いつものようにカウンターに座っているオッサンが唐突に、そして徐に話し始めた。
オッサン「『幸せな人生でした』って紙に書いて、壁に貼っておこうかと思ってる」
マスター「やめとけ」
おねーさん「いきなり遺書にゃ」
オッサン「やっぱりそう聞こえるよな」
マスター「他にどう聞けっていうんだ」
オッサン「でもさ、目標達成の方法であるだろ。これから実現したいことを、もう実現したみたいに過去形で書くやつ」
おねーさん「『目標を達成しました』とか『こういう人になりました』とかにゃ」
オッサン「そう。それを目につくところに貼って、達成した自分をイメージする」
マスター「自己暗示みたいなもんだな」
オッサン「それで『仕事で成功しました』なら別に怖くない。『家を建てました』でもいい。『定年後は小樽で幸せに暮らしました』でも、まあ目標として読める」
おねーさん「最後のはちょっと遺書寄りにゃ」
オッサン「じゃあ、その範囲を人生全体まで広げたらどうなる」
おねーさん「『幸せな人生でした』」
オッサン「途端に死ぬ」
マスター「文章の中ではな」
オッサン「おかしいと思わないか。同じ方法なのに」
おねーさん「目標が大きすぎるからかにゃ」
オッサン「最初は俺もそう思った。でも、違うんじゃないか」
マスター「何がだ」
オッサン「実際に人生の最後まで来た人を考える。その人が経済的にも社会的にもそれなりに成功した。家族や友人にも恵まれた。本人も満足してる。周りから見ても、あの人は幸せだったよね、良い人生だったよね、って自然に言える」
おねーさん「その人が最後に『幸せな人生でした』と言ったら」
オッサン「全然おかしくないだろ」
マスター「まあな」
オッサン「むしろ見事な達成宣言じゃないか」
おねーさん「人生を一つのプロジェクトとして見るなら、最終目標の達成報告にゃ」
マスター「お前はすぐプロジェクトにするな」
おねーさん「マスターに言われたくないにゃ」
オッサン「で、プロジェクトの目標を達成したらどうする」
マスター「次の目標を立てる」
オッサン「その人に次のプロジェクトを立てる時間がもう、なかったら?」
マスター「次は、ないな」
おねーさん「じゃあ、祝うにゃ」
オッサン「そうなんだよ。大きな目標ならなおさらだ。それが周囲にも良いものを残したなら、みんなで祝う」
おねーさん「でも人生の場合、その達成と死がほぼ同時に来るにゃ」
オッサン「だから葬儀になる」
マスター「飛んだな」
オッサン「飛んでない。幸せな人生を完遂した人の葬儀って、実は祝典なんじゃないか」
おねーさん「もちろん、死を祝うという意味ではないにゃろ?」
オッサン「そう。そこは絶対に違う。その人が生きたことを祝う」
マスター「寂しいぞ」
オッサン「寂しいよ。当然だろ」
おねーさん「寂しさと祝福は排他的じゃないにゃ。むしろ良い人生だったから惜しまれるし、良い人生だったから祝えるのにゃ」
オッサン「そういうこと」
マスター「理屈は分かる。だが、本人はどうなんだ」
オッサン「そこなんだよ」
***
オッサン「一休宗純って、死ぬときに『まだ死にたくない』と言ったと伝えられてるだろ」
おねーさん「一休さんにゃ」
マスター「ずいぶん俗っぽい最期だな」
オッサン「でも一休の享年は八十八とされている」
おねーさん「若者の『まだ死にたくない』とは、同じ言葉でも意味が違って聞こえるにゃ」
オッサン「二十歳の若者が病床で言ったら、悲壮感しかない。これからだったのに、って思う」
マスター「八十八歳なら?」
オッサン「それほど生きたいのか、と思う」
おねーさん「逆から考えてみるにゃ。『もう死んでもいい』」
オッサン「そう。これが面白い。同じ言葉でも、年齢と置かれた状況で意味が変わる」
マスター「若くて不幸なやつが言えば、まず心配する」
オッサン「悲惨だよな」
おねーさん「若くて幸福なら、『それだけ満足しているのかにゃ』となる」
オッサン「老人で幸福なら?」
マスター「良い人生だったんだろうな」
オッサン「老人で不幸なら?」
マスター「諦めたか、疲れたか」
オッサン「だろ。同じ『もう死んでもいい』なのに全然違う」
おねーさん「なら、『まだ死にたくない』も、死への恐怖だけでは解釈できないにゃ」
オッサン「一休は、良い人生だったんじゃないかと思うんだよ」
マスター「根拠はないぞ」
オッサン「分かってる。だから『思う』だ。でも88まで生きて、それでも『まだ死にたくない』なら、死にたくないほど生きることが悪くなかった、とも読める」
おねーさん「生への肯定にゃ」
オッサン「でも、逆もある」
マスター「怖かっただけかもしれない」
オッサン「そう。禅僧だろうが何だろうが、死ぬのは怖い」
おねーさん「悟りとは別問題かもしれないにゃ」
オッサン「偉い坊さんでも死ぬのは怖い。いわんや衆生をや」
マスター「勝手に格言を作るな」
オッサン「でもさ、生への肯定なのか、死への恐怖なのか、どっちなんだろうな」
おねーさん「分けなくてもいいんじゃないかにゃ」
オッサン「ん?」
おねーさん「生きていたいから、死ぬのが怖いにゃ」
オッサン「……ああ」
マスター「それだけの話かもしれんな」
オッサン「幸せな人生だったら、最後は『もう十分です』って穏やかに死ななきゃいけないわけじゃないんだな」
おねーさん「幸せだったから、もっと生きたい、でもいいにゃ」
オッサン「幸せな人生でした。でも、まだ死にたくありません」
マスター「両立するな」
オッサン「するなあ」
***
オッサン「ヴェルディの《レクイエム》を初めて聴いたのは、学生の頃だった」
マスター「また急に音楽か」
オッサン「つながってるんだよ」
おねーさん「聞くにゃ」
オッサン「《怒りの日》は衝撃だった。ジャッドン・ジャッドン・ジャッドン・ジャッドンって」
マスター「語彙が死んでるぞ」
オッサン「だってそう聞こえたんだから仕方ない。それで思ったんだよ。こんなドンチャンな曲がレクイエムなのかって」
おねーさん「死者のためのミサなのに、静謐な祈りというイメージから遠かったにゃ」
オッサン「そう。でも当時は勉強しながら聴いてたから、《怒りの日》までは覚えてても、いつも最後は『いつ終わったんだろう』だった」
マスター「聴いてないじゃないか」
オッサン「流してはいた」
マスター「それを聴いてないと言う」
オッサン「まあな」
おねーさん「それが変わった?」
オッサン「変わった。二つ必要だった」
マスター「何だ」
オッサン「一つはライブで聴くこと」
おねーさん「もう一つは?」
オッサン「その前に、愛する者の臨終の場にいた経験があること」
二人は黙った。
オッサン「臨終の場って、辛いんだよ」
オッサン「生きていてほしい。でも、もう死は避けられない」
オッサン「苦しそうなんだ。その苦しみから解放してあげたい」
オッサン「でも、生きていてほしい」
オッサン「考えられるのは、それだけなんだよ」
おねーさん「矛盾しているにゃ」
オッサン「そう。でも、どっちも本当なんだ」
マスター「整理する必要もない」
オッサン「ないな。そんな余裕もない」
しばらく誰も話さなかった。
オッサン「そして死ぬ」
オッサン「死んでしまうと、昔の話ができるようになる。あんなことがあった、こんなことがあったって」
おねーさん「それまでは現在だったものが、過去になるにゃ」
オッサン「寂しいよ。でも、そこで初めて人生全体を振り返れる」
マスター「それで、さっきの葬儀か」
オッサン「そう。葬儀という祝典を迎えられる」
***
オッサン「その経験をした後で、ヴェルディの《レクイエム》をライブで聴いた」
おねーさん「今度は最後まで聴いたにゃ」
オッサン「聴いた。というより、逃げられなかった」
マスター「ライブだからな」
オッサン「最初がある。《怒りの日》が来る。その後もずっと続いていく」
オッサン「それがさ、人生みたいに聞こえたんだ」
おねーさん「人生?」
オッサン「青春があって、朱夏があって、白秋があって、最後は玄冬」
マスター「各曲が対応してるって話じゃないだろうな」
オッサン「違う。そういう分析じゃない。俺の中で、そういう時間が流れたんだ」
おねーさん「聴いている側が経験する時間にゃ」
オッサン「そう。そして最後の《Libera me》になる」
オッサン「それまでのフレーズが戻ってくるんだよ」
おねーさん「回想みたいに」
オッサン「そうなんだ。人生を振り返ってるみたいに聞こえる」
オッサン「それで最後は、ものすごく静かになる」
オッサン「美しいピアニッシモ」
オッサン「消えていく」
オッサン「そこで思った」
オッサン「終わってほしくない」
マスター「でも終わる」
オッサン「そう。音楽だからな。始まった音楽は終わらなきゃならない」
おねーさん「終われば、その演奏全体を評価できるにゃ」
オッサン「そうなんだよ。終われば拍手できる。素晴らしかったって言える」
オッサン「でも、その瞬間はまだ終わってほしくない」
マスター「さっきと同じだな」
オッサン「そうなんだ」
オッサン「生きていてほしい。でも終わりは来る」
オッサン「音が消えた」
オッサン「指揮者が動かない」
オッサン「客席も動かない」
オッサン「ほんの数秒だ」
オッサン「でも、その数秒間に、祈りを感じた」
おねーさん「音はもうないのに」
オッサン「ない」
マスター「だから祈りになったのかもしれんな」
オッサン「学生の頃は、『こんなドンチャンな曲がレクイエムなのか』って思った」
オッサン「でも全部を通り抜けて、最後に残ったのは音じゃなかった」
オッサン「沈黙だった」
おねーさん「そして祈りだったにゃ」
オッサン「そう」
三人とも黙った。
オッサン「それから、指揮者が動いた」
オッサン「客席も動いた」
オッサン「拍手喝采だ」
マスター「祝典か」
オッサン「ああ」
***
オッサン「そのとき、葬儀と同じなんだと思った」
おねーさん「死を祝っているわけではないにゃ」
オッサン「違う。絶対に違う」
オッサン「終わって欲しくなかった。でも、必ず終わりがあるものだった」
オッサン「終わった直後には、まだ動けない」
オッサン「祈る時間がある」
オッサン「でも、やがて振り返れる」
オッサン「素晴らしかった、と言える」
マスター「それで拍手する」
オッサン「そう」
おねーさん「人生も同じだと」
オッサン「幸せな人生でした、って言える人生ならな」
マスター「でも本人は、まだ死にたくないと言っていい」
オッサン「いいんだよ」
おねーさん「終わってほしくないほど良かったことと、終わったあとに良かったと言えることは矛盾しないにゃ」
オッサン「そういうことなんだと思う」
マスター「音楽は終わらなければならない」
オッサン「人生もな」
おねーさん「でも、終わることが目的ではないにゃ」
オッサン「ああ」
マスター「終わったから拍手するんじゃない」
オッサン「そこまでが良かったから拍手する」
おねーさん「寂しいままでいいにゃ」
オッサン「死にたくないままでもいい」
マスター「それでも、良い人生だったと言える」
***
オッサンはグラスを見た。
オッサン「だったら俺は、やっぱり貼っておこうかな」
マスター「何を」
オッサン「『幸せな人生でした』」
おねーさん「やっぱり遺書にゃ」
マスター「せめてまだ貼るな」
オッサン「目標なんだから、今貼らなきゃ意味ないだろ」
マスター「客が見る」
おねーさん「店には貼るなにゃ」
オッサン「家に貼るよ」
マスター「そうしろ」
オッサン「で、最後は盛大にやってくれ」
マスター「何をだ」
オッサン「拍手喝采」
おねーさん「それを指定したら祝典じゃなくて演出にゃ」
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