番外編 マスターの営業日誌(店舗内限定閲覧可能ブログ)証明不能について

◎月◎日。

天候、晴れ。

客入り、普通。

売上、普通。

特記事項なし。

今日、またオッサンが妙なことを言い出した。

「証明は、答えが決まってるものを確認してるだけじゃないのか」

おねーさんが食いついた。

嫌な予感はした。

案の定、ゲーデルまで行った。

***

証明する前から答えが決まっている。

だから証明に意味がない。

そういう話ではない。

答えが決まっていることと、

そこへ至る手順を示せることは別だ。

システムでも同じだ。

動くはずだ、では困る。

なぜ動くのか。

どの条件なら動くのか。

どこまで確認したのか。

それを他人が辿れる形にする。

おねーさんが、

「仕様書みたいなものかにゃ」

と言った。

違う。

検証記録だ。

***

そのうち話が、体系自身の無矛盾性まで証明できるのかというところへ行った。

十分に強い形式体系では限界がある。

だからどうする。

別に困らない。

矛盾が見つかったら直す。

前提が悪ければ変える。

モデルが現実と合わなければ捨てる。

新しいモデルを作る。

それだけだ。

***

おねーさんが、

「それって、無矛盾性を諦めてるにゃ?」

と聞いた。

違う。

無矛盾性を目指すことと、

無矛盾性を完全に保証できることは別だ。

壊れていないことを完全に証明できなくても、

壊れた場所を見つけることはできる。

見つけたら直す。

直したら、また検証する。

「その検証方法が正しいことは?」

必要なら検証する。

「その検証方法は?」

必要ならそれも検証する。

おねーさんが考え込んだ。

たぶん、外側の外側について考えている。

俺はそこまで行かない。

必要になったら行く。

***

オッサンが、

「科学も同じだな」

と言った。

そうだ。

完成しているから信用するんじゃない。

間違いを見つける手段があって、

見つかったときに直せるから信用する。

完全である必要はない。

修正可能であればいい。

おねーさんが、

「その『直す』って、何を直してるにゃ?」

と言った。

知らん。

今度は人間の思考そのものへ行くらしい。

俺は行かない。

明日も店を開ける。

以上。

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