あとがき
小さなバー。名前は《N+2》。
開店前の店に3人がいる。
オッサン「終わったらしいぞ」
マスター「何が」
オッサン「俺たちの話。全二十話、番外編込みで十万字くらい」
マスター「書きすぎだ」
おねーさん「長かったにゃ」
オッサン「長かったな」
マスター「本人も途中で、どこまで書くつもりなんだと思ってただろ」
オッサン「でも、終わった」
マスター「まだ書けるだろ」
オッサン「書けるだろうな」
マスター「じゃあ終わってないじゃねえか」
オッサン「いや。そこが違うんだよ」
おねーさん「書けなくなったから終わったわけじゃないにゃ?」
オッサン「そう。まだ書ける。でも、書かない」
マスター「できるけど、しない、か」
オッサン「そういうこと」
おねーさん「足りないものがなくなったから完成、というわけでもないにゃ」
オッサン「うん。足そうと思えば、まだいくらでも足せる」
マスター「だったら、どこで止める」
オッサン「ここ」
マスター「理由は」
オッサン「ここで終わらせるから」
マスター「循環してるぞ」
オッサン「いいんだよ。完成って、もう何も足せない状態じゃないんだから」
おねーさん「足せるものを残したまま、これでいいとすることもできるにゃ」
オッサン「未完成なところまで含めて、これで完成ってことか」
マスター「未完の完、だな」
オッサン「でもさ、あの最終話の意味も、たぶんそこなんだよ」
おねーさん「まだ続けられるのに、最後の一つを決めないにゃ?」
オッサン「決めることはできる」
マスター「でも、しない」
オッサン「そう」
おねーさん「何かを足して完成させるんじゃなくて、足せるところで止めるにゃ」
オッサン「それにしてもさ、改めて最初から読むと、俺たちって何なんだろうな」
マスター「登場人物だろ」
オッサン「そういう話じゃない」
マスター「じゃあ何だ」
オッサン「俺たち三人で話してるけど、実際には役割がかなり違うだろ」
おねーさん「それはそうにゃ」
オッサン「俺が変なことを言う」
マスター「そこは自覚があるんだな」
オッサン「おねーさんが難しい名前をつける」
おねーさん「雑に言うなにゃ」
オッサン「で、お前が壊す」
マスター「壊してない。条件を確認してるだけだ」
オッサン「それだよ」
おねーさん「何がにゃ」
オッサン「俺たち三人、思考の出力装置なんじゃないか」
***
マスター「だったら、お前は発散器だ」
オッサン「いきなりひどいな」
マスター「事実だ。花の話をしてたと思ったらカントへ行く。水栓から旧ソ連へ行く。音楽から時間論へ行く。入力と出力の距離がおかしい」
おねーさん「でも、その飛躍の途中に構造的な類似を見つけているにゃ」
マスター「だから発散器なんだ。ノイズ発生器とは言ってない」
オッサン「微妙に褒められた気がしない」
おねーさん「私は何にゃ」
マスター「整流器」
おねーさん「電気回路になったにゃ」
マスター「こいつが撒き散らしたものを、概念にして並べ直す。哲学史に置いたり、既存の議論と接続したりする」
オッサン「じゃあマスターは?」
マスター「帰還回路だな」
オッサン「自分だけ格好いいな」
おねーさん「フィードバックにゃ」
マスター「まあ、そうだ」
オッサン「俺の話を小さくする装置か」
マスター「違う。発振を止めてるんだ」
おねーさん「ネガティブ・フィードバックにゃ」
オッサン「俺、発振してるの?」
マスター「しょっちゅうな」
***
オッサン「すると、三人合わせて一台か」
おねーさん「たぶんそうにゃ」
マスター「入力は?」
三人が黙った。
オッサン「……あのオッサンじゃないか」
おねーさん「どのオッサンにゃ」
オッサン「俺を書いてるオッサン」
マスター「ああ」
おねーさん「さらにオッサンがいるにゃ」
オッサン「五ミリの花を見つけたり、雑誌の記事に腹を立てたり、古いカメラをいじったり、音楽を聴いて途中で寝たりしてるやつ」
マスター「入力の品質が安定しないな」
おねーさん「でも入力範囲は異様に広いにゃ」
オッサン「しかも本人は、最初から哲学の話をしようとしてないんだよ」
マスター「それが一番厄介だ」
おねーさん「何かに引っかかるにゃ」
オッサン「で、考える」
おねーさん「まだ考えるにゃ」
マスター「余計なところまで考える」
オッサン「そうすると俺が出てくる」
おねーさん「私が整理するにゃ」
マスター「俺が止める」
オッサン「止まらない」
マスター「だから十万字になったんだろ」
***
オッサン「でもさ」
マスター「何だ」
オッサン「俺たちが出力装置だとすると、そもそも、なんで三つも必要なんだ?」
おねーさん「一人で書けば済むはずにゃ」
マスター「済まないから三人いるんだろ」
オッサン「身も蓋もないな」
おねーさん「じゃあ、あの人は一人では考えられないにゃ?」
マスター「違う。一人で考えるから駄目なんだ」
オッサン「どういう意味だよ」
マスター「入力したものを、そのまま自分の中で回すだろ」
おねーさん「回すにゃ」
マスター「しかも長い」
オッサン「長いな」
マスター「途中で別のものにつながる」
オッサン「つながるな」
マスター「それを面白がって、さらに回す」
おねーさん「発振するにゃ」
マスター「だから外に出す必要がある」
オッサン「俺たちに?」
マスター「そうだ」
***
おねーさん「でも、入力にも癖があるにゃ」
オッサン「どんな?」
おねーさん「大きな問題から始めないにゃ」
マスター「そうだな」
おねーさん「幸福とは何か、と最初から考えるわけじゃないにゃ。小さな花だったり、古いカメラだったり、天気予報の言い方だったり、雑誌の記事だったりするにゃ」
オッサン「どうでもいいことばっかりだな」
マスター「本人にとっては、どうでもよくないんだろ」
おねーさん「たぶん、対象の大小をあまり区別してないにゃ」
オッサン「五ミリの花とカントが同列?」
マスター「同列じゃない。入力としては同じだ」
オッサン「なるほど」
マスター「引っかかれば入る」
おねーさん「重要だから考えるんじゃなくて、引っかかったから考えるにゃ」
オッサン「それ、かなり重要じゃないか?」
マスター「たぶんな」
***
おねーさん「もう一つあるにゃ」
オッサン「何?」
おねーさん「答えより、境界が気になる人にゃ」
マスター「ああ」
オッサン「境界?」
おねーさん「これは同じなのか違うのか。どこまで同じと言えるのか。どこから別物になるのか、という話が多いにゃ」
マスター「ステレオグラムもそうだ。写真なのか、立体視なのか。作品の完成もそうだ。楽譜なのか、演奏なのか、録音なのか」
オッサン「ネコの存在確率も?」
マスター「あれは知らん」
おねーさん「野良猫と飼い猫との不連続を気にしてたにゃ」
マスター「なら同じだ」
オッサン「テセウスの舟が何度も出てくるわけだ」
おねーさん「同一性そのものが好きというより、境界条件を探してるにゃ」
マスター「たぶん仕事の癖でもあるんだろ。何が効いて、何が効かないか。条件を変えたら結果がどう変わるか」
オッサン「哲学者というより、実験屋だな」
マスター「哲学者じゃないだろ」
おねーさん「本人も名乗ってないにゃ」
***
オッサン「でも、だったら俺は何なんだ?」
マスター「その境界を勝手に越える役だ」
オッサン「ひどいな」
おねーさん「でも、それがないと始まらないにゃ」
マスター「普通は、違う分野のものを似ていると思っても、そこで止める」
オッサン「こいつは止めない?」
マスター「止めない。似てると思ったら、とりあえず線を引く」
おねーさん「それで私が、その線に名前があるか調べるにゃ」
マスター「俺が、その線が本当に引けるか見る」
オッサン「なるほど」
おねーさん「だから、著者の思考そのものを三人に分けたというより」
マスター「思考の工程を分けたんだろ」
オッサン「俺が仮説生成」
おねーさん「私が概念化」
マスター「俺が検証」
オッサン「科学じゃん」
マスター「だいぶ雑な科学だがな」
***
おねーさん「でも、変なところもあるにゃ」
オッサン「まだあるの?」
おねーさん「かなり疑うのに、古いものは簡単には捨てないにゃ」
マスター「それはあるな」
オッサン「古いカメラとか?」
マスター「物だけじゃない。昔からある概念も、制度も、方法もだ。新しいから正しいとも、古いから間違ってるとも考えてない」
おねーさん「一度、何のためにそうなっているのかを考えるにゃ」
オッサン「それで、理由が残っていれば残す」
マスター「理由がなくなってれば疑う」
おねーさん「保守的なのに、疑い深いにゃ」
オッサン「両立するのか?」
マスター「するだろ。残すことと、考えないことは別だ」
おねーさん「むしろ、残すなら理由を知りたがるにゃ」
オッサン「面倒くさいな」
マスター「今さら気づいたのか」
***
オッサン「じゃあ、結局この人は何を書いてたんだ?」
おねーさん「哲学?」
マスター「違うだろ」
オッサン「じゃあ評論?」
マスター「それも違う」
おねーさん「自分の考え方の記録かにゃ」
マスター「近いな」
オッサン「でも本人が書いた文章じゃなくて、俺たちが喋ってるぞ」
マスター「だから記録なんだろ」
オッサン「分からん」
マスター「結論だけ残したら、何を考えたかしか残らない」
おねーさん「でも私たちを喋らせると、どう考えたかが残るにゃ」
オッサン「飛んで」
おねーさん「整理して」
マスター「戻す」
オッサン「また飛んで」
マスター「戻す」
おねーさん「たまに戻らないにゃ」
マスター「そのときは発振する」
オッサン「じゃあ、この本って」
少し間があいた。
オッサン「著者の思考のログなのか?」
マスター「完成品というよりはな」
おねーさん「でも、ログをそのまま出したわけじゃないにゃ」
マスター「三人を通して読める信号に変換した」
オッサン「やっぱり俺たち、出力装置じゃん」
マスター「最初からそう言ってる」
***
おねーさん「でも、変な構造にゃ」
オッサン「何が」
おねーさん「著者が私たちを書いたはずなのに、途中から私たちが著者の考え方を分解しているにゃ」
マスター「珍しくない。モデルを作れば、モデルから自分について分かることもある」
オッサン「じゃあ、俺たちは著者のモデルなのか」
マスター「違う」
オッサン「即答するなよ」
マスター「モデルなら、もっときれいに設計する」
おねーさん「三人とも、ずいぶん勝手に動くにゃ」
オッサン「じゃあ何なんだよ」
マスター「出力装置だろ。さっき自分で言ったじゃねえか」
オッサン「ああ」
マスター「本人の頭の中にあるものを、そのまま出しても読めない。だから三系統に分けて出してる」
おねーさん「飛躍する声」
オッサン「整理する声」
マスター「疑う声」
少し間があいた。
オッサン「じゃあ、著者本人はどこにいるんだ?」
おねーさん「三人のどこにもいないにゃ」
マスター「三人ともそうだろ」
オッサン「でも、三人合わせると?」
マスター「知らん」
おねーさん「そこを決めない方が、この本らしいにゃ」
***
おねーさん「一つだけ気になるにゃ」
オッサン「何?」
おねーさん「著者は、私たちを使って自分の思考を外に出したにゃ」
マスター「ああ」
おねーさん「そして最後に、私たちを使って自分自身を分析させたにゃ」
オッサン「うん」
おねーさん「それを読んで、本人が直すにゃ」
マスター「そうなるな」
オッサン「……それ、帰還してない?」
マスター「してるな」
おねーさん「フィードバックにゃ」
オッサン「じゃあ、この三人を作った本人まで含めて、一つの系なのか」
マスター「そうなる」
オッサン「誰が発振を止めるんだ?」
マスター「俺だ」
おねーさん「止まってないにゃ」
マスター「十万字あるからな」
***
オッサン「で、これを前書きにするのか、後書きにするのか」
マスター「後書きだ」
おねーさん「私もそう思うにゃ」
オッサン「なんで?」
マスター「最初に装置の説明書を読ませたら、つまらんだろ」
おねーさん「十万字付き合った後で、『実はこういう機械でした』と蓋を開ける方がいいにゃ」
オッサン「なるほど」
マスター「ただし問題がある」
おねーさん「何にゃ」
マスター「十万字書いた後に、『あとがき』まで俺たちに喋らせるのか」
オッサン「そうらしい」
マスター「本当に自分で書かないんだな、あのオッサン」
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